春めくや軽トラで来る野菜売り  植村 方円

春めくや軽トラで来る野菜売り  植村 方円 『合評会から』(日経俳句会) 朗 軽トラが非常にいい。軽快で、いかにも春野菜を積んできたという感じが出ています。 迷哲 軽トラの軽やかな感じが、春が来たっていう雰囲気と合っている。 健史 軽トラが爽やかな春のイメージにピッタリ。 明生 運転手も野菜売りを待つ住民も、春めいてきてウキウキしている感じが伝わってきます。 三代 春の野菜を一杯積んでやってきたのでしょう。           *       *       *  野菜売りの軽トラックがやって来た場面に「春めく」の季語を取合せ、あたかも春を運んできたかのような読後感を生んでいる。春めくの兼題句で最高点を得たのもうなずける。選句者が揃って指摘するように、「軽トラ」の4字略語が効いており、小回りをきかせて走り回るイメージが軽やかさを生み、荷台に満載されている春野菜の瑞々しさまで連想させる。  軽トラの似合いそうな下町を想像したが、作者の弁によれば自宅のある古い住宅地で見かける光景という。高齢化が進み、スーパーに買い物に行っても重いものを待ち帰れないため「九割が宅配利用」らしい。それでも野菜や果物など生鮮品は見てから買いたい気持ちが強く、野菜売りの軽トラに高齢者が集まってくるという図式のようだ。春を迎えた喜びを軽トラに託して詠んだ分かりやすい句と思ったら、背後には意外に深刻な現実が潜んでいた。 (迷 24.03.04.)

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雪かきに出てくる人ぞ喜寿傘寿  杉山 三薬

雪かきに出てくる人ぞ喜寿傘寿  杉山 三薬 『合評会から』(日経俳句会) 雀九 どこもそうなのだろうなと思います。ただ、出てくる人ぞの「ぞ」というのは、ちょっとおかしい気がしました。 方円 「ぞ」は家に閉じ込められている喜寿傘寿の人たちが出てくるという動きの強調なのかな。 双歩 「ぞ」の代わりに何が相応しいか難しい。「や」ではないし、あえて言えば「は」でしょうが、「は」では散文的になってしまう。 而云 雪かきだけでなく、昼間出てくるのは、だいたい喜寿傘寿。 豆乳 先日、雪かきに出てきた人たちの中で六十七歳の私が最年少でした。 三代 高齢社会の一断面。歳をとっても、炬燵でぬくぬく、なんて許されない。 卓也 過疎と高齢化、笑えない現実に一票。 二堂 確かに近所は老人ばかりになりました。 芳之 深夜からせっせとお年寄りが雪かきされていますね。           *       *       *  「雪かきに出て来る人といえば」ということを強調する「ぞ」なのだろう。良い句だと思う人がたくさん居て、2月句会の最高点となった。私も雪が降るたび自宅前の大きな石段の雪かきをしているが、「そんなことは市役所がやってくれるのでは」と言い放つ人もいるし、若い連中は素通りして行く。「ご苦労様です」とか言うのは十人に一人くらい。今の日本は本当に礼儀知らずの人間ばかりになったなと思う。 (水 24.03.02.)

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春めいてやりたい事が三つ増え  池村実千代

春めいてやりたい事が三つ増え  池村実千代 『季のことば』  「春めく」は山本健吉の『基本季語500選』によると、「二、三月のまだ寒い中にも、万象春めいてくる気配が感じられるのである。『めく』とは、そのきざしが見えてくる意の接尾語で、四季それぞれに使えるが、ことに『春めく』が情感もっとも豊かである。春めくことがそれほど人々に待たれているからであろう」という。筆者が思うに「春を待つ」に呼応する季語のような気がする。寒の最中に、「早く春が来ないかな」と待ち焦がれる期待感が、いざ立春を迎え、どことなく春らしさを覚えた時に、心の底から感じる気持ちではないだろうか。  春めいてきて、作者はテンションが上がり、あれもこれもとやりたい事が増えたという。しかも三つも。「やりたい事が二つ三つでもいいね」との而云さんに対し、「三つ四つでもいいね」と水牛さん。言い切るよりも曖昧な方が味があるということか。  ともあれ、読者としては何と何だろうと気にかかるのが人情だ。掲句を選んだ人も口々に「何だろうと聞きたくなる」という。しかし、具体的に答えを聞くのは野暮というもの。読者それぞれが勝手に想像してる方が楽しいに違いない。俳句は種明かしをすると興を削がれることがある。今度、作者に会っても、あえて聞かないでおこう。 (双 24.03.01.)

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