頬刺や駿河の海の銀の波    溝口 戸無広

頬刺や駿河の海の銀の波    溝口 戸無広 『季のことば』  「頬刺」は聞きなれない言葉であるが目刺の異名。鰯のエラから口に藁を通し、数匹ずつ連ねることからその名があるという。純然たる季語ながらあまり使われていないようでもある。目刺も頬刺も「刺」という刺激的な字が入る。目に刺すか頬に刺すかの差にすぎないが、受ける印象はかなり違う。  この句を読んで場面の解釈にちょっと戸惑った。最初イメージしたのは、頬に藁を通した大量の鰯が脚立に並んで浜辺に干されているという景色である。それが陽を受けて銀色に輝き銀の波と化している図だ。「銀の波」はもちろん駿河湾の波に掛かっている。また「頬刺」とあえて使ったのは頬を刺すような寒風の中ともみた。  だが待てよ、これは作者が目刺を頬張りながら、鰯の集まる駿河湾の波を思い出しているのかもしれないと。「そういえばあの辺りには思い出があるなあ」と、頬刺で記憶が呼び起こされ、懐かしさから出来た句とも思えた。素直に読み解けばこちらの解釈のほうが真っ当だろう。「や」で切っているのだから、「頬刺」と「銀の波」は離れた二句一章の句とするのが正解かもしれない。  それにしても、即物的な目刺の兼題に詩情豊かな句が出来上がり、迷わず一票を投じた。どちらの解釈が正解なのかは、大阪在勤の作者に訊いてみなければ分からない。 (葉 24.03.17.)

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うろ覚え母の手順で木の芽和え  斉山 満智

うろ覚え母の手順で木の芽和え  斉山 満智 『合評会から』(番町喜楽会) 水牛 お母さんはどうやって作っていたかなあ、と思い出しながら木の芽和えを作っている。それを素直に詠んだとてもいい句ですね。真っ先に採りました。 春陽子 「うろ覚え」がいい。この言葉を発見したのがお手柄だと思います。うろ覚えでもやってみようというチャレンジ精神も感じます。 幻水 お母さんを真似てやってみるところに、なんとも言えないほんわかした気分がして好感が持てます。 迷哲 木の芽和えは、さほど難しい調理ではなさそうですが、美味しくできたのでしょうか?           *       *       *  木の芽和えは、春を告げる酒の肴に絶好の一品である。よって、小料理屋の突き出しなどによく登場する。もとより、家庭で作ることも多い。茹でた筍などに、擂り潰した山椒の若芽に砂糖と白味噌を咥えて混ぜたものだ。春の香りがいっぱいの料理である。  店先で筍を見付けたせいかどうかはともかく、作者はそれを作ろうと思い、お母さんを偲ぶこととなった。筍の茹で方や切り方、白味噌を溶く塩梅などを。それと同時に、お母さんのいろいろな姿が浮かんだことだろう。実に味わいの深い佳句である。 (光 24.03.16.)

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佐保姫のあっかんべーや今日の風 嵐田双歩

佐保姫のあっかんべーや今日の風 嵐田双歩 『この一句』  酔吟会は兼題の他に席題が出される句会である。この日の出題者は大澤水牛氏。どんな席題が出されるかと思ったらなんと「あかんべ」。一同頭を悩ましたが、結果としてはなかなかの秀作が出揃った。  佐保姫は平城京の東、佐保山に在す春の女神。平城京の西、龍田山に在す秋の女神である龍田姫と対置される。ともに春と秋にふさわしい美しい季語である。この日は晴天ながらも、とても風の強い日であった。この句の面白さは、なんといっても、おしとやかな姫君に、強風に向かって「あっかんべー」という茶目っ気のある行為をさせていることだろう。季語である佐保姫にあかんべをさせ、「今日の風」とその日の強風を織り込み、しかも句会の始まるまでの短時間に即興で仕上げたこの句は、挨拶句のお手本のようだと感心した。  この句は、最初は「佐保姫があかんべと言ふ今日の風」であった。投句してから、「佐保姫のあっかんべーや今日の風」の方が良いと気がついたと、作者みずから言われた。この句を採ったものも採らなかったものも、ほとんどが「あっかんべーや」の方が良いと、差し替えに賛同した。俳句の勘どころを知っている作者だからこそ出来る改作だろう。この句は元の形で上々の人気を集めたのだが、最初からこの句なら最高点を争ったに違いない。 (可 24.03.14.)

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弁当に早緑の葉や春めけり    徳永 木葉

弁当に早緑の葉や春めけり    徳永 木葉 『季のことば』  「春めく」は「いかにも春だなあ」という感じを抱かせる仲春3月の季語なのだが、温暖化の昨今は2月からこうした暖かい日がある。春野菜もずいぶん早く育つ。ことに近頃はすべてがハウス栽培という「温室育成」だから、1月2月から春野菜が出回る。  句会でこの句を採った人が「菜の花のことかなと思って頂きました。ちょうど昨日飲みに行き、菜の花がおいしいねって、お店で会話をしたばかりだったので……」と言っていたが、私もこれは菜花だろうなと思った。いかにも春らしい綺麗な句だ。  私たちの句会は夜間開催が多いので時間節約のため、事前投句を幹事が取りまとめ「選句表」を参加者にメール配信する。それを見てあらかじめ選句して句会に臨み、句会はいきなり披講(選句発表)から始める方式を取っている。だからこの句も句会の4、5日前に見ていた。翌日、葉山に遊びに行くことになっていたので、「菜の花の辛子和えはいいなあ、これで弁当を作ろう」と思い立った。早速近所のスーパーで房総産の菜の花を買い、たらこむすびと菜花の辛子和えの弁当を作って、海岸で食べた。晴れた空には鳶が舞い、海の彼方には江ノ島がぼうと霞んで見える。早緑の菜花がたらこのピンクに映え、いかにも春めく感じであった。 (水 24.03.13.)

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女流書展誘いの葉書春めきて   工藤 静舟

女流書展誘いの葉書春めきて   工藤 静舟 『この一句』  女流書展という言葉の持つ華やかなイメージが、春の訪れを喜ぶ気分と響き合って、気持の明るくなる句である。上の句は字余りだが「じょ・りゅう・しょ・てん」という拗音と撥音の連続が勢いを生み、書展への弾む思いを感じさせる。女流書展を一度のぞいたことがあるが、参会者は大半が女性で、和服姿の人もいて、墨色の世界に色とりどりの花が咲いたような印象だった。  句会では「女流書展は春も秋も開催されるのでしょうが、言葉の響きから春めいた感じがする」(雀九)とか「桜色の葉書にお誘いの文字が書いてあるのでしょう」(愉里)など、まさに春めく気分を感じ取った人が多かった。  日本の書道人口は、レジャー白書によれば220万人程度と推計され、この10年で半分以下に減っている。パソコン・スマホの普及により、筆で文字を書く文化は日本人の日常から消えつつあるようだ。文化庁の調査では、書道団体に属して日頃書に親しんでいる人は67万人弱で、そのうち75%は女性である。女流書展が隆盛を極めるのも当然と言える。  作者は古くから書に取り組み、日経書道会の幹事を務める能書家である。書道仲間の女性も多く、春の陽気とともに舞い込んでくる案内の葉書を眺めているのであろう。宛名は流麗な筆致の手書きに違いない。 (迷 24.03.12.)

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啓蟄や出刃研ぐ水の光をり     廣田 可升

啓蟄や出刃研ぐ水の光をり     廣田 可升 『この一句』  季語「啓蟄」には森羅万象なんでも合いそうな気がする。虫の這い出しを詠むのは無論本筋だし、身の回りのこと天然自然のこと、いずれも句意との相性を阻害するものではないと考える。そんななか作者は出刃包丁を研ぐ水の様を詠んだ。なんでも合うと言いながら「出刃」と「水の光り」が出て来たのには、ちょっと驚いた。  折しも筆者は鮟鱇の吊るし切りの画像を観たばかり。神田の老舗「いせ源」の調理場光景である。ついでに言えば鰻や河豚に鮪、和牛などの解体調理もユーチューブにアップされており、いつも興味をそそられる。この句を見たとき、出刃包丁で何を捌くつもりなのか句意とは離れた点に関心が移ってしまった。出刃を使うのだから魚には違いない。その出刃を一心に研いでいるのは作者自身か職人か。寒暖の定まらぬ今日このごろだ。砥石に呉れてやる水はまだ冷たいだろう。出刃を研ぐシュシュという音とともに、砥石から滲み出す水がLED灯の下で光る景が浮かび上がった。水の光るのはほんの瞬時のことかもしれないが、この時季の冷気と出刃を研ぐ真剣さを表わしていると思えてこの句を選んだ。  季語「啓蟄」は、春がそこまで来たとはいいながら、水の冷たさは冬とさほど変わりはないという例証として使われたとみたい。いずれにしても、出刃の登場と光る水で緊張感ある一句となっている。 (葉 24.03.10.)

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春めくや還暦祝う赤い酒     中野 枕流

春めくや還暦祝う赤い酒     中野 枕流 『合評会から』(日経俳句会) 而云 葡萄酒ですね。赤葡萄酒で句になった感じです。 双歩 還暦は赤いものを身に纏ったりしますが、そうか赤ワインという手もあったのか、なるほどと思って頂きました。 百子 おめでとうございます。前向きな感じが春めくと合っていると思います。赤い酒は赤ワインですか。 戸無広 春めくと祝い酒の取り合わせがうまく効いていると思います。 沈流(作者) 知り合いが還暦祝いをやりまして、赤い酒はワインではなく、古代米を使った日本酒でした。ピンク色で春めいていると思いました。 水牛 赤米で作る酒ね。飲んだことありますが、あんまりおいしくなかった。           *       *       *  てっきり赤ワインかと思ったら、赤米で作った日本酒だという。「地酒蔵元会」のサイトによると「赤米や古代米を原料として造られたもので、赤や紫の色が特徴。米に含まれるポリフェノール類などの効果で、複雑さとともに果実のようなニュアンスのものもある」という。例えば京都・伊根町の「伊根満開」という地酒は「甘い果実味のような甘酸っぱさと、とろけるような濃厚な味わいが特徴で、あざやかな古代米の赤色」が謳い文句。確かに還暦祝いとしては話題性もあり、洒落てて良さそうだ。ただ、水牛さんの言うとおり、筋金入りの左党には合わないかも。 (双 24.03.09.)

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身を焦がし潮の香放つ目刺かな  中村 迷哲

身を焦がし潮の香放つ目刺かな  中村 迷哲 『合評会から』(日経俳句会) 百子 あんな小さな魚なのに、焼くと存在感が際立ちますね。 ヲブラダ 高度な技法で作られつつあるフレンチの魚料理みたいに思えます。 卓也 生活臭に傾きがちな煙を言葉で浄化して鮮やか。 豆乳 焼いた目刺を口に入れると腸の苦みとともに潮の香りが広がるのを、この句で思い出しました。 阿猿 イワシ一尾に歴史あり、ドラマあり。 弥生 焼いた身に漂う潮の匂い、これもまた目刺を味わう楽しさです。 三薬 身を焦がしというのがちょっとね、もっと素直に簡単な表現でいいのでは。人なら恋に身を焦がすとかいうけど……。確かに目刺も焦げるけどね。 双歩 でも綺麗な句ですね。           *       *       *  擬人法で、「身を焦しつつ潮の香りを放つ」とは少しやり過ぎという感じがして句会では難癖をつけた。「焦げながら潮の香放つ」とでもすれば、もう少し自然な感じになっていいんじゃないかと思ったのである。  しかし作者はそんなことは十分承知の上で、「ちょっと気取ってみた」とにこにこしている。なるほど、こうして遊ぶのも俳句の楽しみの一つだ。句会に集まった多くの人がこの句を可としているのも、そうした楽しさを喜んだからなのだろう。 (水 24.03.08.)

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舟唄を鼻歌交じり目刺焼く     篠田 朗

舟唄を鼻歌交じり目刺焼く     篠田 朗 『この一句』  昭和も三十年代ころまで、朝飯には目刺がよく食卓に上った。いま考えても決して上等なおかずではなかった。大ぶり鰯の塩焼きなら夕飯の菜にもなった。十センチほどにすぎない目刺は、三本食べても食べ応えなかったが、庶民の家計の味方だったと思える。目刺のおかずで反射的に思い起こすのは、昭和の臨調を取り仕切った土光さんの食卓だ。国民は財界巨頭のあまりの清貧ぶりに感心したものだが、実は高級品だったとは後で知ったしだい。  おなじみのことは置いて、目刺=庶民の図式が成り立つ。今日日、スーパーでは見かけるものの、町の魚屋ではほとんど見かけない。美食が高じて買い手があまりいないのか、はたまた利が薄いせいか。  句の作者は鼻歌まじりに目刺を焼いている。晩酌のつまみにしようとしているのか、女房に任せず亭主みずから手を出している。きっと焼き具合にこだわりがあるに違いない。さっと炙って焦げ過ぎず歯ごたえよく。鼻歌は八代亜紀の「舟唄」だ。さきごろ亡くなったばかり、演歌の女王の代表曲だから句としてもタイムリーだ。そしてそれがまた昭和感丸出しだ。昭和の「目刺」に昭和の「演歌」の付け合わせに場面がまざまざと浮かぶ。「♪お酒はぬるめの燗がいい~肴は炙った目刺でいい~」。その夜、晩酌の酔い心地はさぞかし格別だったろう。 (葉 24.03.07.)

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八十年前も焼いてた目刺かな   大澤 水牛

八十年前も焼いてた目刺かな   大澤 水牛   『この一句』  「八十年も前とは!」。俳句を知らない人が、この句を見たらハテナと考え込み、「目刺は江戸時代、いや、それよりずっと前から焼いていたはずだよねぇ」などと呟く人が、ひょっとしたら居るかも知れない。しかしこれは俳句作品。俳句をやっている人なら誰もが、例えば庭に七輪を置き、団扇をパタパタやっている八十年前の少年の姿を思い描くはずだ。  俳句は「五七五」の十七字という小世界ながら、顕微鏡クラスの世界から無限大の世界までを描き上げる。この変わった文芸の持つ“省略”の面白さを、掲句から感じ取って頂きたい。作者は横浜の高台に広がる大地主の家に生まれ育ち、現在も、その一部(と言っても、我々には広大な土地だが)に住み、野菜作りを趣味としているのだ。  しかし私は「八十年も前とは!」に、びっくりする。実は私も作者と同年生まれの、現在八十歳代半ば。当時は国民学校の一年生になっていたか、どうか。あの頃から第二次大戦の空襲が激しくなり、私の一家は埼玉県に疎開して・・・、という頃だ。水牛さん、貴方は戦時中、どうしていたの? 空襲はあった? なかった? そんなことをお尋ねしてみたい。 (恂 24.03.05.)

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