寒暁の地平に浮かぶ筑波山 池内 的中
寒暁の地平に浮かぶ筑波山 池内 的中
「この一句」
はじめて東京へ来たころ、なんと大きな街だろうと驚いた。繁華街はたくさんあるし、公園もたくさんあって、生まれ故郷の大阪よりもずっと緑が多い。その一方で、山が見えない所だとも思った。大阪なら、随所から生駒山が望める。頂上にある電波塔や遊園地もくっきり見える。京都なら鬼門である北東に比叡山が見える。神戸なら、北に六甲山。奈良は大和三山に三輪山。どの街でも、すぐそこに山が見えた。それらは方向感覚のよすがであり、信仰の対象であり、ふり仰げばなにがしか癒しが得られる対象でもあった。
関東一円でいえば、ランドマークになる山は「西の富士、東の筑波」だろう。筑波山を富士山と並べるのは、少し言い過ぎの感もあるが、堂々とした山である。女体山と男体山をつなぐ稜線が美しい弧を描いているのが特徴で、連山を成しているが、標高900メートル近い筑波山が他の山を圧していて、平野にあたかも単独峰のように鎮座している。
この句は、寒い冬の朝、筑波山が「地平に浮かぶ」ように見えたという。ふもとに霧が発生したのかも知れないが、そうでなくても、筑波山の山容を頭の中に描くと、この「浮かぶ」感じがとてもよくわかる。この句は筑波山が見えたということしか語っていないが、筑波山を見ることで得られた、心の安らぎまで伝わってくる気がする。そう言えば、作者は六甲のふもと西宮の出身だったと思い出した。
(可 24.02.16.)