羽子板をつく音もなき令和かな 久保田 操
羽子板をつく音もなき令和かな 久保田 操
「この一句」
「隔世の感」という言葉があるが、まさにそれである。羽つき(追羽根)という女の子新年の遊びを全く見なくなってしまった。昭和の高度成長時代あたりから少なくなって、平成になると滅多に見られなくなり、そして令和の今、皆無となった。
お正月に、女の子が着飾って、それぞれ自慢の羽子板を抱えて表に立つ。歌舞伎役者や藤娘、汐汲などの美人、人気者などをきれいな布で作り、中に綿を入れてふっくら膨らませたものを板に貼り付けた豪華な押絵羽子板は女の子の宝物だった。「羽子板の重きが嬉し突かで立つ 長谷川かな女」という句があるように、これは実際の羽つきには使わない宝物である。二人相対して戦う羽つきに使うのは簡単な絵や焼絵をつけただけの羽子板。これでムクロジの黒い固い実をつけた追羽根を打ち合う。カーン、コーンと乾いた音が響く。突き損ねて羽根を落とした娘の顔には、審判役の娘が墨で丸やバツ印をつけたりする。なんとも素朴で、しかも優雅な情景だが、昭和も後半になると道路は自動車が主人公ということになって羽根突きの場所がなくなってしまった。一方、若い娘たちはそんな悠長な遊びでは飽き足らず、スマホゲームや友達同士誘い合って盛り場に出かけるのを好むようになり、男の子の凧揚げと共に、古き良き時代の正月風景は消えてしまった。
令和の正月、何があるだろう。盛り場に出かけ商業主義にまみれた「福袋」をあさり、作り物の「夢の世界」である何とかランド、なんとかリゾートに出かけ…