寒の池鴨とは群れぬ鷺白し    堤 てる夫

寒の池鴨とは群れぬ鷺白し    堤 てる夫 『合評会から』(番町喜楽会) 百子 我が家の近くで見る光景です。俳句の本に、鴨と鷺は近寄らないという句があって、そういう句を詠みたいと思っていたのですが、なるほどこう詠めばいいのかと思いました。 水牛 目の前の光景をよく見詰めているものだなと感心しました。「寒の池」の季語に鴨と鷺の二つの役者を取合せたとてもいい句です。 満智 絵になる孤高でしょうか。寒さが沁みます。 てる夫(作者) 私の住んでいる塩田平は江戸の頃からたくさんため池がある土地ですが、鴨などの野鳥が来る池は必ずしも多くはありません。時間をかけて野鳥の生態を見るのはとても面白いです。           *       *      *  信州上田は塩田平という土地に住む作者ならではの句である。周りの自然環境が句材を豊富に提供してくれるのだろう。しかし、よく観察しているとの評のとおり漫然と歩いていてはこうした句は生まれない。実際の景色を見られる強みと言ってもいい。なるほど鴨と鷺は同じ池にいても交わることがない。鴨は群れをなし、鷺は一羽かせいぜい二羽で孤高の鳥と見える。寒中のなか、寒さを押しての散歩が「寒の池」に憩う野鳥の生態を活写した。 (葉 24.02.14.)

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野の鳥に何かを言へば息白し   中嶋 阿猿

野の鳥に何かを言へば息白し   中嶋 阿猿 『合評会から』(日経俳句会) 卓也 柔らかい眼差しが伝わる。 双歩 ユニークな俳句です。鳥を見て、独り言を言ったんでしょう。あるいは誰かに鳥の名を問いかけたのか。詠み方と言い、何か目に付いた句でした。 雀九 最近は、あんまり白い息を見たことはありませんが、これは息が白くなりそう。名前を知らない野鳥に向かって独り言を言ったんでしょう。そうしたら自分の息が白かった、と。とても俳句らしい句と思います。 水牛 雀九さんのおっしゃる通りなんだけど、見たままそのまま詠んでいてとても良い感じです。息白しの句の中で一番いい句だなと思いました。窓を開けたら庭先の小鳥がパーと逃げて、ちょっと離れた庭木に飛び移っていた。それに一言、語りかけた。「寒いわね」でも、「元気だね」でもいい、そんな感じがスッと伝わってくる。素晴らしい句で、感心しました。           *       *       *  「息白し」の兼題にいくつも並んだ句の中で、チェックする筆が思わず止まった。まるで映画のワンシーンのような、妙に印象に残る句だ。その類想から2009年制作の韓国、フランス合作映画『冬の小鳥』を思い出した。孤児院に入れられた韓国の少女がフランスの養父母に貰われるまでの日常を描いた、監督の自伝的内容の作品で、傷ついた小鳥を小道具として繊細な心の動きを表現していた。  掲句は水牛さんの評がすべてを言い表しているが、迷哲さんが呟いた一言「新感覚派だね」も言い得て妙…

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不都合は補聴器のせい日向ぼこ  岡田 鷹洋

不都合は補聴器のせい日向ぼこ  岡田 鷹洋 『合評会から』(日経俳句会) 愉里 よくあるというか、分かるというか。聞こえない振りしてとぼけたりする。日向ぼこという季語とうまく合っています。 迷哲 都合が悪くなると良く聞こえなかったという。補聴器のせいにする人って結構います。可笑しくって。 光迷 耳が悪くて不便なこと、私も痛感しています。しかし、不都合な話は聞こえないことに、という便利さもあるのか、と。 水馬 とにかく楽しい句です。           *       *       *  「本当に貴方という人はもう・・・、しょうがないわねえ。何度言ったら分かるの」と、いつも言われる。確かに物忘れがひどくなったことは自覚しており、失敗も認めよう。しかし、そうずけずけ言わなくたっていいじゃないかと思う。しかし、それを言えば3倍にも4倍にもなって跳ね返って来る。  而るが故に、これは補聴器が良くないのだと、そういう事にしよう−−−不戦派おじいさんの知恵である。日向ぼこと実によく合っている。こういう人は長生きする。 (水 24.02.10.)

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走り来て子ら告げ口の息白し   今泉 而云

走り来て子ら告げ口の息白し   今泉 而云 『この一句』  一読して小学校の運動場が浮かんできた。寒い日に遊んでいた生徒が数人、先生の元に駆け寄ってくる。「男子が悪いことしています」とか「〇〇君と〇〇君がけんかしています」とか、口々に伝える。字義通りの告げ口ではなく、先生に知らせる、言いつけるぐらいの感じではなかろうか。頬を赤くした幼い子供たちが、息を弾ませながら懸命に訴える様子がイメージされる。  句会では「子供らが走ってきて一生懸命に知らせている光景」(愉里)、「小学校の運動場か。我先に話しかけている子供たちが浮かぶ」(阿猿)と、同じような場面を想起した人が多く、「息白し」の兼題句で最高点を得た。  句を分解すると、上五の「走り来て」という複合動詞が大きな働きをしている。走って来るほどだから、広い運動場や広場と分かり、子供らが駆け寄る景がすぐに浮かぶ。さらに走れば息が弾み、その白さが際立つことになる。  告げ口という否定的な言葉を使いながら、句の印象は明るい。白い息を弾ませ懸命に訴える子供の姿から、無邪気な告げ口であることが分かるからであろう。近年は温暖化が進み、白い息を吐く子供たちを見かけることが少なくなった。しかし時代が変わっても子供の生態はあまり変わらない。走り来て母親や教師に訴える場面が今も見られることが、多くの共感を得た理由ではなかろうか。 (迷 24.02.08.)

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伴侶といふ不思議の縁冬の旅   廣田 可升

伴侶といふ不思議の縁冬の旅   廣田 可升 『合評会から』(日経俳句会) てる夫 不思議の縁という措辞で頂きましたが、別に冬の旅でなくてもいいのかなと思いました。 鷹洋 喧嘩したり笑ったり、長い人生航路を表現した良い句だ。確かに冬の旅ではなくてもいいとは思いますが。 迷哲 冬の旅に、しみじみとお互い見つめ直す感じが出ていると思います。 而云 不思議の縁、かみさんというのはそういうものですね。なんでだろうと。 双歩 この句は不思議の縁でも、縁の不思議でも成立するような気がしますが、どちらが良いのでしょうか。 迷哲 不思議を早く言いたかったのでしょう。不思議に思いがあるから。 三代 夫婦とは今更ながら確かに不思議な縁ですよね。 操 冬ゆえに思いも一入。           *       *       *  これは冬の旅で動かない。この場合、春の旅や夏の旅としたのでは句にならないし、秋の旅では今にも夫婦別れしそうな感じになってしまう。「冬の旅」と言うと、ちょっと厳しい感じも、寂しい感じもして、夫婦という不思議の縁をしみじみと感じるよすがとなる。  「縁の不思議冬の旅」が良いか、「不思議の縁冬の旅」が良いか。この問い掛けには唸る。ただ、「縁の不思議」はちょっと理屈っぽくなる感じがするので、やはり素直に「不思議の縁」か。 (水 24.02.06.)

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ぼけ封じ互ひに願ふ冬温し    中村 迷哲

ぼけ封じ互ひに願ふ冬温し    中村 迷哲 『合評会から』(日経俳句会) 三薬 我々ぐらいになると呆け封じというのが大テーマになっているので、いただきました。 静舟 温暖化の冬のなか、呆け封じをお願いしながら睦まじく老夫婦の長生きを願う。 豆乳 仲のいい老夫婦が互いの息災を願う。うらやましいです。 十三妹 もう呆けが来ている身としては「冬温し」が引っ掛かったのですが、それもありかと。「冬寒し」より実感があるかな。 水牛 私も一生懸命、寿老人の頭を撫でてきました。季語については「冬桜」でも良いかなとも思いました。 迷哲(作者) 日頃からどっちが先に呆けるか、という話をよくしています。           *       *      *  日経俳句会ことしの七福神参りは、芭蕉翁みちのく出立の地千住。平均年齢七十越えの面々が巡る祈願の本命は「ぼけ封じ」だったのではなかろうか。呆け封じを謳う神社はほかにもあったが、寿老人を置く元宿神社が本元を自負していた感じ。歩き疲れた老人を思って、椅子の用意と氏子による茶の接待もあって皆々一息ついた。一月七日は折からじつに気持ち良い冬晴れ。夫婦参加組も互いに社前で、どうぞ呆けにならないようにと賽銭を投じていた。七十、八十を越えるともはや神頼みしか安心立命の境地に近づけない。老夫婦が社前に願う姿に「冬温し」の季語がいかにもぴったりくる。 (葉 24.02.04.)

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羽子板をつく音もなき令和かな  久保田 操

羽子板をつく音もなき令和かな  久保田 操 「この一句」  「隔世の感」という言葉があるが、まさにそれである。羽つき(追羽根)という女の子新年の遊びを全く見なくなってしまった。昭和の高度成長時代あたりから少なくなって、平成になると滅多に見られなくなり、そして令和の今、皆無となった。  お正月に、女の子が着飾って、それぞれ自慢の羽子板を抱えて表に立つ。歌舞伎役者や藤娘、汐汲などの美人、人気者などをきれいな布で作り、中に綿を入れてふっくら膨らませたものを板に貼り付けた豪華な押絵羽子板は女の子の宝物だった。「羽子板の重きが嬉し突かで立つ 長谷川かな女」という句があるように、これは実際の羽つきには使わない宝物である。二人相対して戦う羽つきに使うのは簡単な絵や焼絵をつけただけの羽子板。これでムクロジの黒い固い実をつけた追羽根を打ち合う。カーン、コーンと乾いた音が響く。突き損ねて羽根を落とした娘の顔には、審判役の娘が墨で丸やバツ印をつけたりする。なんとも素朴で、しかも優雅な情景だが、昭和も後半になると道路は自動車が主人公ということになって羽根突きの場所がなくなってしまった。一方、若い娘たちはそんな悠長な遊びでは飽き足らず、スマホゲームや友達同士誘い合って盛り場に出かけるのを好むようになり、男の子の凧揚げと共に、古き良き時代の正月風景は消えてしまった。  令和の正月、何があるだろう。盛り場に出かけ商業主義にまみれた「福袋」をあさり、作り物の「夢の世界」である何とかランド、なんとかリゾートに出かけ…

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異母妹といふ名の縁根深汁    高井 百子

異母妹といふ名の縁根深汁    高井 百子 『この一句』  酔吟会初句会の席題「縁」の句である。席題句は、句会の当日に発表される題に応じて、その場で即興的に詠まれる句である。この句を選んだ評者は、短時間の間にこんな句が詠まれるとは、なんということかと驚きの声を上げた。「異母妹といふ名の縁」で、読者はなにやら訳ありの事情がある人間関係を想像する。それと「根深汁」の取合せ。「根深汁」は長ネギ(白ネギ)と揚げなどを具材とする味噌汁であるが、決して日常的に使われる季語ではない。むしろ「根」「深」の文字面が、「異母妹」という言葉とついつい呼応してしまう。こんな取合せの句を即座に作るとは、と思ったのである。  種明かしをすれば、この句会ではくじ引きで席題の出題者を決めており、作者は当日の出題者であった。つまり、兼ねて自分の出す席題を知っており、その場で即興で詠んだのではなく、十分時間をかけて作った句であったということである。  作者によれば、昨年突然息子たちのところに異母妹という女性からメールがあったとのことである。作者はそれもまた「縁」ですからと意に介さず、さらっと句に詠んだとの事。季語が見つからず苦慮したというが、こういうことをさらっと詠む胆力と、苦慮の末に「根深汁」にたどり着いた俳句センスに、即興であろうがなかろうが、やはり、驚かざるを得ない一句である。 (可 24.02.01.)

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