春めくや降りみ降らずみ三番瀬   星川 水兎

春めくや降りみ降らずみ三番瀬   星川 水兎 『季のことば』  句会で「中七の少し古風な措辞が季語と呼応して、穏やかな春雨を彷彿とさせます」(弥生)という句評があったが、まさにそうだなと思う。今も大昔の江戸湾の有り様をかすかに残している「三番瀬」の春雨模様を、心地よく口ずさむ作者の姿が浮かんでくるからだ。ここは作者の生まれ育った場所なのだ。  古俳諧では「春雨」は仲春から晩春の雨を言うものとされ、二月あたりのものは「春の雨」と詠むことになっていたようだが、温暖化もあって、昨今は「春雨」も「春の雨」もほとんど区別することはない。それに、「降ったり止んだり」という意味合いの「降りみ降らずみ」という言い方がとても良い味を出している。  「三番瀬」というのは千葉県浦安市から市川、船橋、習志野市あたりまでの干潟を指す。狭義では市川市行徳から浦安市にかけての「新浜」の干潟をいう。旧江戸川の河口にできた広大な浅瀬で、江戸前の魚の宝庫であり、野鳥の楽園でもある。宮内庁新浜鴨場もあって、その場内は海とつながった水路が藪に囲まれた迷路になっており、ここに誘いこまれた鴨を岸辺に待ち構えた人が大きな網で捕える古代からの「鴨猟」が行われる。周辺の海浜は潮干狩りやバードウオッチングの聖地である。  高度成長期に東京湾の埋め立てが進み、この辺一帯も存亡の危機に見舞われた。しかし自然保護団体の働きかけや、宮内庁御猟場の“御威光”もあって、なんとか埋め立てられずに済んだ。いまや珍しい野鳥が集まる“東京湾の宝”であ…

続きを読む

柚子風呂に潜りてみたり老い独り 河村 有弘

柚子風呂に潜りてみたり老い独り 河村 有弘 『この一句』    掲句を見て「おい、おい、風呂に潜るなんて、止めてよ」と、忠告したくなった。作者は現在、横浜港の近くに独り住まい。そして作者と私は新聞社に同期入社以来、所属部局こそ違え・・・、いや、そんなことより現在は、柔道マンの集まる「三四郎句会」の句仲間であり、句会終了後は、仲間ともども酒場にドカドカと集まり、盃を交わす間柄ではないか。  奥様を亡くし、現在は独り住まい。何をするのも自由の身ではあるが、「風呂に潜りてみたり」とは! 既に八十歳の坂を上り、下りにさし掛かる頃。「風呂に入るなら滑らないように」と声を掛けたくなるのだが、さらに「湯に潜り」「目を開いて」とのことだから驚いた。探究心など老いては無用、とは言わないが、他に何かやることがありそうに思えるのだ。  さらに加えて、句の下五の「老い独り」の「老い」も「独り」も気にならざるを得ない。中七の「潜りてみたり」は未だ老いずにいるからで、柚子湯に潜るのは、目を開いて湯の中を窺おうとする、度胸や好奇心を示しているのだが――。そのような冒険は遥か昔の「駆け出し記者の頃にやっておくことですよ」と私は忠告したいのである。 (恂 24.02.28.)

続きを読む

老梅のぽつりぽつりと語るごと  向井 愉里

老梅のぽつりぽつりと語るごと  向井 愉里 『合評会から』(番町喜楽会) 青水 「語るごと」の下五がきれいでいいですね。 木葉 梅の老木のなにか言いたげな佇まいと、一輪一輪ぽつぽつ咲くことを掛けたのは明らかだが、その技巧的な表現が光ります。 水牛 いい句なのだけれど「ごと」が気になりました。「老梅のぽつりぽつりと語りをり」でいいのじゃないかな。わが家の白加賀という梅も三十年くらいたっていて、まさにこの通りです。           *       *       *  「ごと」が良かったという人もいれば、避けた方が良いという人もいて、こういうところが俳句の難しさだと思う。筆者は「老梅」の音から「老婆」を連想してしまった。よこしまなことではあるが、そう思い込むと、「ぽつりぽつりと語るごと」は、ただの擬人化ではなく、妙にリアリティのある表現だと思えてきた。  「ごと」について問われた作者は、自分でも「ごと」を使うのが良いかどうか迷ったが、自分が見た実家の老梅は「語りおり」というような風情ではなかったときっぱり言う。その発言を聞いたとき、この句は技巧によって作られたものではなく、老梅を眼前にして作者が感じたことを、そのまま素直に文字に写したものに違いないと思えた。静かで心地よい余韻のある句である。 (可 24.02.27.)

続きを読む

梅古木ひと住まぬ地の廃屋に   金田 青水

梅古木ひと住まぬ地の廃屋に   金田 青水 『季のことば』  日本全国に人の住んでいない山間僻地が数多くある。限界集落が高じてついに住民ゼロになった村落もあれば、もともと僻地でなくとも、原発事故で住みかを棄てざるを得なくなった福島の町や村。令和六年元日の大地震により、外部から孤絶避難した能登の山間がこれに加わった。この句の「ひと住まぬ地」とはいずれの地を指すのだろうか。筆者は能登の被災地を詠んだ句と思った。そう読めば悲愴感のただよう時事句と取れる。   季の変わりを告げる「梅」である。早春にいち早くほころび、白・紅の花で「春近し」を実感させる。あの馥郁たる匂いと清楚なたたずまい。作者が思い浮かべた景色がどこかは置いて、舞台は能登だと決めて評を続ける。「梅古木」とはおそらく孤木だろう。人影ない被災集落の庭に立っている。あらかた倒壊してしまった家屋の惨状はテレビ報道で見た通り。二月初めの奥能登ならまだ蕾かもしれない。廃屋というよりもはや家の態をなしていない場所に常と変わらず老木が立つ。復旧のシンボルとも言いたげだ。老木は桜でもよいが、全身に苔を纏った梅の姿がよりふさわしい。  能登地震があったからこそ、この句が鮮明なイメージで景を思い起こさせる。能登山間地の復興活動は平地よりいっそう困難であろう。避難所などで不自由な生活を余儀なくされている人々にとって、この地が「ひと住めぬ地」とはならないようにと祈るばかりだ。 (葉 24.02.26.)

続きを読む

梅咲いて祖母の産着の宮参り   高井 百子

梅咲いて祖母の産着の宮参り   高井 百子 『この一句』  梅が咲いて春を迎えた嬉しさと、赤ちゃんをお宮参りに連れて行く喜びとを重ね合わせて詠んだ、心温まる句である。心情がそのまま伝わってくる素直な句で、番町喜楽会2月例会の梅の兼題句で最高点を得た。境内の梅が咲き揃った神社で、幼子を抱いた祖母と両親がお宮参りに訪れた光景が目に浮かぶ。  お宮参りは、産土神に子供が無事に誕生したことを報告し、健やかな成長を祈る行事。生後1カ月をめどに行う家庭が多いが、赤ちゃんも母体も安定する生後100日前後に百日祝い(お食い初め)と一緒にお宮参りをするケースもある。天気が良いのが一番なので、この家族も暖かくなって梅の花が咲くのを待っていたのではないかと、想像が膨らむ。  句会で議論となったのは、「祖母の産着」の意味合いである。祖母が着た産着と考えると、70年前後は経っているだろうから、おさがりを使うにしても古すぎるように思われる。そこで「これは祖母が作ってくれたという意味でしょう」との見方が示され、一同納得した次第。  産着は母方の実家が用意するケースが多いと聞く。自ら選んだか仕立てた産着を着せて、可愛い孫を抱く。おばあちゃんの喜びに、匂い立つ梅が寿ぎを添える。 (迷 24.02.25.)

続きを読む

料峭や歯痛に埋める正露丸    嵐田 双歩

料峭や歯痛に埋める正露丸    嵐田 双歩 『季のことば』  句会でこの句を見つけたとき、「なんとまあ大袈裟で気取った言葉をくっつけたものよ」と苦笑したま素通りした。今どき俳句でもやっていなければ「料峭」などという言葉にはお目にかかれない。しかし俳句でも近頃あまり用いられなくなった大時代の季語である。  「料」は米偏に斗で、升で米を量ることから「はかる、推し量る、感じとる、こしらえる」などを意味し、「峭」は肖(けずりとった)山で「きびしい」有様をいう。つまり「春風なのにやけに寒くて、きびしさを肌身に感じる」という様子が「料峭」である。そこで「たかが虫歯にこんな言葉をなあ」と、冒頭の感想に至ったわけなのだが、今日(2月23日)のように冷たい雨風に遭うと、途端に「料峭」が生きてくる。  こんな日に急に虫歯が痛み始めたら嫌だなと思う。祭日で歯医者は休みである。痛む頬に掌を当てて、家の中をぐるぐる回ったりしている。まるで檻の熊だ。「確か正露丸があったはずだ」と薬箱をかき回し、黒いクレオソートの丸薬をウロになった患部に詰め込む。一瞬ズキンとするが、もう半ばやけになっているから、痛むならもっと痛めなどとマゾ的気分である。  そんな作者の様子を想像してニヤついているうちに、左下の大臼歯がなんとなく痛んできた。すでに2年ほど前、神経を取ってしまい、金属を被せてあるのだが、うずくようだ。因果応報、人を笑はば笑はるる。連休明けに私も久しぶりに歯医者に行こう。 (水 24.02.23.)

続きを読む

梅咲いて色無き庭の初化粧    前島 幻水

梅咲いて色無き庭の初化粧    前島 幻水 『おかめはちもく』  冬枯れの色のない殺風景な庭に、梅がちらほらほころんでくると、そこだけ明かりが灯ったようで、ほっとした気分になる。まだまだ寒さが続く1月後半から2月にかけて、梅は真っ先に春の気配を届けてくれる。  「冬の庭がぽっと明るくなる感じが伝わってきます」(満智)、「冬の庭は閑散として侘しい。梅の花がぽつぽつ咲きだすと春が間近に感じられ嬉しいもの」(斗詩子)、「冬の花のない庭に寒さを厭わず咲く梅に、庭を初化粧してくれたとはいい表現」(二堂)。筆者も含め掲句を採った人は同様の感想を述べ、概ね好評だった。「概ね」と言ったのは、この句にはいくつか気になる表現があるからだ。  「初化粧」は「初鏡」の傍題で新年の季語。「色無き庭」は「秋風」の別名「色無き風」を想起させ、やや感興を削ぐきらいがある。選んだ人はその辺り気にはなっても、句全体の雰囲気で共感したのだろう。  さて、表題の「岡目八目」。大先輩の句に手を入れるのは甚だ僭越だが、筆者なりに改善策を探ってみた。まず「初化粧」は「薄化粧」でどうか。「梅咲いて」を「や」で切って、「色無き庭」を「色失せし」にすると、「梅咲くや色失せし庭薄化粧」となるが、原句に比べ口調が悪い。いっそ「色が無い」という修飾語を諦めたらどうだろう。例えば「梅咲くや狭庭ほんのり薄化粧」とか。残念ながら、筆者の力量ではここまで。後は読者諸兄の知恵をお借りしたい。 (双 24.02.22.)

続きを読む

節分や仕事の鬼の帰り待つ   玉田 春陽子

節分や仕事の鬼の帰り待つ   玉田 春陽子 『この一句』  「今時、仕事の鬼なんて…、誰なんだ」。句会で一票を投じたのは、それが知りたかったからだ。実際、合評会では「仕事の鬼なんて死語じゃないかと思いました。会社でこんな言葉を使ったら、どう思われるのかとも」という声も出た。さらに「『節分の仮面が父の帰り待つ』という村田悠水の句を思い出し、採れませんでした」という人も。 半面、「仕事の鬼と言い切ったのがいい」という好意的な意見や「帰り待つ、という措辞に昭和の家庭の雰囲気が感じられ」とか「若い頃を思い出し」という来し方を振り返っての感慨も聞かれた。平均年齢は古希を越えたと見られ、「企業戦士」と呼ばれ「24時間戦えますか」の歌を聞いて過ごした世代の句会だけに、妥当なところではある。 そして頭に浮かんだのは「俳句甲子園の高校生あるいは大学生は、この俳句をどう受け止めるだろうか」ということだ。いまや『デンマーク人はなぜ4時に帰っても成果を出せるのか』という本が6刷を数える時代である。我が国でも在宅勤務が普及してきたというものの…。「歌は世に連れ、世は歌に連れ」を思わせる句だった。 (光 24.02.20.)

続きを読む

愚痴りつつ土筆の袴外しけり   谷川 水馬

愚痴りつつ土筆の袴外しけり   谷川 水馬 『季のことば』  土筆は春先に野原や土手にニョッキリ顔を出す野草。水牛歳時記によれば、トクサ科のスギナの胞子茎で、形が筆に似ていることから土筆と書く。古くから食され、茎を輪状に取り巻く袴と呼ばれる部分を取り去って、茹でて酢の物などで食べる。同歳時記には天ぷらや酢味噌和え、佃煮など調理法が詳しく紹介されている。  土筆の調理はこの袴取りの作業が大変である。細くて折れやすい茎の小さな袴を、根気よく取り去らなくてはならない。そのうちに茎の汁で指先が黒ずんでくる。手間がかかる割には食べられる量は少ない。少し苦みがあるため、苦労して調理しても子供たちはあまり喜ばない。  掲句はそんな土筆にまつわる思いを「愚痴りつつ」という上五に込めている。子供が無邪気に摘んできた土筆を、「手間がかかって大変なんだから」などと言いつつ、袴を外す母親の姿を想像した。歳時記には「土筆の袴取りつつ話すほどのこと」(大橋敦子)という例句もある。てっきり女性の句と思ったら、作者が幼い頃、姉さんに叱責されながら袴を外した思い出を詠んだという。言われてみれば、評者も子供の頃に土筆の袴取りを手伝わされた記憶がある。「愚痴りつつ」という措辞が改めて腑に落ちた。 (迷 24.02.18.)

続きを読む

寒暁の地平に浮かぶ筑波山    池内 的中

寒暁の地平に浮かぶ筑波山    池内 的中 「この一句」  はじめて東京へ来たころ、なんと大きな街だろうと驚いた。繁華街はたくさんあるし、公園もたくさんあって、生まれ故郷の大阪よりもずっと緑が多い。その一方で、山が見えない所だとも思った。大阪なら、随所から生駒山が望める。頂上にある電波塔や遊園地もくっきり見える。京都なら鬼門である北東に比叡山が見える。神戸なら、北に六甲山。奈良は大和三山に三輪山。どの街でも、すぐそこに山が見えた。それらは方向感覚のよすがであり、信仰の対象であり、ふり仰げばなにがしか癒しが得られる対象でもあった。  関東一円でいえば、ランドマークになる山は「西の富士、東の筑波」だろう。筑波山を富士山と並べるのは、少し言い過ぎの感もあるが、堂々とした山である。女体山と男体山をつなぐ稜線が美しい弧を描いているのが特徴で、連山を成しているが、標高900メートル近い筑波山が他の山を圧していて、平野にあたかも単独峰のように鎮座している。  この句は、寒い冬の朝、筑波山が「地平に浮かぶ」ように見えたという。ふもとに霧が発生したのかも知れないが、そうでなくても、筑波山の山容を頭の中に描くと、この「浮かぶ」感じがとてもよくわかる。この句は筑波山が見えたということしか語っていないが、筑波山を見ることで得られた、心の安らぎまで伝わってくる気がする。そう言えば、作者は六甲のふもと西宮の出身だったと思い出した。 (可 24.02.16.)

続きを読む