にょろにょろと歯磨チューブ去年今年 大澤水牛
にょろにょろと歯磨チューブ去年今年 大澤水牛
『季のことば』
「去年今年」。われら俳句凡人には何とも手に負えないような季語である。去年今年と聞けば、まず虚子の「去年今年貫く棒の如きもの」の名句中の名句が条件反射のごとく浮かんで来る。あえて私見を言えば、これを超える去年今年句を見つけるのは無理ではないか。なるほど、去る年と来る年になんの違いがあるものかと、開き直りのような感懐の裏側に形而上的な意味をも込めているとも言えそうだ。終戦からさほど遠くない昭和二十五年十二月の作であるのが意味深い。山本健吉によれば「的確なものをつかんで、大胆にずばりと言ってのけたところがよい。老虚子快心の作であろう」。
掲句である。朝か夜か聞き洩らしたが、作者は歯を磨こうとチューブを押したら、歯磨き剤がにょろにょろと出て来たという。アルコールが多少入っていて手元が狂ったのか、にょろにょろと出て来たのは明らかに出し過ぎである。しかし作者はすかさず一月句会の兼題「去年今年」を思い浮かべ、俳味のある一句を仕上げた。
筆者は虚子句と好一対をなすとみて一票を入れた。第一に当然である「硬い棒」と柔らかな「歯磨き剤」の硬軟の差が面白い。さらに一見形而上的な「棒の如きもの」に対し、目の前に厳然と「にょろにょろ」とある歯磨き剤の姿が対比の妙といえる。虚子の句を可視化したのがこの句であるとみたのだ。
(葉 24.01.22.)