積ン読の二冊減りたる松の内   須藤 光迷

積ン読の二冊減りたる松の内   須藤 光迷 『この一句』  「積ン読」という表記は珍しい。通常は「積読」「積ん読」などと書き表されることが多い。大澤水牛氏によれば、漢籍などによく見られる表記らしい。表記は別として、この言葉そのものもなんだか変である。最近作られた新語かと思って調べると、けっこう歴史は古く、1933年発行の広辞苑第一版にはすでに「書物を読まずに積んでおくこと」の語釈とともに掲載されている。さらに調べてみると、明治時代の早い頃から、「つんどく者」「つんどく家」「つんどく先生」などという用法で使われていたようである。  「積ン読」の山がなかなか減らないことを嘆く読書人は多い。理由は簡単である。「積ン読」を減らすことより、新刊書に飛びつくことが多かったり、あるいは、書店や古書店に入ると何か買わずには出て来られない、つまり、減らないのではなく、減るよりも増える方が多いからであり、ほとんどのケースが自業自得である。  この句の良さは「二冊減りたる」と具体的に詠んだことにあるとの指摘があった。そのとおりだと思う。もう一つの良さは、「積ン読」の表記と、「松の内」の季語が相まって醸し出す、戯作のようなのんびりした味わいではないだろうか。松の内の静寂の中、炬燵に潜り込むなどして、好きな本がゆったり読めるのは幸福な時間に違いない。それにしても、作者は「二冊も」読めたのか、「二冊しか」読めなかったのか、それが問題である。 (可 24.01.20.)

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