日は既に青空にあり雑煮膳 大澤 水牛
日は既に青空にあり雑煮膳 大澤 水牛
『この一句』
昨令和五年の元旦は、全国的にはどうだったかと思うが、関東地方は青空に恵まれたと覚えている。昨年を振り返ればいい年ではなかったと断言できる。ウクライナ戦争は終局がみえるどころか、ますますエスカレート。そうこうしている間に、秋口からはイスラエルとパレスチナ・ハマスのおぞましい復讐合戦が始まった。二つの凶事は新年を迎えても打ち止めの気配が感じられない。国内を検証すれば、物みな値上げの物価高。所得格差が高進し食事を満足に摂れない子どもまで続出する始末。ここまで書いてくると、なんだか「二条河原の落書」めいて、気が滅入ってくるようだ。
さて令和六年、はたして国内外の暗雲をはらうべく曙光が差すだろうか。
なんだかんだ愚痴を言っても、正月である。芝居の幕が切り替わるように晴れがましい気分に一変する。酒量いまだ衰えぬ作者ゆえ、大晦日を夜っぴて飲み明かしたのかもしれない。元旦を起きてみれば、日ははや高々と中天にある。しかも見事に晴れ渡った青空だ。「日は既に青空」は新年早々から寝過ごしたか、という作者のかすかな後悔の念を表す。それでも新年のスタートを祝う気持ちが十分に伝わる。洗面をすませ祝いの席に座れば、長年慣れ親しんできた家流の雑煮椀である。上天気に祝い膳、こんな目出たい景色は元旦だからこそ。ちょっぴり二日酔い気味でもお屠蘇が進んだに違いない。
(葉 24.01.02.)