若者の街をシニアの福詣     岩田 三代

若者の街をシニアの福詣     岩田 三代 『この一句』  一月七日に句会恒例の七福神吟行が行われた。今年は北千住駅近辺に散在する千住七福神を巡った。千住は品川、新宿、板橋と並ぶ江戸四宿のひとつ。日光街道と奥州街道の最初の宿場町としてにぎわった。戦後は駅前を中心に居酒屋や商店が密集し、昭和の雰囲気を色濃く残した街だった。  ところが20年ぶりぐらいに降り立った北千住の駅前は、大型店のビルがそびえ、若者向けのおしゃれな飲食店が立ち並んでいた。20人近い吟行衆も、初めて訪れたか、久しぶりの人が大半で、皆さん驚いていた。聞けば2006年の東京藝大を皮切りに、未来大、帝京大、電気大が相次いでキャンパスを構え、今や学生の街という。若者が街に溢れているのもそのせいか、と合点した。  掲句は現代の千住宿に繰り出した高齢の吟行衆をユーモラスに詠んだもの。平均年齢は古希を大きく超え、シニアというより年寄集団。それでも旧日光街道沿いに散らばる7社・5キロを、全員が歩き通したのだから大したものである。  吟行句の難しさは、参加しなかった人には情景や味わいが伝わりにくい点にある。もちろん吟行仲間に分かれば、それで十分という考え方もあるが、普遍性のある吟行句が詠めれば、それにこしたことはない。掲句は、千住の活況を目にした吟行仲間の共感を得て高点句となったが、そうでない人にも情景が描ける。例えば新宿や品川など若者の溢れる繁華街と取ってもいい。そこをぬって、元気に七福神巡りをするシニアの姿が浮かんでこないだろ…

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株価だけぬくぬくとして寒の内   杉山 三薬

株価だけぬくぬくとして寒の内   杉山 三薬 『この一句』  この句が投じられたのは、令和6年1月13日、土曜日の酔吟会のことだった。前日1月12日の日経平均の終値は3万5577円、前年12月29日、大納会の終値が3万3464円だったから、およそ2110円の値上がりになる。ちなみに令和5年に株価は7470円ほど上昇した。それと比較しても結構な値上がりぶりで、よって「ぬくぬく」となるわけだ。  その理由づけは日本企業の稼ぐ力が強化されたとか、円安の進行によるとか、いろいろある。ゼロ金利からの出口戦略を決断できない日銀の腹の内を見透かして、ということも。昨年、物価はかなりの勢い、幅で上昇し、賃金もまた上昇した。だが、昨今の実質賃金はマイナスなので、庶民は「ぬくぬく」というわけにはいかない。  と書いて来て思い当たった。「ぬくぬくしているのは株価だけではない。パーティー資金を懐に入れた安倍派の幹部、五人衆などがもっとぬくぬくしていたのではないか」と。付言すれば、パーティー券を買った企業や経済団体のお偉方は「ぬくぬく」なのか「ひやひや」なのか。ともあれ、俳句も乙に澄まさず、もっと政治や経済のことを取り上げていい。 (光 2024.01.18.)

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街道に千の寿ぎ初吟行      向井 愉里

街道に千の寿ぎ初吟行      向井 愉里 『合評会から』(日経俳句会・番町喜楽会合同七福神吟行)      水馬 千寿七福神ですから。この句が一番きちっとまとまっているかなと。 方円 千住と千寿で縁起が良さそう。初吟行の場として、ふさわしかったかも。 双歩 「千寿」を織り込んだ句の右代表として。 迷哲 地名表記は江戸時代から「千住」だが、「千寿」も祭礼などの吉祥名として使われてきたという。ちなみに近辺の学校名はみな「千寿」。初吟行らしい目出度さが伝わる。           *       *       *  日経俳句会と番町喜楽会合同の新年恒例初吟行は七福神参り。今年は七草に千住界隈を巡ることとなった。老老・句友十九人が千住駅前に集合、二万歩近い下町道中を繰り広げる。千住には江戸四宿の一つとしてのイメージ(ちょっと猥雑?)を句友一同が持っていたようだが、今や東京芸大をはじめ学園地区に変貌していたのにみな驚いていた。それでもあちこちに日光街道の面影を残し下町情緒も大いに味わえた。  上記の句は措辞に千住の吉祥呼名「千寿」を持ち込んでいる。中七を「千の寿ぎ」としたところが七福神吟行らしく、新年のお祝い気分十分の句となった。実際、旧街道沿いは江戸時代を偲ぶ「よすが」となる紙屑問屋や問屋場跡、二百数十年続く骨接ぎ医院などがあり、一行に多くの句材を提供した。 (葉 2024.01.16.)

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丸い背を北風のせいと言ひ歩く  山口斗詩子

丸い背を北風のせいと言ひ歩く  山口斗詩子 『この一句』  誰にだって見栄がある。ことに歳を取って身体のあちこちが傷んできたり、白髪がめっきり増えたり、シワやたるみが出たり、ハゲて来たりすると、それを少しでも目立たないようにと苦心する。そうした老化現象はいくら苦心しようが隠しおおせるものでは無いのだが、何とかしたいのが人情だ。  そこにつけ込んだ健康食品が嫌というほど売り出されている。製薬会社や食品メーカーがあれこれ薬効を並べ立て、医薬品のように装って宣伝販売にこれ努める。「健康で長生き」は人間誰しもの願いだから、こういう“まゆつばモノ”が無くなることはない。当然のことながらそうしたものが効き目を顕すことはまず無い。しかし、それを飲むとなんとなく効いてきた気分になってくるから厄介だ。「一ヶ月分6千円を初回特典3千円」といったところが、こうしたものの相場のようだが、こういうものにハマると一種類で止まることはなく、どうしても二種類、三種類となる。かなりの出費となるが、これも年寄りの見栄のしからしむるところである。  だが、「見栄」こそ老化防止の特効薬という説もある。白髪もシワも、背中が曲がっても何も気にしないというのは、「もうどうでもいいや」ということで、老化は一気に進んでしまう。見栄あればこそ生きる力が生まれるというのだ。  この句の作者のように「背中が丸くなってるのはね、北風を少しでも避けるためなのよ」と、人にも、そして自分自身にも言い聞かせながら歩く。この見栄というか気概こそ、…

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全集に朱文字の値札空つ風   玉田 春陽子

全集に朱文字の値札空つ風   玉田 春陽子 『合評会から』(日経俳句会) 迷哲 青空市で古本を並べて売っている情景でしょう。昔は高かっただろう全集が紐で縛って置いてあり、赤の安い値札がついている。本の置かれた今の状況と空っ風の雰囲気が合っていると思いました。 可升 朱文字の値札を貼った全集はあまり見たことがないですね。古本屋は赤字で書いたりはしないのでは……。 雀九 全集に朱文字の値札までは良いのですが、なぜ空っ風なのか。俳句のためにくっつけた感じがして採りませんでした。 明生 朱色の値札がついているので、なかなか売れない全集でしょう。しかし書店主にすれば、ぜひ読んで欲しいと思っている自慢の本ではないでしょうか。そんな感じが季語の空っ風に表れています。 百子 古本屋の値札俳句は、よくありますが……。同じ作者かな? 空っ風が吹きさらしの平台に乗っている全集に当たっているのですね。 定利 神保町の古本屋のガラス越しに良く見ました。寒さに震えながら。 弥生 季語が誘う古書街の空気感が漂っています。 戸無広 古本と空っ風との取り合わせがマッチしています。 健史 書籍に対する愛情表現の変化球でしょうか。           *       *       *  類句がありそうな気もするが、立派な装丁の全集が無造作に縄でからげられ空っ風に吹き曝されているとは、“活字離れ”の世相をよく表している。 (水 24.01.12.)

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冬すみれ城の名残の野面積    星川 水兎

冬すみれ城の名残の野面積    星川 水兎 『この一句』  暮に行われた日経俳句会合同句会で高点を得て一席に輝いた句。この句、人気を博する要素は多いが、なんといっても季語「冬すみれ」の働きが大きい。春の季語「菫」は、可憐で慎ましやかな花。冬に咲く菫は、さらに清楚ではかなげ。万物枯れてしまった冬ざれの景色の中にあって、一際愛らしい存在だ。掲句一読、読者はその可愛らしい「冬すみれ」の魅力にたちまち虜になる。しかも、咲いている場所は城跡の石垣、それも野面積の石垣の間に咲いているというのだ。舞台装置としてこれほど似つかわしいロケーションはないだろう。  野面積とは自然石を加工せずに組む石垣のこと。石の組み方としてはもっとも原始的で歴史も古い。出っ張りや隙間が多く、よじ登りやすいという築城上の欠点はあるが、水はけが良く大雨に強いなどの利点があるという。城とは限らず地方の傾斜地などでは、素人でも組める野面積の石垣はよく見かける。野面積は好きな句材だという俳人の黛執は句集『野面積』に「石一つ脱て遅日の野面積」、「竹馬の凭れてをりし野面積」という句を納めている。  可憐な冬すみれと、素朴な野面積との取り合わせがなんとも絶妙で、魅力的な一句となった。 (双 24.01.10.)

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寛解や姪のおごりの薬喰     金田 青水

寛解や姪のおごりの薬喰     金田 青水 『この一句』  一読して「姪のおごり」の中七に清新さとリアリティーを感じて、点を入れた。俳句に登場する家族は、夫妻に父母、子や孫がほとんどで、甥姪はめったに見ない。その意外感が清新さにつながったのだろうが、妻子より血縁の遠い姪までが、寛解を祝ってくれたことに、作者の喜びの大きさが伝わってくる。  寛解とは病気の症状が一時的に軽くなったり、消えたりした状態を表す。完治とは違い、再発のリスクはあるが、患者や家族にとっては、何より嬉しい知らせである。その寛解祝いに、体力を回復するよう姪が肉料理をごちそうしてくれた。おごってくれるのだから、社会人の姪であろう。となると薬喰も牡丹鍋といった和食系ではなく、おしゃれなレストランでのジビエ料理が想像される。可愛がっている姪にご馳走してもらい、相好を崩している叔父さんの笑顔が浮かび、心が温まる。  句会では「姪に唐突感がある」という指摘があった。妻や娘ならよく分かるが、なぜ姪なのか、しっくりこないという訳だ。作者の弁によれば、実は作った句で、「嫁も妻も考えたが、姪が俳句としておさまりが良かった……」とのこと。一同大笑いとなったが、姪との距離感によって、あり得ると思った人と、嘘っぽいと感じた人に分かれたようだ。 (迷 24.01.08.)

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最終版降ろし屋台のおでん酒   中村 迷哲

最終版降ろし屋台のおでん酒   中村 迷哲 『季のことば』  おでんの恋しい季節である。それにしても異常な温暖化が常態化しつつある。季節が夏と冬の二つになるのではないかと、専門家の間で囁かれている。鍋料理をはじめ冬の食べ物好きには好都合など、呑気なことを言っていられない。人類の所業による地球の熱発は、この先いったいどんな世界をもたらすのか分からない。  掲句の作者は日経新聞編集局の整理部(現在は名前が変わっている)に長く勤め、筆者の同僚でもあった。記者が書いた記事に見出しを付け、紙面に仕立てるのが整理部の仕事。朝刊編集の場合は深夜作業となる。最終版を組み上げ印刷に回すのは当時午前1時半ごろ。やれやれと夜食を摂りに大手町の社屋を出ると屋台が出ている。ラーメン、おでん、各種のつまみがあり、缶ビールやカップ酒で一夜の疲れを癒す。〝大手町カルチエラタン〟などと洒落た呼び名もあり、近くのホテルを定宿にしている外国航空のCAたちも顔を見せたりしていた。こうした屋台が平成令和の世知辛い世で生きながらえるのは無理。いまはもうない懐かしい風景だ。  作者はその想い出を「おでん酒」に込めた。新聞社OB、現役その他で構成する日経俳句会で高点を得たのは当然と言えば当然。「おでん」と「屋台」は付き物でも、そこに「最終版」が加われば句友のノスタルジーをかき立てるのに不足はなかった。 (葉 24.01.06.)

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福寿草置けば日のさす出窓かな  廣田 可升

福寿草置けば日のさす出窓かな  廣田 可升 『季のことば』    「福寿草」は、花の少ない寒い時季に黄金色の可憐な花を地面近くに咲かせる。「元日草(がんじつそう)」や「朔日草(ついたちそう)」の別名もあり、福と寿という目出度い字面も相まって新年を言祝ぐ季語だ。  江戸時代から正月の飾り物として赤い実などと一緒に寄せ植えした鉢を売っていたという。昔は旧暦だったので、正月のころになんとか福寿草の開花が間に合ったが、新暦の現在では、正月にはまだ咲いてないので、花屋に並んでいる福寿草はハウス栽培ものだ。  54歳で亡くなった日野草城は、50歳の正月に「福寿草平均寿命延びにけり」と詠んだ。大手保険会社の人事部長などを歴任したものの、肺結核を患い退職。収入も途絶え、緑内障で右眼を失明するなど不遇な時期だ。厚生労働省の平均寿命の推移によると、その頃(1955年)の男の平均寿命は63歳。当時、病床にあった草城は平均寿命が大いに気になったことだろう。ちなみに、2022年の男の平均寿命は81歳だ。  閑話休題。掲句は、正月にふさわしい明るい一句。福寿草の鉢物を日の差す出窓に置いたということを、まるで福寿草を置いたから日が差してきたかのように詠んでいる。因果関係を逆に置き換えたことで、ちょっとした可笑しみが生じ、俳諧味ある佳句となった。 (双 24.01.05.)

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転寝や夕刊の来ぬ三が日     須藤 光迷

転寝や夕刊の来ぬ三が日     須藤 光迷 『この一句』  さし当たってすることのない正月。せめて新聞でもあれば読みふけることが出来るが、1月2日の朝刊はなく、夕刊たるや暮れの29日から1月3日まで休刊。一般読者であっても手持ち無沙汰を感じるところであるが、この句の作者は現役をリタイアした元新聞人。新聞の来ない日は、ことさら寂しく、退屈が昂じて、つい「転寝(うたたね)」をしてしまうのだろう。  私事ながら、紙媒体の新聞を読まなくなってから久しい。会社人間だった頃、一年のうち三分の一くらい出張する羽目になり、宅配の新聞をほとんど読めなくなってしまった。おりよく各紙が電子版を始めたので、これ幸いと乗り換えてしまった。何よりも、海外でも日本の新聞が読めるのが有り難かった。当初はノートパソコンで読んでいて不便なこともあったが、その後はタブレットで読むようになり、今も電子版を購読している。  そんなわけで、実感として、この句の気分を共有することは出来ないが、ある懐かしさとともに共感することは出来る。ご自身の役目か、奥さんの役目か、朝夕ポストに新聞を取りに行くのは、生活にメリハリを与える習慣で、なかなか良いものである。ましてや元新聞人である作者には、刷り上がったばかりのインクの匂いに、特別なものを感じるのではないだろうか。 (可 24.01.04.)

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