保父の引く荷車の子ら冬日和 高井 百子
保父の引く荷車の子ら冬日和 高井 百子
『この一句』
我が家は丘の上にあり、石段を下ったところに車道が通り、それに面して公園がある。そこに毎朝と午後、近所の保育園の園児がやって来る。年長の子は歩き、小さな子は箱車に立ったまま詰め込まれて運ばれて来る。近頃は保母さんだけではなく保父さんの姿も見受けられるようになった。
幼児とは言え、5,6人まとまれば大人と同じくらいの重さになろう。それに箱車の重さが加わる。この句の作者は「荷車」としており、もしかしたら10人くらい詰め込んだ大型もあるのかもしれない。とにかく細っこい保母さんでは引くのも押すのも大変なようで、保父さんだと安心して見ていられる。
遅起きの私が散歩に出ると、この箱車によく出くわす。これが10数年たつと殺人強盗屁とも思わないワルになるなどとはとても思えない、いずれも実に可愛らしい様子である。孫のいない私ら夫婦にはこんな子がいたらと、実に羨ましい。家内は箱車についてしばらく歩くほどである。
この句はなんと言っても「冬日和」の季語を置いたところがいい。冬日和は「冬晴」という季語の傍題で、寒の最中の温かい日差しを詠むことが多いが、この句は11月末から12月の小春日和を感じさせる。
女がぐんと強くなった昨今、若い男がどんどん優しくなっていく。この句の保育車を引く保父さんも瓜実顔のイケメンなのだろう。
(水 23.12.07.)