叡山を下りて俗世のおでん酒  溝口 戸無広

叡山を下りて俗世のおでん酒  溝口 戸無広 『合評会から』(日経俳句会) てる夫 俗世という措辞で無条件に頂きました。 而云 単に叡山へ登っただけ。そして山から下りて来て、少し気取って俗世と言ったんだ。 双歩 山登りして、軽いノリで俗世と言った。 迷哲 お参りして少し心が浄められたが、下界に来るとおでんと酒が待っていた。 雀九 京都から東京まで戻って来たのかも。 健史 おでんを召し上がったのは出町柳界隈でしょうか。それとも一乗寺?想像が膨らむ句です。 方円 確かにおでん酒は、俗世そのものです。           *       *       *  皆さん語っているように、「俗世」と気取ったところが面白い。日頃、濁りきった世界にどっぷり浸かっている身だが、比叡山に登って、澄んだ山気を吸い込み深呼吸しているうちに、なんとなく清められた気分になってきた。  そして下山。飛び込んだ先がおでん屋というのが愉快だ。大根だ竹輪だがんもどきだと追いかけているうちに、たちまちメッキがはがれ、元の木阿弥である。一時間もたてば、「こちとら色即是色といこうじゃねえか」なんぞと訳のわからぬことを吠えている。 (水 23.12.18.)

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菜食の妻には告げぬ薬喰     前島 幻水

菜食の妻には告げぬ薬喰     前島 幻水 『合評会から』(番町喜楽会) 青水 小市民的な心情と季語の持つ暴力的な力が合わさって、緊張感あふれる作品になっています。 百子 菜食の奥さんなら、ご亭主が外で何を食べようと「勝手にして」ということじゃないかと思うのですが、それでもあえて奥さんに申し訳なく思う作者の気持ちに一票投じます。 迷哲 この人は恐らく恐妻家ではないでしょうか。似たような境遇の者としての同情と、句のおかしみへの共感から採りました。 水馬 あまりシリアスなことを考えて詠んだのではなく、いたずらっぽく詠んでみた句ではないでしょうか。 木葉 ベジタリアンの奥さんに獣肉を食べに行くなどとは言えません。遠慮と気遣いが見られ、これも夫婦愛でしょう。           *       *       *  作者の奥さんは、かつては肉食をされた方だが、体調を崩され手術をされてから菜食になったとのこと。それ以来、作者は、外で美味いものを食って来たよなどと、家に帰って来て話さないようになったとのこと。  それを話したからといって、そんなに大ごとになるわけではないだろう。だが、恐妻のゆえではなく、あえてそれを口にしない事は、木葉さんご指摘のとおり、夫婦愛のひとつの形に違いない。ごちそうさまです、幻水さん! (可 23.12.17.)

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薬喰ちらとかすめる診断日    向井 愉里

薬喰ちらとかすめる診断日    向井 愉里 『合評会から』(番町喜楽会) 白山 診断日に何を言われるか心配しているのでしょう。年をとっても食べたいものは食べたいですよね。 光迷 持病が悪化しそうな感じがあって、昨日はMRI、今日は脳のCTスキャン。そういうことではなく、やはり冬場だから元気をつけないという読み方もありますね。 斗詩子 まだ診断が出たわけじゃなし、気にはなるけど今はパクパク食べてもよいではないかと開きなおったかな。 迷哲 「診断日」という言葉が少しなじまないですね。「診察日」とか、健康診断なら「健診日」などの方がいいかもしれません。           *       *      * 新聞社に勤める作者には年一回、会社の健康診断がある。胸部レントゲン、心臓検診、採尿など基本的な検査を行う。さすがに身長・体重測定こそないだろうが、忙しい業務を縫って必ず受診するよう上司が促す。後日「要再検査」の結果が出たりしたら、煩わしいよりも心配事がひとつ増えることになる。この句はその間の心理状態を詠んだとみた。健診日二、三日前から禁酒したり高カロリー食を控えたりして準備する者も。酒徒を自認する作者には数値異常などを気にする気配が薄い。「やはり気になる」ではなく「ちらとかすめる」程度だ。こってりしたすき焼きもノープロブレム! (葉 23.12.16.)

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駆ける子のあとさき銀杏落葉かな  水口 弥生

駆ける子のあとさき銀杏落葉かな  水口 弥生 『この一句』  冬を感じさせる景物の最たるものは「落葉」であろう。木の種類や、暖地、高冷地など地域によっての違いはあるが、十一月から十二月にかけて木々の葉は紅葉黄葉し、あるいは茶色くなって散り出す。  それを見て人々は年の瀬の迫り来るのを感じ、焦燥感を抱く。高齢者ともなれば我が身の弱りを重ね合わせてそぞろ心細さにとらわれる。対照的に、元気横溢の子供たちにとっては木の葉の舞落ちるのが面白い。日を浴びながら美しく光りながら降って来るのが玄妙不可思議に映るのか、舞散る落葉に両腕を広げて走り出したりする。  落葉にもいろいろあるが、銀杏落葉ほど印象的なものは無かろう。神宮外苑でもいい、上野公園でもいい。あるいは近所の公園でもいい。大きな銀杏の木のある広場の十二月は実に見ものだ。これでもかというほどの勢いで降って来る。たちまち地面を覆い尽くし、遠目には黄色い絨毯を敷き詰めたようになる。  これがまた子供たちには遊びのタネになる。銀杏落葉はとても滑りやすい。アスファルトの路面に降り積もったところに車が通ると、スリップ事故を起こすこともある。車の来ない公園では積もった銀杏落葉目掛けて男の子が「滑りっこ」に興じる。しかし、時たま雌の銀杏の木があって、熟したギンナンをぼたぼた落としていたりすると大変だ。ズボンのお尻になんとも言えない臭気を発散する果汁がべっとりついて、皆にからかわれ、泣きべそをかいたりしている。 (水 23.12.14.)

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湯豆腐や相棒おらず湯気ばかり  藤野十三妹

湯豆腐や相棒おらず湯気ばかり  藤野十三妹 『この一句』  湯豆腐という鍋物は、一人か二人で食べるイメージが強い。小鍋仕立で一人酒の肴としたり、恋人や夫婦差し向かいで味わう場面が浮かぶ。大人数になれば、やはり寄せ鍋とか水炊きとか、具材の多い鍋が選ばれるであろう。  掲句は、ひとりで湯豆腐鍋に向かう人を詠む。下五の「湯気ばかり」の措辞が心に響く。以前は鍋の向こうに相棒がいて、おしゃべりしながら食べたのに、いま目にするのは湯気ばかり。愛する者を失った悲しみが、じんわりと伝わってくる。  作者は一年半ほど前に、長年連れ添ってきた相棒(夫)に先立たれた。これまでに詠んだ句は「老夫ありし去年の師走のなつかしき」、「亡き人の故郷遠し夏の月」など追悼の句が大半だ。掲句もそれに連なるものだが、どこか吹っ切れた感じがある。「相棒おらず湯気ばかり」の言い回しには、自分を客観視し、一人で鍋の前に座る姿を面白がる俳味も漂う。  亡くなった夫の埋葬先の調整、遺産相続の手続きと、この一年半は後始末に追われる日々だったと聞く。そうした年月を経て、悲しみは胸の奥底に沈潜し、少しずつ前を向き始めた作者の心境を映した句ではなかろうか。「久保田万太郎の句『湯豆腐やいのちの果てのうすあかり』の続編みたいだ」という大澤水牛氏の句評を添えておこう。 (迷 23.12.13.)

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銭湯を出て振り仰ぐ冬の虹    金田 青水

銭湯を出て振り仰ぐ冬の虹    金田 青水 『合評会から』(酔吟会) 愉里 席題の「銭」から「銭湯」を詠んだのでしょうが、「冬の虹」の季語できれいな句になったと思います。 光迷 冬の虹ですから、そんなに長い間空に掛かっているわけでも、色濃いわけでもないと思います。わが家の近くにジャグジーなどもある銭湯ができ、午後二時ころからやっています。二階にはあたりを展望できる場所もあり、虹も見られそうです。 双歩 風呂上がりのほっこりした気分で振り向いたら、虹が出ていた。小さな幸せを詠んだいい句ですね。 青水(作者) 「銭」のお題が出た時、「銭湯でもいいの」と尋ねた手前、「銭湯」で一句詠みました。           *       *      *  小春日の午後あるいは夕方の、おだやかな気分の溢れる、いい句である。冬の虹は夏の虹と違い、くっきり大きく出るわけではないだろう。しかし、予想しえない素敵な贈り物ではある。銭湯は減り続けているようだが、郊外の住宅街にもサウナやジャグジー、さらにくつろぎ談笑できる空間など設備を充実した入浴施設が登場してきた。ここで近隣の輪が広がり、また和が高まれは、嬉しい限りではないか。 (光 23.12.11.)

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しくじりし日々の記憶やおでん喰ふ 廣上正市

しくじりし日々の記憶やおでん喰ふ 廣上正市 『合評会から』(日経俳句会) 実千代 若い日への追憶か。おでんを食べてほっとした気持ちが伝わります。 迷哲 おでんは昔を思い出すよすがとなる。苦い記憶がおでんらしい。 水牛 おでんはいろんな物が入っていて、連想を呼ぶからか、あれこれ思い出す。しみじみ振り返っている感じが、おでん酒にぴったり。 青水 苦い記憶とおでんを取り合わせて成功している。 百子 おでんは母の味であり、記憶を呼び起こすのですね。 ヲブラダ もちろんこれは一人酒でしょう。鮨でも洋食でもしくじりの振り返りはできません。 卓也 置き忘れていた古傷を呼び覚ます感覚。 早苗 おいしいもので忘れられるとは、ありがたいと改めて思いました。 木葉 誰にも数えきれないほどある失敗の経験。おでんを食べながら一つひとつが脳裏を駆け巡る。 枕流 おでん鍋を前にすると、ああすれば良かった、こうすれば良かったと思い出がよみがえるのは何故でしょう。           *       *       *  句会で最高点の句だが、反対意見もだいぶあった。「涙、しんみり気分が気に入らない」「喰ふが気に入らない。おでん酒でいい」「日々というのが嫌」 「おでんにしくじりとか寂しい思いなんて、全くそぐわない」等々、いずれも納得できる。それにしても「おでん」人気は根強いなあと思う。 (水 23.12.10.)

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只今の声より先に北の風     田中 白山

只今の声より先に北の風     田中 白山 『季のことば』  異常に気温の高かった十一月が終わり、十二月の声を聞くとやはり季節は正直である。  急に冷え込むようになって、朝晩の寒さはことに身に沁みる。〝亜熱帯日本〟にもまだ冬はあったのだと、少し安堵する。紅葉の見ごろが例年より一週間か十日ばかり繰り下がったため、この秋は各所で紅葉狩りの混雑が続いた。テレビなどで見る限りインバウンド客が主役をつとめ、京都・嵐山や清水寺は芋を洗うような雑踏だった。  ようやく北風が吹くようになってきた。東北や北海道では一気に真冬になり、すでにかなりの積雪を記録した。ホワイトアウトといわれる、二十メートル先が見えない吹雪も起きている。ちょうど良いという「ほどのよさ」がなかなかないのが自然である。  この句は冬の到来を人声と体感で表し、なるほどと納得させる。家族の誰かが帰宅したのかピーンポーンとインタホンが鳴った。作者はドアを開けに玄関先に出なければいけない。暖かい居間から出て、いそいそとドアの取っ手を押すと、瞬間的に冷たい北風が身体を吹き抜ける。ちょっと遅れて「ただいま」の声。聴覚に先んじる体感を詠んで面白い。この場面は、たとえば秋に玄関を開けると同時に、金木犀の香が入って来る感覚にも似ているが、北風の冷感はマイナスの皮膚感覚であるせいか、よりインパクトが強い。「只今」はひらがながいいと思うのだが。 (葉 23.12.08.)

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保父の引く荷車の子ら冬日和   高井 百子

保父の引く荷車の子ら冬日和   高井 百子 『この一句』  我が家は丘の上にあり、石段を下ったところに車道が通り、それに面して公園がある。そこに毎朝と午後、近所の保育園の園児がやって来る。年長の子は歩き、小さな子は箱車に立ったまま詰め込まれて運ばれて来る。近頃は保母さんだけではなく保父さんの姿も見受けられるようになった。  幼児とは言え、5,6人まとまれば大人と同じくらいの重さになろう。それに箱車の重さが加わる。この句の作者は「荷車」としており、もしかしたら10人くらい詰め込んだ大型もあるのかもしれない。とにかく細っこい保母さんでは引くのも押すのも大変なようで、保父さんだと安心して見ていられる。  遅起きの私が散歩に出ると、この箱車によく出くわす。これが10数年たつと殺人強盗屁とも思わないワルになるなどとはとても思えない、いずれも実に可愛らしい様子である。孫のいない私ら夫婦にはこんな子がいたらと、実に羨ましい。家内は箱車についてしばらく歩くほどである。  この句はなんと言っても「冬日和」の季語を置いたところがいい。冬日和は「冬晴」という季語の傍題で、寒の最中の温かい日差しを詠むことが多いが、この句は11月末から12月の小春日和を感じさせる。  女がぐんと強くなった昨今、若い男がどんどん優しくなっていく。この句の保育車を引く保父さんも瓜実顔のイケメンなのだろう。 (水 23.12.07.)

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神の旅成層圏はいつも晴    玉田 春陽子

神の旅成層圏はいつも晴    玉田 春陽子 『この一句』  季語は「神の旅」。陰暦十月には、日本全国の八百万の神がすべて出雲大社へ参集する。そのために、出雲以外の土地は「神無月」となり、出雲は逆に「神在月(神有月)」となる。この神々の移動が「神の旅」である。由来のよくわからない俗説という見方が多いが、こんな面白い話を手ばなすことはない。  それにしても、なぜ神々は出雲に集まるのか?日本を統合したのが大和政権であるとすれば、権力を笠にきて大和や伊勢に集めるのが筋じゃないかと思わないでもない。もしかすると、キリスト教の「皇帝(カエサル)のものは皇帝に、神のものは神に」と同じように、地上の権威と天上の権威を、大和と出雲で分けたのだろうか、などと妄想が働く。  「成層圏」は、地上を取り巻く対流圏の上、10キロから50キロくらいの上空で、雲がないためにいつも晴れの状態である、と国交省のサイトにある。航空機が飛ぶのは、この対流圏と成層圏の境界あたりで、気球はまさしく成層圏を飛ぶらしい。  この句は、なによりも「成層圏はいつも晴」ときっぱり読み切った清々しさが持ち味である。ベテランの詠み手である作者は、もちろん「晴れ」などと送り仮名はつけない。「晴」の一文字が潔くていい。うがって読めば、いつも晴れの成層圏を旅する神々が、下界の争いを見て、「相変わらず阿呆やなあ、人間は」と言っているのかも知れない。 (可 23.12.06.)

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