雨やみて蜩の声米を研ぐ 中野 枕流
雨やみて蜩の声米を研ぐ 中野 枕流
『この一句』
時間の経過を音で表現した味わい深い句である。秋とはいえ残暑厳しき頃、夕立が通り過ぎた。雨が止むのを待っていたかのように、カナカナという蜩の声が聞こえてくる。そうだ夕飯の支度をしなければと気づき、台所で米を研ぎ始める。そんな日常の営みが、淡々と叙述されている。
蜩は朝夕に鳴くが、名前の由来の通り日暮に聞く声が、もの悲しさを感じさせ趣がある。その蜩の声に、米を研ぐという暮らしの場面がしっくり調和している。句会には蜩と味噌樽や宅配チャイムを取合せた句も出された。「かなかなという虫は生活と繋がっている、生活臭がある」(鈴木雀九)との句評に思わずうなずいた。
蝉の声はアブラゼミに代表されるように、騒がしくうるさく感じるものが大半だ。しみじみとした感じを抱くのは蜩と法師ゼミであろう。ツクツクボウシが少しせわしなく、生き急いでいるように聞こえるのに対し、カナカナカナと空に消えて行く蜩の声は、聞く人に様々な思いを抱かせる。蜩と生活の場面を取合せた句がいくつかあったのも、蜩のもの悲しい声を聞いたがゆえに、暮らしの中の確かなものを取合せたい心理が働いたのではなかろうか。
作者は米を研ぐ行為を取合せた意図を、「雨のざあざあ、蜩のかなかな、そして米を研ぐシャカシャカという音だけで表現したかった」と自解している。それを聞いて句を読み返すと、時間の経過にそれぞれの音が重なり、一段と味わいが深まる。
(迷 23.10.17.)