秋の日や塩飴残るガラス壜    谷川 水馬

秋の日や塩飴残るガラス壜    谷川 水馬 『合評会から』(酔吟会) 春陽子 今年の夏は暑くて塩飴をたくさん買ったけれど、涼しくなって残ってしまった。身近なところをさりげなくうまく詠んだ句です。 光迷 透明なのか、薄い水色なのか、塩飴の入ったガラス壜に夕日がさしている、駄菓子屋の店頭を思い浮かべました。ちょっと寂しいけれど明るいいい句です。 青水 僕は普通の家の茶の間に置かれたガラス壜を想像しました。「塩飴残るガラス壜」と季語の「秋の日」がぴったりはまっています。 百子 「秋の日」は秋の日差しの意味と受け取りました。出窓のようなところに置かれたガラス壜に、秋の日がさしている光景が浮かびます。残った塩飴が夏の余韻を感じさせます。 鷹洋 夏は塩飴を舐めて青息吐息で過ごしたけれど、涼しくなり、残った塩飴に「ようやく秋になった」という実感が表れています。 水牛 「秋の日」には天文の意味と時候の意味の二通りの解釈があるのだが、この句は両方の解釈が可能なめずらしい句です。「あゝ、夏が終わったんだ」という感じがよく出ています。           *       *       *  上の選評でこの句の良さは言い尽くされていて、新たに付け加えることはないが、あえて言えば、「ガラス壜」という表記がなんとも快いという気がする。「ガラス瓶」「硝子壜」のような表記も考えられるが、「ガラス壜」の表記が残った塩飴に相応しい気がする。少し厚めで、中の塩飴が歪んで見えている、そんな器を想像した。かと言…

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