かなかなの勤行に和す山の寺   中村 迷哲

かなかなの勤行に和す山の寺   中村 迷哲 『合評会から』(日経俳句会) てる夫 勤行の山の寺と舞台を説明して、よく情景が見えて来るところが良いですね。ちょっと類句がありそうですが、きちんと説明しているところが良い。 豆乳 実家の菩提寺は山寺で別名カナカナ寺。蜩の声でお経がよく聞こえませんでした。 戸無広 かなかなと勤行とのハーモニーが上手に表現されています。 弥生 蜩の声が神の声とも聞こえる別格の空間に身を置いている心地よさ。 操 読経と蜩の鳴く声が和して山寺に響く。自然が織りなすハーモニー。 守 蜩の大合唱と読経が響きあうという組み合わせは、いかにも類句がありそうですが、いただきました。           *       *      *  作者の父君の実家が寺で、山懐にあり、四六時中蝉が鳴いているのを子供の頃から聞いていたという。句会では「類句あり」という声が二三あったが、それでもとても評判が良く高点を得た。  「類句あり」とは、これまでに似たような句が詠まれており二番煎じだよ、というイエローカードである。しかしこれは同じような情景に目を止め、同じような思いを抱く人が多いということで、それを句にすると「前にどこかで見たような」ものになる。しかし、そうした句には気安さというか、ほっとしたやすらぎが感じられる。「類句がありそうだけどいい」という句が此の世にはゴマンとある。気にすることもあるまい。これを意識して行う本歌取りという手法もある。 (水 23.10.11.…

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ぶだう狩つま従へるつまのこゑ  金田 青水

ぶだう狩つま従へるつまのこゑ  金田 青水 『この一句』  詩歌や古典文学に馴染みの薄い人にとって、この句は奇異に感じられるかもしれない。原因はふたつの「つま」にある。俳句では、妻はもとより夫もつまと読む。そこで作者は「前と後ろのどっちが男でどっちが女?」と謎々遊びを仕掛けたのだ。昨今のジェンダー論議などを背景に。そこが理解されないと、この句の面白さは失せてしまう。  そういう、相聞の時代からの語源、万葉の和歌でも江戸の俳諧でもという経緯はさておき、「つま」の句には心に沁みるものや諧謔に富むものが色々ある。例えば「夫恋へば吾に死ねよと青葉木菟」(橋本多佳子)であり、「定位置に夫と茶筒と守宮かな」(池田澄子)である。「除夜の妻白鳥のごと湯浴みをり」(森澄雄)も印象深い。  俳句は花鳥諷詠、なかんずく写生、といわれることが多い。それも確かなのだが、そればかりではない。人間模様を描き出した句も多い。銭を数える先生の姿を描いたり、子供に歯が生え始めた喜びを詠ったり、実に豊かなのである。恋や病気の俳句もその仲間に入るだろう。秋の夜、それらを探訪してみては如何だろうか。 (光 23.10.09.)

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頂は未だ黒々秋の富士      大沢 反平

頂は未だ黒々秋の富士      大沢 反平 『この一句』  朝な夕なに仰ぎ見る富士。その色が今日は美しい、今日は暗い、あるいは山頂や山腹にかかる雲の具合で天候を占ったり、見る人それぞれがそれぞれの物差しを毎日富士山にかざしている。富士山は関東から中部地方の人たちの暮らしと切ってもきれない。いや、日本全国の人たちが一生に一度は登りたい、せめて間近に見たいと願う日本のシンボルである。それが証拠に全国各地の一番の山を「〇〇富士」と名付けている。  作者は長らく千葉市の海沿いに住んでいたから、東京湾越しの富士山を毎日眺め暮らしていた。それで富士の句も詠んでいる。この句もそうした富士遠望の一句だなと軽く見たのだが、どうやら少々違う。「頂は未だ黒々」と、わざわざ強く印象づけるように、富士山のてっぺんの様子を真っ先に掲げている。  毎月欠かさず参加するこの人が、令和5年夏からぷっつり。どうしたのかと思ったら、具合を悪くして入院加療ということだった。幸い本復、風光明媚で温暖な神奈川県三浦市にある老人介護施設に奥さんと二人で落ち着いたという。ほっと一息ついて、久しぶりの投句がこの句である。千葉から東京湾越しに眺める富士山はやはりもやがかっている。三浦半島の諸磯海岸からだと距離的にかなり近くなり、ことに朝日を浴びる富士は鮮明に見える。それで「頂は未だ黒々」の句が成ったのだ。  甲府地方気象台は10月5日「本日富士山初冠雪」と発表した。きっと反平さんは白い帽子を冠った富士山を愛妻と共に心ゆくまで仰ぎ見…

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露しとど重たきラフの二打三打  堤 てる夫

露しとど重たきラフの二打三打  堤 てる夫 『この一句』  ゴルフほど、やる人とやらない人の〝距離〟の大きなスポーツはないと思う。野球やサッカー、バレーボールなど大概のスポーツは学校の授業や部活で体験する。ゴルフはコースに出る前に、高価な道具を買って練習を重ねる必要があるためハードルが高く、未経験のままの人が多い。このためゴルフを詠んだ俳句は経験者の理解を得やすい反面、やったことのない人には分かりにくく、万人に共感される好句は稀である。  掲句は露に濡れたラフに苦しむゴルファーを描く。専門用語はなく、経験のない人にも場面が容易に想像され、その困惑ぶりが伝わってくる。数少ないゴルフ俳句の秀作の一つと思う。  上五に据えた「露しとど」が上手い。それだけで露に濡れそぼつ草のイメージが湧く。「重たきラフ」と続けることで、ゴルフ場の伸びた芝が露をたっぷり含み、ボールの脱出を妨げていることが分かる。秀逸なのは下五の「二打三打」である。濡れたラフがクラブに絡みつき、思うように出ない。ラフからラフへと渡り歩いたりして、二打三打と費やしてしまう。ゴルファーなら誰もが経験していることを、平易な言葉でユーモラスに詠んでいる。  句会では「まったく身につまされる」と経験者からの点が多く入ったが、ゴルフをやらないとおぼしき女性も選んでいた。作者は膝を痛める前は、ゴルフの名手として知られていた。濡れたラフからすんなり一打で出せる腕前だったと思うが、二打三打と苦労した場面を詠んだことで、共感を呼ぶ諧謔味の効い…

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蜩を逆さから聞く股覗き     岡松 卓也

蜩を逆さから聞く股覗き     岡松 卓也 『合評会から』(日経俳句会) 朗 股覗きで上下さかさまで。本当かなって思うくらい面白いアイディア。 而云 股覗きだったら、いろんなものが出て来るけど、蜩を結びつけるっていうのは面白い着想だなあ。 鷹洋 俳句にインパクトを求めるのもどうかなあと思うんですが、この句も大してインパクトはないが、なんとなくそういう意図も・・。しかし面白いと思っていただきました。 ヲブラダ 思わず膝を打つような発想の句。 定利 凄い俳句。面白いです。 三薬 「から」が気に入らなくて採るのをやめました。逆さで聴くなら良いんだけど。           *       *       *  皆々その格好を思い浮かべて面白がった。天橋立股のぞきにヒグラシを取り合わせた作者のウイットに脱帽。あの股のぞきの最中にカナカナカナカナ・・が降ってきたのだ。これは地の底から湧いて来たのか、天上から降ってきたものか。一瞬戸惑いますよねえと問いかけたくなる気分を句にした。  このトントンと運んで、「なるほど、うまいこと言うなあ」と引きずり込む狙いからすれば、三薬氏の言う「から」が気に入らないという評言にもうなずける。すんなりと『蜩を逆さまに聞く股覗き』でいいかもしれない。 (水 23.10.03.)

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秋の日や塩飴残るガラス壜    谷川 水馬

秋の日や塩飴残るガラス壜    谷川 水馬 『合評会から』(酔吟会) 春陽子 今年の夏は暑くて塩飴をたくさん買ったけれど、涼しくなって残ってしまった。身近なところをさりげなくうまく詠んだ句です。 光迷 透明なのか、薄い水色なのか、塩飴の入ったガラス壜に夕日がさしている、駄菓子屋の店頭を思い浮かべました。ちょっと寂しいけれど明るいいい句です。 青水 僕は普通の家の茶の間に置かれたガラス壜を想像しました。「塩飴残るガラス壜」と季語の「秋の日」がぴったりはまっています。 百子 「秋の日」は秋の日差しの意味と受け取りました。出窓のようなところに置かれたガラス壜に、秋の日がさしている光景が浮かびます。残った塩飴が夏の余韻を感じさせます。 鷹洋 夏は塩飴を舐めて青息吐息で過ごしたけれど、涼しくなり、残った塩飴に「ようやく秋になった」という実感が表れています。 水牛 「秋の日」には天文の意味と時候の意味の二通りの解釈があるのだが、この句は両方の解釈が可能なめずらしい句です。「あゝ、夏が終わったんだ」という感じがよく出ています。           *       *       *  上の選評でこの句の良さは言い尽くされていて、新たに付け加えることはないが、あえて言えば、「ガラス壜」という表記がなんとも快いという気がする。「ガラス瓶」「硝子壜」のような表記も考えられるが、「ガラス壜」の表記が残った塩飴に相応しい気がする。少し厚めで、中の塩飴が歪んで見えている、そんな器を想像した。かと言…

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