木犀の金銀の香を拾ひけり    嵐田 双歩

木犀の金銀の香を拾ひけり    嵐田 双歩 『この一句』  夏の暑さに強いといわれる金木犀が強い匂いを放っている。この夏の熱暑は気象の常識を超えるものであった。10月に入っても各地で夏日を記録する日が少なくない。地球の異常気象はいったいどこまで続くのかと、思いやられる昨今である。この熱暑がどう影響したのか、今年の金木犀の匂いの強さは半端でない。筆者の家と隣家の境は金木犀の垣根だが、花の粒はことに大きい。ただ「トイレの匂いを思わせるので苦手」という人もいたのにはちょっと驚いたが、筆者はこの芳香が好きだ。  この句の作者も当然、金木犀の香りを好ましく思っている。庭木や公園の樹木、街路樹にも使われるから、作者は散歩の道すがら金木犀の香りを堪能し、そしてこの句ができたとみた。「木犀の…」と頭に置いても、銀木犀ではなく匂いの強い金木犀と受け取れるのだが。この句の巧みさは「金銀の香を拾ひけり」の中七下五にあるだろう。「金木犀の香」だけだと、ありきたりになってしまいそうだ。月並みをよしとしない作者は銀木犀の色香まで句に引き入れた。それによって匂いと色の重層的な句に仕立て上がったと言える。金木犀のオレンジ色、銀木犀の白(または淡い黄色)を読者の脳裏に可視化させる。匂いはもちろんのこと、句に彩りを付ける意図も透けて見える。「拾ひけり」の結語も散歩の途中の拾い物という雰囲気を醸し出しているのではないか。 (葉 23.10.31.)

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野仏を飾るかんざし赤蜻蛉    中村 迷哲

野仏を飾るかんざし赤蜻蛉    中村 迷哲 『合評会から』(番町喜楽会) 百子 最後まで採ろうかどうか迷いました。赤蜻蛉はじっと止まっていることがあまりなく、実景としてはほとんど見ない。想像で作った気がします。 てる夫 こういうこともあるかなと思って。 双歩 赤い帽子と赤い涎かけをしているお地蔵さんだと赤蜻蛉は目立たないので、これは苔むした本物の野仏か。 幻水 野仏に止まる赤蜻蛉をかんざしと詠んだのは詩的で良いですね。 可升 映像的にはきれいですが、僧形で髪の毛のない野仏に「飾るかんざし」の比喩は如何なものか。どうやって挿すのだろう(笑)。 迷哲(作者) 赤蜻蛉が止まっていたのは墓石だったのですが、それじゃ句にならないので野仏に。確かに脚色が過ぎました(笑)。           *     *       *  村外れや峠道などで野仏に出合うことがままある。お地蔵様だったり観音様だったり。その頭に蜻蛉が止まっているのは、長閑な心安らぐ風景だ。作者は「実際は墓石だった」というが、そんなことは気に留める必要はない。「柿食えば鐘が鳴るなり…」の子規の句の寺は、法隆寺でなく東大寺だった、とも。この句に接し、大和路か信濃路か旅に出たくなった。 (光 23.10.29.)

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天高し龍勢の火矢峰を越え    徳永 木葉

天高し龍勢の火矢峰を越え    徳永 木葉 『この一句』  「龍勢」とは埼玉県秩父地方に400年伝わる「龍勢まつり」で打ち上げられる手づくりロケットのこと。松の木をくり抜いて火薬と仕掛けを詰め、山の中腹から打ち上げる。秩父の秋の風物詩で、今年も10月8日に行われた。多くの観光客が刈り入れの終わった田圃にビニールを敷いて見物する。テレビでよく放映されるが、日経俳句会で7年ほど前に吟行で訪ねたことがあり、秋空のもと酒を飲みながら打ち上げを楽しんだ。  掲句はその龍勢の飛翔ぶりを、分かりやすく勢いよく詠む。龍勢を知らない読者を考えて「火矢」の言葉を添え、ロケットのイメージを掴みやすくしている。龍勢は成功すると白煙を引きながら高さ300メートルに達し、唐傘や花火、パラシュートなどの仕掛けを披露しながら落下する。観客席から仰ぎ見ると、あたかも秩父の峰々を越えたかのように思える。  天高しの季語も龍勢とぴったり合っている。龍勢の起源は、戦国時代に広まった狼煙(のろし)が改良されて、農村の神事・祭礼に使用されるようになったとされる。農民ロケットとも言われるように、秋の実りを神に感謝する目的で江戸時代から続いてきた。保存会には27の流派があり、それぞれ趣向をこらした龍勢を製作する。澄み切った秩父の空に、勢いよく上昇する龍勢を見ていると、心が晴れ晴れとしてくる。まさに天高し、秋高しである。 (迷 23.10.27.)

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十月や布巾だけでも新しく    横井 定利

十月や布巾だけでも新しく    横井 定利 『季のことば』  「一月」から「十二月」まで、どの月も季語となっている。例えば「八月」は終戦記念日や原爆忌などがあり、旧盆があり、夏休み真っ盛りなど、その月のイメージが鮮明だ。「十二月」も慌ただしい年の暮れで「師走」と同様に分かりやすい。一方、「十月」や「十一月」は、何となく性格が分かりづらい。一年には概ね三音と四音の月が多いのだが、「十一月」は六音もあって収まりにくい。唯一の五音「十二月」は下五に置きやすく、使い勝手は良い。作句者の勝手な言い分で申し訳ないが、「十月」もさほど季語としての魅力は薄く、作句には苦労しそうだ。歳時記の例句をみても「十月や顳顬(こめかみ)さやに秋刀魚食ふ(石田波郷)」や「十月の力鳴きして法師蝉(森澄雄)」など季感を別に求めている。  掲句はどうだろう。「十月」は晩秋の季語だが、今年は特に暑い日が長く「やっと涼しくなった。秋らしくなってほっとした」などと交わされるほどで、感覚的には〝初秋〟だ。作者が「やれやれ、やっと十月になったわい。せめて布巾だけでも新調して気分を替えようか」となったのも十分頷ける。これが「四月」だったら、カーテンくらい替えそうだ。「布巾だけでも」のつましさがリアルで、生活者の視線が生きている。共感者が多かったのも宜なるかなだ。 (双 23.10.25.)

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名月の町を眼下に最終便     須藤 光迷

名月の町を眼下に最終便     須藤 光迷 『合評会から』(番町喜楽会) 青水 月光をバックに深夜の町を眺め下ろしている光景。久々の帰国でしょうか、それとも、毎週末の最終便でしょうか。詩を感じさせる句です。 水兎 飛行機から見る町の灯りは、なにやら切ないものを感じさせます。ましてや、最終便ですから。 幻水 中秋の名月に照らされた町を、最終便の飛行機から見下ろす。情景がよく伝わってくる句です。           *       *       *  この句を採らなかった人の、「ジェットストリームを思い出した」という評を聞いて、思わず笑ってしまった。評者自身も、「ミスター・ロンリー」のメロディと城達也のナレーションが聞こえて来そうな句だと思ったからである。また、この句を読んで、蕪村の名句「月天心貧しき町を通りけり」と、視線の方向は正反対だが、同趣の句ではないかという感想も持った。  作者によれば、中秋の名月の翌朝、月の中に機影が見事に収まった報道写真を見て、かつて仕事をしていた頃の、出張帰りの経験を思い出して詠んだとのことである。「最終便」はありきたりじゃないかとの評もあったが、「最終便」のもたらす疲労・解放・脱力・安堵などのないまぜになったイメージが、蕪村の「貧しき町」に通底するのではないかと思うのは、うがち過ぎだろうか。「最終便」の情緒に素直に浸りたい句である。 (可 23.10.23.)

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南へと旅立つ蝶や秋高し 中村 迷哲

南へと旅立つ蝶や秋高し 中村 迷哲 『季のことば』  旅する蝶と言えばアサギマダラ(浅黄斑)の事だろう。体長七十ミリほど、 国蝶のオオムラサキ(大紫)に近い大型蝶。濃茶色と青白色の斑模様が鮮やか。 遠隔地の愛好家は、アサギマダラを捕獲すると、その日時、場所などをマーキングして放す。それが次の愛好家の手に渡って「長旅の記録」が手に入る仕組みだ。  本州から沖縄への中継地、九州大分県と四国愛媛県の豊後水道の小島にアサギマダラの休息地がある。そこから沖縄まで、先は長い。本来長旅はしない蝶類だが、千キロ、二千キロの長距離飛行のメカニズムは明らかでない。  筆者の住まいのある長野県上田市は南に飛ぶアサギマダラの根拠地のようである。自宅南の独鈷山、西にある夫神岳、女神岳の周辺では、目撃情報がある。独鈷山麓の農家の自宅からアサギマダラが好む藤袴の株を分けて頂いた。その二、三株が庭の隅で咲き誇っている。三年ほど経ったこの夏から秋にかけてもわが庭に大型蝶の気配はない。残念ながら今年はだめなようだ。  果報は寝て待て、ではないが、信州のどこかに来ているアサギマダラが舞い込んで来るのを来秋までのんびり待つことにしよう。 (て 23.10.21.)

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天高しドロップゴール成功す   前島 幻水

天高しドロップゴール成功す   前島 幻水 『季のことば』  ラグビー2023W杯がフランスを舞台に佳境に入っている。南米の強豪アルゼンチンに勝ってほしいとの日本中の応援空しく、日本は惜しくも8強入りを逃した。リーグ戦2勝2敗の結果は健闘したといえそうだ。サッカーに比べてラグビー人気は今ひとつの状況が続いていたが、前回大会いらいブームは本物になった。楕円球の転がる行方は予知しがたい面白さがある。反面、ルールがサッカーより厳しく複雑なので門外漢には分かりにくい。選手の国籍は問わず当該国でプレイしていればその国の代表にもなれる。コスモポリタン世界のようで好ましい。  ラグビーの得点の一つに掲句のドロップゴール(DG)がある。通常は相手陣内にボールを持ち込み地面にタッチするトライで5点、その後与えられるコンバージョンキックでゴールポスト(GP)に入ればさらに2点。DGとは敵陣に入り込み、トライが難しいとみるや不意をついてGPに蹴り込むことだ。膠着状態を一瞬で得点に結びつけるのだから爽快この上ない。高いテクニックがいるのでそうそう成功しない。アルゼンチン戦で日本チームのレメキ選手が鮮やかにこれをやってのけた。作者が投句した後の実景だからきっと驚いたことだろう。DGはGP近くの例が多くボールの軌道は低い。「天高しの季語にはちょっとね」という声もあったが、かなり遠くの地点から蹴ったとみれば、ボールは天高く舞い上がったに違いない。 (葉 23.10.19.)

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雨やみて蜩の声米を研ぐ     中野 枕流

雨やみて蜩の声米を研ぐ     中野 枕流 『この一句』  時間の経過を音で表現した味わい深い句である。秋とはいえ残暑厳しき頃、夕立が通り過ぎた。雨が止むのを待っていたかのように、カナカナという蜩の声が聞こえてくる。そうだ夕飯の支度をしなければと気づき、台所で米を研ぎ始める。そんな日常の営みが、淡々と叙述されている。  蜩は朝夕に鳴くが、名前の由来の通り日暮に聞く声が、もの悲しさを感じさせ趣がある。その蜩の声に、米を研ぐという暮らしの場面がしっくり調和している。句会には蜩と味噌樽や宅配チャイムを取合せた句も出された。「かなかなという虫は生活と繋がっている、生活臭がある」(鈴木雀九)との句評に思わずうなずいた。  蝉の声はアブラゼミに代表されるように、騒がしくうるさく感じるものが大半だ。しみじみとした感じを抱くのは蜩と法師ゼミであろう。ツクツクボウシが少しせわしなく、生き急いでいるように聞こえるのに対し、カナカナカナと空に消えて行く蜩の声は、聞く人に様々な思いを抱かせる。蜩と生活の場面を取合せた句がいくつかあったのも、蜩のもの悲しい声を聞いたがゆえに、暮らしの中の確かなものを取合せたい心理が働いたのではなかろうか。  作者は米を研ぐ行為を取合せた意図を、「雨のざあざあ、蜩のかなかな、そして米を研ぐシャカシャカという音だけで表現したかった」と自解している。それを聞いて句を読み返すと、時間の経過にそれぞれの音が重なり、一段と味わいが深まる。 (迷 23.10.17.)

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並び立つ案山子守旧派前衛派  玉田 春陽子

並び立つ案山子守旧派前衛派  玉田 春陽子 『この一句』  兼題が「案山子」と聞いて少し悩んだ。最近、案山子などほとんど見たことがないからである。千葉の家の近くには田んぼが結構あるが、案山子の姿などほとんど見たことがない。あれこれ想いをめぐらしているうちに、東京深川の江戸資料館通りで毎年「かかしコンクール」が行われていることを思い出した。  この句は、普通に田んぼに並んでいる案山子を詠んだものかも知れないが、筆者にはまるで「かかしコンクール」を詠んだ句のように思えた。この句の通り、オーソドックスで如何にも案山子らしい「守旧派」も居れば、これでも案山子と呼べるのかと思う「前衛派」も居る。江戸資料館通りを三つ目通りに突き当たって右折すると、すぐに東京都現代美術館があるので、前衛派はその影響かなどと思ってみたりもする。なかには、おきまりのピカチュウや、仮面ライダー、大谷選手の案山子などもあるが、これらは守旧派だろうか、前衛派だろうか、ちょっと首を捻ってしまう。守旧派、前衛派のほかに「おきまり派」というのも必要かもしれない。  深川「かかしコンクール」は、今年も10月6日から10月末まで開催される予定である。ついでながら、ちょっと先の東京都現代美術館では、11月5日までディヴィッド・ホックニー展をやっていて、これがまたちょいと良さげな展覧会である。秋の深川で、守旧派、前衛派ないまぜて、アートな一日を楽しまれては如何だろうか? (可 23.10.15.)

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十八年ぶりの号外星月夜    廣田 可升

十八年ぶりの号外星月夜    廣田 可升 『この一句』  生粋の大阪人の作者、とうぜん熱烈な阪神タイガースファンである。十八年ぶりに待ちに待った歓喜が訪れた。球界一、二を争う人気球団ながらリーグ優勝にも、ましてや日本一にも縁遠い。「ダメ虎の応援」と自嘲しながら、決してファンを止めない関西人気質は立派といえば立派である。東京を代表する読売ジャイアンツというライバルの存在が、東京には負けたくない関西人の感情をかきたてる。豊臣vs徳川の歴史を引きずっているかのようだ。東京のカラオケではまず歌われない「道頓堀人情」という歌まであり、その歌詞のサビは「負けたらあかん、負けたらあかんで東京に」である。  今年の関西スポーツ紙の見出しは「アレ」に始まり「アレ」で終止した。再登場岡田監督が選手に優勝の二文字を意識させない軍略がみごとにはまった結果である。タイガースの〝機関紙〟デイリースポーツをはじめ、関西スポーツ各紙はおろか一般紙まで「優勝」号外を発行した。各紙をセットにしメルカリに、あるいはコンビニでのプリント販売やPDF号外まで百花繚乱。作者もいくつかの号外を手に入れたのだろう。大事故や大事件時には号外が出て、大方はその場限りで捨てられてしまうが、阪神優勝号外はファンの永久保存となるに違いない。  「星月夜」の下、作者が十八年ぶりの感慨に耽ったこの句は、虎ファンの筆者が絶対採らなければならない一句であった。惜しむらくは、時事句の宿命、この句の命もタイガースの栄華のように儚い。 (葉 23.1…

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