雨風の去ってにはかに虫時雨   嵐田 双歩

雨風の去ってにはかに虫時雨   嵐田 双歩 『この一句』  九月の番町喜楽会の最高点句である。この日は、別に玉田春陽子さんの「火の山を覆いて余る秋の雲」という高得点句があったが、どちらも、外連味なく自然や景色を詠み込んだ、オーソドックスで、俳句らしい俳句だという気がした。句会では、ちょっと人目を引く新しいコトやモノが詠み込まれたり、時事的な措辞を含んだ句に点が入ることが多い。そういう句ももちろん良いのだが、やはり、こういう句を読むと清涼剤を飲んだような気がしてほっとするものである。  こういう句にとっての難敵は「類句あり」という指摘である。オーソドックスな句は、オーソドックスであるというまさにそのことによって、どこかに類句があったように思えてしまうのが常である。  日常の中で、いつのまにかずいぶん虫が鳴いているなあと思うことは多い。しかし、この作者は、雨風が止んだ途端に虫時雨が聞こえ始めた、という一瞬を捉えて句に仕立上げたのである。その瞬間を切りとった切れ味の良さが、まさに、この句の切れ味の良さでもあり、類句とは一線を画している気がする。  句会では、「雨風の止むや否やの虫時雨」のように、もう少しきつめの表現にしたらどうかとの意見があった。「いずれ菖蒲か杜若」である。 (可 23.09.15.)

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