夜食粥病の兄の残る日々     岡田 鷹洋

夜食粥病の兄の残る日々     岡田 鷹洋 『この一句』  昭和十二年生まれの作者は八十路の半ば過ぎ、病床のご令兄は卒寿の世代だ ろうか。ご兄弟にお別れの時がいつ来るか、ご心配の日々とお察しする。しかし 十七音に感情的な措辞はない。冷厳な病室の雰囲気を演出する文字列があるだ けだ。一読、強いインパクトを受ける一句である。  作者は新聞社の北京特派員として毛沢東死去、鄧小平復活から日中平和友好 条約発効などとつながる激動の七十年代後半をカバーした。帰国後、国内勤務と なってからも、さらに退社後にも東京都内の夜間中学校で、ボランティアで中国 人向け日本語学教室を受け持った「中国屋」さんである。  さて老後を療養施設で過ごす高齢者が増えた。九十五歳で亡くなった筆者の母 も晩年、介護付病院の世話になった。高齢者を自宅で看取ることができないのは、 仕方がないかなと思う。しかしそれでいいのか、葛藤が続く。 (て 23.09.29.)

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露の世やいろんな顔の通りゆく  伊藤 健史

露の世やいろんな顔の通りゆく  伊藤 健史 『季のことば』  晴れて風の無い秋の夜、放射冷却によって地面に近いところの水蒸気が冷えて水玉になり、草の葉や石の上などに粒になって光る。これが「露」で、秋の朝方の印象的な一風景となる。  しかし露は太陽が昇って気温が上昇するとたちまち蒸発、消えてしまう。そこを捉えて奈良平安の昔から、露をはかなきものの象徴として歌に詠むようになった。当然、俳諧の世界にも受け継がれ、現代俳句でも「露の世」「露けし」は人気のある季語として盛んに詠まれている。  この句も有為転変まことに儚いこの世を詠んでいるのだが、中七下五が意表を突いている。「いろんな顔の通りゆく」と言われても「そりゃそうでしょう」と答えるより仕方が無いのだが、これがなんとも面白い。選句表でこの句を見つけて丸印を付けながら、結局はもっと分かりやすい素直な句に押される形で取り損ねてしまったのだが、今こうして改めて読み直してみると、西鶴の永代蔵や世間胸算用でも読んでいる感じになって来る。  笑顔に怒り顔、福相貧相、太っちょ痩せっぽち、胸そらす人うなだれる人、上品下品、派手地味、鈍足敏捷・・・なんとまあいろんな顔のあることよ。しかしまあ、どんなに長く生きても百歳少々、露の世はあくまでも露の世。 (水 23.09.27.)

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捨案山子薬散布のドローン飛ぶ  堤 てる夫

捨案山子薬散布のドローン飛ぶ  堤 てる夫 『この一句』  ドローンとは無線操縦あるいは自動制御の無人航空機をさす。もともとは軍事用に開発され、ウクライナ戦争では双方が攻撃兵器としてドローンを飛ばし合っている。民生用には、2010年ごろカメラを搭載した小型ドローンがホビー用に売り出され、世界的に普及した。日本でも2015年に航空法に定義され、空撮や構造物検査、物流などに用途を広げながら、急速に台数を増やしている。  農業分野もそのひとつである。種まきをはじめ、肥料・農薬の散布、生育状況の調査、出荷作業などに活躍している。ヘリコプターに比べ操縦が容易で小回りが利き、コストが安い。人手不足に悩む農家にとって強力な助っ人となりつつある。  掲句はドローンの飛ぶ田園に、役割を終えた捨案山子を取合せて、農業の今を印象的に切り取っている。案山子は昔の牧歌的な農村の象徴であろう。農家自身がドローンを操り、農薬散布をしている光景からは、動かぬ案山子に頼ることなく、現代技術を駆使して苦境を切り開く農家の姿が浮かんでくる。作者夫妻が住む上田市の塩田平には豊かな田園地帯が広がる。妻の百子氏の解説では「ドローンが飛ぶのは日常で、羽音を聞いて、あわてて窓を閉めたりする」らしい。作者は案山子という恰好の兼題を得て、地の利を生かした好句を生み出した訳だ。 蛇足ながら「薬散布」はややあいまいなので、三段切れを気にせず「農薬散布ドローン飛ぶ」と一気に詠み下した方が、より句意が明快になったのではなかろうか。 (迷…

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朝露に光る履初めスニーカー   和泉田 守

朝露に光る履初めスニーカー   和泉田 守 『この一句』  履物でも着るものでも、カバンその他いろいろな道具類でも、「下ろし立て」にはちょっとした気持がこもる。「履き心地はどうかな」とか「似合うかな」「使い勝手はどうかな」等々いろいろ気になる。  この句はそういった気分を十二分に伝えてくれる。「朝露に光る履初め」という措辞が素晴らしい。猛暑残暑がようやく薄らいで、早朝に露を結ぶ頃合いになった。朝の散歩かジョギングか。このスニーカーは買う時の試し履きは別として、実際に履いて歩くのはこれが初めて。それも実に気持がいい爽やかな秋晴れの朝だ。路傍の草には露が光っている。歩き始めてしばらくは何となくぎごちない感じだったのが、やがてしっくり落ち着いてきた。まんぞくまんぞく、である。  実はこの句が出た同じ句会に私は「スニーカー濡れるもままよ露の原」という句を投じた。やはり「履初め」のスニーカーで露葎に踏み出す気分を詠んだものだ。「濡れるもままよ」でこのスニーカーは特別という感じが伝わるかなと思ったのだが、無理だったようで零点だった。やはり「履初め」と印象深い言葉を置いた掲句には敵わないなと納得した。ところが、このとても感じの良い掲句にも点が入らず、なんと私の投じた一票だけだった。  この句は兼題の「露」を脇役に置いてしまって、「履初めスニーカー」を詠んだ句になっているところが難とされたのかもしれない。兼題句としての評価と、句そのものの評価とのギャップといったところだろうか。俳句は難しい。 …

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虫の音を全て消したる妻の声   須藤 光迷

虫の音を全て消したる妻の声   須藤 光迷 『合評会から』(酔吟会) 水馬 諧謔的でしかも実感のある句で、席題が出されてからの短い時間でよくこんな句を詠んだなと思いました。 春陽子 ほんとうは虫の音がすべて消えたわけではないけれど、俳句としては「消したる」と表現したのが良かったですね。 青水 「妻の声」を席題として出した当人として、こんないい句を詠んでもらって嬉しいです。 水牛 「虫の音を全て消したる」とは、詠みも詠んだりという気がします。亭主の方は静かにお酒でも飲んでいるのではないでしょうか。常ならざる俳諧趣味を感じる句です。 鷹洋 夫の声が「虫の音」に喩えられているのじゃないだろうか。 水牛 もしかしたら「虫の息」かもしれない。(笑)           *       *       *  「全て消したる」があまりにも大仰に思えて採らなかった句だが、皆さんの選評を聞いていてなるほど良い句のように思えてきた。この声はやはり尋常な大きさの声ではないだろう。しかし、「虫の音」の季語の手前、怒鳴り散らしているような声とも思えない。台所にゴキブリかネズミを見つけて、「キャーッ」とか「ワアーッ」とか叫んだのかもしれない。それなら「全て消したる」もあながち大袈裟ではない。(可 23.09.21.)

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秋の蚊の待ち伏せしをる勝手口  大澤 水牛

秋の蚊の待ち伏せしをる勝手口  大澤 水牛 『合評会から』(番町喜楽会) 春陽子 「待ち伏せしをる」の措辞が面白いですね。関西弁かなぁ。関西の人の作かなぁ。その面白さで頂きました。 光迷 気温が35度などの日が続くと、蚊も昼間は来ない。朝ラジオ体操を終えてからとか夕方、庭木に水をやりに出るとわっと寄ってくる。秋の蚊はしつこくて参っちゃいます。 双歩 まぁ、夏の蚊も同じでしょうが…。 水馬 朝の犬の散歩に残り蚊がまとわりついて来て嫌です。「しをる」が面白い。 水牛(作者) 僕の家では勝手口にコンポストを置き、生ごみで堆肥を作ってるんです。毎朝、生ごみを捨てに行くと、蚊はそれを待っていて、わっと寄ってくる。「夏の蚊も同じ」という人もいるけど、秋の蚊はものすごく攻撃的です。子孫を残すための最後のあがきでしょう。           *       *       *  「秋の蚊」には「残る蚊」という傍題もあり、弱まって哀れなというイメージをもつかもしれない。だが、そうではない。ことに今年は、酷暑と熱帯夜で十分に動き回れなかったせいか、九月になってもすこぶる活発だ。こちらの行動を見越したような「待ち伏せ」には腹立たしくなる。 (光 23.09.19.)

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こんなにも待ち遠しきは秋の風  旙山 芳之

こんなにも待ち遠しきは秋の風  旙山 芳之 『合評会から』(日経俳句会) 実千代 まったく、おっしゃる通りです。 水兎 今年の時事句ですね。 方円 素直に今年の猛暑を言っている。 操  四十度を超す地域もあった異常気象。爽やかに吹く秋の風が待ち遠しい。 戸無広 誰もが思うことをよどみなく表現した。           *       *       *  まさに令和5年の夏から秋へを詠み止めた句である。同じ句会に「夕暮れの余熱の中に秋の風 篠田 朗」という句も出て、これも好評を博した。同じく、「地球が狂った」という句も出たが、とにかく今年の夏の暑さは異常だった。  立秋過ぎての暑さ、いわゆる「残暑」がたまらないものであることは誰もが納得、というか半ば諦め、覚悟しているのだが、今年はそれが9月に入ってもずーっと続いた。流石に9月も中旬になると、夕暮れの余熱の中にそこはかとなく秋を感じさせる風が吹いて来るようにはなったものの、日中35℃の猛暑日を記録する都市が東西南北あちこちに出現といった有様だ。  掲句の作者はこうした異常な夏をそのまま溜息をつくように詠んだ。昼日中、公園の樹蔭に逃げ込んで一息入れたところか、町場の夕暮れの一時か、とにかく首筋を撫でた風に秋を感じた。そして心からほっとしたのだ。 (水 23.09.17.)

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雨風の去ってにはかに虫時雨   嵐田 双歩

雨風の去ってにはかに虫時雨   嵐田 双歩 『この一句』  九月の番町喜楽会の最高点句である。この日は、別に玉田春陽子さんの「火の山を覆いて余る秋の雲」という高得点句があったが、どちらも、外連味なく自然や景色を詠み込んだ、オーソドックスで、俳句らしい俳句だという気がした。句会では、ちょっと人目を引く新しいコトやモノが詠み込まれたり、時事的な措辞を含んだ句に点が入ることが多い。そういう句ももちろん良いのだが、やはり、こういう句を読むと清涼剤を飲んだような気がしてほっとするものである。  こういう句にとっての難敵は「類句あり」という指摘である。オーソドックスな句は、オーソドックスであるというまさにそのことによって、どこかに類句があったように思えてしまうのが常である。  日常の中で、いつのまにかずいぶん虫が鳴いているなあと思うことは多い。しかし、この作者は、雨風が止んだ途端に虫時雨が聞こえ始めた、という一瞬を捉えて句に仕立上げたのである。その瞬間を切りとった切れ味の良さが、まさに、この句の切れ味の良さでもあり、類句とは一線を画している気がする。  句会では、「雨風の止むや否やの虫時雨」のように、もう少しきつめの表現にしたらどうかとの意見があった。「いずれ菖蒲か杜若」である。 (可 23.09.15.)

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耳奥の終戦放送走馬灯      前島 幻水

耳奥の終戦放送走馬灯      前島 幻水 『この一句』  終戦放送とは、昭和20年8月15日に昭和天皇がポツダム宣言受諾を国民に伝えた、いわゆる「玉音放送」のことであろう。レコード録音された「大東亜戦争終結ノ詔書」を読み上げる天皇の声が、正午からNHKラジオで全国放送された。ほとんどの国民が初めて聞く天皇の肉声が5分ほど流れたが、難解な漢文が含まれ、意味が良く分からなかった人も多い。続けて流された関連放送や周囲の人の雰囲気で敗戦を悟った人が大半だったという。  作者はその天皇の声が耳の奥に記憶として残っていると詠む。「耳奥の」の措辞が効いている。奥という字面から、はるか遠くなったという印象に、記憶の底にはちゃんと残っているという意味合いが重なる。添えられた走馬灯の季語も響き合う。走馬灯はお盆に飾る影絵仕掛けの回り灯籠のこと。終戦放送の記憶が走馬灯のように繰り返し甦るのである。作者は終戦からこれまでの自分や家族の来し方、日本のありようなどを様々に思い浮かべたのではなかろうか。  句会では「実際に放送を聞いた人でなければ作れない句」(青水)との指摘があった。作者の自解によれば10歳の時に諏訪の自宅の庭先で聞いたという。玉音放送という言い方が一般的だが、作者はあえて「終戦放送」としたそうだ。終戦記念日になると放送のことを思い出すという作者にとって、天皇の声は長く苦しかった戦争の終わりを告げるものであり、やっと終わったという感慨が「終戦放送」の言葉にこだわった所以ではないかと推察している…

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孫の持つ線香花火や夏の果    澤井 二堂

孫の持つ線香花火や夏の果    澤井 二堂 『この一句』  幼い子供は動物本能を備えているのだろう、自分を守ってくれるものを敏感に嗅ぎ取ってすり寄る。孫がオジイチャン・オバアチャンに寄って来るのはその現れである。この人はどんなことがあっても私を守ってくれるということを本能的に察知するのだ。  やがて。5,6歳になり智慧がついて来ると、今度は金づるとして頼りになることを察知、前にも増して擦り寄って来る。ジイチャン・バアチャンは、それはうすうす分かっていても、無性に可愛いものだから、でれでれになってしまう。  この句は、夏休みも終りに近づき、子供相手にくたびれ果てた娘夫婦が実家に子供を預けて命の洗濯という前段階があるように思われる。とにかく孫を引き受けたオジイチャン・オバアチャンは、張り切ってあれこれ整える。孫たちの好きなものは何かしらとあれこれ整え、夕ご飯の終わった後のイベントとして、庭先での花火大会だ。マンション暮らしの孫たちには、地面を踏んでの花火遊びは新鮮だ。ネズミ花火が走り回ればきゃっきゃと騒ぎ、筒花火がポンと打ち上がれば手を叩く。そして、最後は静かに線香花火。一人ひとりがこよりのような線香花火を持ち、それに火がつけられると、パチパチ、パチっと爆ぜる。怖くて放してしまいたくなるが、じっと我慢して持っていると、最後にジジッといって丸くなって消え、あたりは真っ暗闇。幼心になんとはなしの「思い」が宿る。もしかしたら、これが「物思う心」のはじめということになるのかも知れない。 (水 2…

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