花火する場所無くさすらふ親子連れ 山口斗詩子
花火する場所無くさすらふ親子連れ 山口斗詩子
『この一句』
手花火遊びの場所を探して「さすらふ」とはちょっと大袈裟過ぎるなあと思って、そのまま忘れてしまっていた。ところが会報の作品集に収められたこの句をあらためて読んで、これはいかにも今日の花火風景、面白いと思った。
夏休みとあって、スーパーやコンビニには子供の目につきやすい高さで袋入の手花火がきらびやかに置かれている。せがまれたお母さんはつい買ってしまう。さて夕暮れ、「花火しましょ」という段になって、愕然とする。各戸のテラスでの花火を禁止している団地やマンションもあり、禁止されないまでもお隣や階下への遠慮も働く。それに、なんとなくせせこましい。
子を連れて外へ出る。団地の敷地内は狭くて人や車の出入りもあって、のんびりと花火をやれる雰囲気ではない。道路端は車や人の往来が激しく、とてもできない。近所の公園に行くと、悪ガキどもによる大きな音のする打上げ花火が近隣の苦情となり、「花火禁止」の立て札。さあ困った。どうしましょう。せっかくの花火を抱えて母子は途方に暮れてしまう。
「場所無くさすらふ」という叙述が少々説明っぽいので嫌われたか、句会ではあまり点が入らなかった。「花火する場所を探して親子連れ」くらいにしておいた方が良かったか。それはともかく、現代都会風景を詠んで、くすりとさせられ、寂しくなる句である。
(水 23.08.22.)