庭の木々力抜けたり夏の果    高井 百子

庭の木々力抜けたり夏の果    高井 百子 『この一句』  「夏の果」の気分がよく伝わって来る句だなあと感じ入って、句会では勢い込んで取ったのだが、追随する人は無かった。「木々の力が抜ける」ということが理解されなかったのだろう。しかし、殊の外暑かった令和5年の夏、身も心も萎えてしまった私は、毎日、エアコンを利かした書斎に座ってガラス窓越しに庭を見つめていて、まさにこの句のような感じを受け取っていた。  庭には手前に小菊が植わっているが、日照りと水不足で下葉が枯れ上がっている。その先の菜園のトマト、茄子は野放図に枝を伸ばしているが、やはりくたびれ始めている。その向こうの梔子(くちなし)や沈丁花は蔭になっているのでよく見えない。その向こう側の庭の南端にはイロハモミジ、紫陽花、梅の木、伊予柑、月桂樹がそれぞれ2,3メートルの高さでほぼ一列に並んでいる。それらが一様に「力抜けた」感じなのだ。4,5月の若葉青葉の頃にはあれほど鮮やかな緑色で、見る者に元気を与えてくれたのに、すっかりくすんでしまい、月桂樹などは少々黒ずんでしまった。  これからは台風のもたらす雨で、ひからびた枝葉も潤いを取り戻し、元気回復するのだろうが、この8月初めの一ときが、樹木にとって一番きつい時期に違いない。その様子を「庭の木々力抜けたり」と、なんともぴたりと言い当てたなあと感心したのである。 (水 23.08.15.)

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