夏の果蛇口の栓の故障札    玉田 春陽子

夏の果蛇口の栓の故障札    玉田 春陽子 『季のことば』  「夏の果」は「夏終る」や「夏惜しむ」などと同じで晩夏の季語。「苦しい炎暑もようやく終りを告げる、というほっとした気分を伝える季語で、体力消耗から来る気力の萎えによって醸し出される物憂い感じも含んでいる」(水牛歳時記)。連日の猛暑にうんざりして、秋の到来を待ち望んでいたものの、いざ夏が終わると思うと何となく一抹のさみしさを覚えるものだ。  掲句は、水道の蛇口に掛けられた「故障中」という札に、夏果ての物憂い感じを見い出した作者らしい観察眼が効いた一句だ。一読、私は作者の見当がついた。この句のように、誰もが似たような光景を目にしてはいても、誰も気に留めない些細な事柄に着目して、句にするのが得意な作者だからだ。これまでも「古書の値は鉛筆書きや一葉忌」や「吊るされてコートの肘に曲り癖」、「冬めくや駅に手作り小座布団」など、作者らしい句は挙げればいくらでもある。  公園の水道かと思ったが、小学校の蛇口だそうだ。「夏休み明けに学校に行くとこういう光景がよくあったように思います。故障のまま放置された蛇口の栓と夏の果がよくあっている」という愉里さんの選評が的確だ。ともあれ蛇口という無機質だが、ドラマを感じさせる小道具に着目して、一句を成す作者にはいつも感心させられる。 (双 23.08.11.)

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