夏の果て妻亡き友とコップ酒   池内 的中

夏の果て妻亡き友とコップ酒   池内 的中 『季のことば』  「夏の果」という季語はなかなか難しい。立秋を控えての1週間ほどの、暦で言うところの「夏」が終わろうとするほんの短期間を言う。まだ猛暑の真っ盛りで、夏が終ったとはとても思えない。それなのに暦の上では秋目前であり、俳句人としては何が何でも夏の終焉を詠まねばならない。こうした俳句の約束事と、肌身で感じる季節感との折り合いをどうつけるかが難関となるわけだ。  その点、この句は「夏の果」という季語の持つ「ちょっと疲れたなあ」という気持と、索漠たる感じを上手く詠んでいる。  昔から「男やもめに蛆がわく」と言われてきた。女性の方は亭主を亡くした直後こそ悲嘆のどん底に落とされたような感じだが、四十九日の法要と納骨を済ませ、百カ日を過ぎると急に元気になる。一周忌を過ぎたともなれば傍がびっくりするほど活発になる。これに対して男の方はだらしがない。しょんぼりして、茫然としてしまう。家のことを一切妻任せにしてきたツケで、身の回りの始末もろくにできず、すっかり落ち込んでしまう。  この句の妻に先立たれた友人は、昔風のうらぶれた男やもめではなく、一人でちゃんとやって行ける人かも知れない。そうだとしても、やはり長年連れ添った妻を亡くした寂しさを身にまとっている。  注いだり注がれたりの煩雑さを嫌い、互いにコップ酒を手に、マイペースで飲む。相手が何か語ればじっと聞き、相槌を打つ。晩夏の宵である。 (水 23.08.13.)

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夏の果蛇口の栓の故障札    玉田 春陽子

夏の果蛇口の栓の故障札    玉田 春陽子 『季のことば』  「夏の果」は「夏終る」や「夏惜しむ」などと同じで晩夏の季語。「苦しい炎暑もようやく終りを告げる、というほっとした気分を伝える季語で、体力消耗から来る気力の萎えによって醸し出される物憂い感じも含んでいる」(水牛歳時記)。連日の猛暑にうんざりして、秋の到来を待ち望んでいたものの、いざ夏が終わると思うと何となく一抹のさみしさを覚えるものだ。  掲句は、水道の蛇口に掛けられた「故障中」という札に、夏果ての物憂い感じを見い出した作者らしい観察眼が効いた一句だ。一読、私は作者の見当がついた。この句のように、誰もが似たような光景を目にしてはいても、誰も気に留めない些細な事柄に着目して、句にするのが得意な作者だからだ。これまでも「古書の値は鉛筆書きや一葉忌」や「吊るされてコートの肘に曲り癖」、「冬めくや駅に手作り小座布団」など、作者らしい句は挙げればいくらでもある。  公園の水道かと思ったが、小学校の蛇口だそうだ。「夏休み明けに学校に行くとこういう光景がよくあったように思います。故障のまま放置された蛇口の栓と夏の果がよくあっている」という愉里さんの選評が的確だ。ともあれ蛇口という無機質だが、ドラマを感じさせる小道具に着目して、一句を成す作者にはいつも感心させられる。 (双 23.08.11.)

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姿見の残れる宿や月見草     星川 水兎

姿見の残れる宿や月見草     星川 水兎 『合評会から』(日経俳句会) 青水 作者が見えて来るような俳句。姿見と云う小道具が効いている。月見草が咲いている風景が見えて来た。 迷哲 昔、草津の木造の古い宿に行ったことがあります。そこに鏡台って言うんですか、姿見が置いてあって。その雰囲気が月見草に合うなと思いました。 方円 ここで言っている姿見は、和風旅館の昔風の鏡台なんでしょうね。もうすっかり見なくなった。それが残っているというので、相当古い和風旅館だなと想像できる。一階の部屋で庭があって夜、月見草が見えた。俳句らしいと思います。 昌魚 昔風の姿見の残る宿。いろいろなことが想像できて興味深いですね。 枕流 ひなびた温泉旅館でしょうか。妙齢の女性が梳る後ろ姿が思い浮かびます。           *       *       *  姿見のある旅館と月見草とくれば、竹久夢二のイメージ。それに引きずられてしまうのが少々弱みだが、静かで落ち着いた感じがして、古風だけれどもとても良く出来た俳句だと思う。評者がほとんど同じような情景を思い浮かべての句評をしているのを見ても、こういうのが多くの共感を得る句というのだろう。一歩間違えば取り柄のない平凡な句になってしまう。それを「姿見の残れる」というフレーズで凡百を抜け出した。 (水 23.08.10.)

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何とせう大玉西瓜届きけり    大澤 水牛

何とせう大玉西瓜届きけり    大澤 水牛 『この一句』  今月の兼題は「西瓜」。西瓜の大きさを題材にしたものが結構多くあった。     六分の一切り分け西瓜売れてます   てる夫    ばーばにはサイコロ型の西瓜かな   斗詩子    好物の西瓜も今は持て余し      愉里    スイカ買う妻と二人で四半分     二堂 これ以外にもいくつか同様の句が見られた。大昔はたくさんの兄弟や親族で取り合いし、ちょっと前はファミリーで食べた西瓜が、今や老いたる夫婦二人だけで食べる家が多くなった。いずれの句もそういう家庭の事情をじゅうぶんに反映していて面白い。  その中でも、掲句は冒頭に「何とせう」というインパクトの強い口語を持って来たことで、特筆に値する面白い句となっている。作者によれば、最初「どうしよう」としたが、それでは面白くないので「何とせう」にしたという。おそらく、作者の頭には「如何にせむ」もよぎったのではないかと推察するが、こちらは少し大時代すぎる。「どうしよう」でも、「如何にせむ」でもなく、「何とせう」の軽妙さを採ったのがこの句のお手柄だと思う。  ところで、大玉の保管場所がなくて「何とせう」と思ったのかと問えば、作者の家にはなんと冷蔵庫が三台もありスペースは十分。到着後一週間毎日大好物の西瓜を食べ続けているらしい。「何とせう」はどうも困惑の表現ではなく、好物到来の歓喜の表現だったようだ。まことに、“食いしん坊万歳!”の句である。(可 23.08.09.)

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大男隣に座る大暑かな      嵐田 双歩

大男隣に座る大暑かな      嵐田 双歩 『合評会から』(日経俳句会) 迷哲 いかにも暑苦しそうな雰囲気が出ている句です。 青水 ただでさえうっとうしいのにね・・。私はデブで加害者側です。ですからいつも皆さんの冷たい視線にされされています。 早苗 混んだ電車で隣に座られる時の残念な感じ。大男さんには申し訳ないですけど、分かります。 三代 汗をかいた大男に隣に座られると・・、目の付け所が面白い。 ヲブラダ 電車などでは引きますよね。 水馬 「来るなよ」と思うと必ず隣に座るんだ。 水兎 隣に大きい人が来ると、身体が傾いちゃう時がありますよね。対処に困る感じがピッタリ。 戸無広 暑苦しさを倍増させるところがユーモラスです。 定利 ものすごーく暑かった経験があります。 三薬 そんな奴に限って黒い鞄とかでかい荷物を持ってるんだよね。 てる夫 中にはすまなそうな顔をして身を縮めているのもいるけどね。           *       *       *  人情の機微を捉えた、いかにも俳諧といった感じの句である。私も思わず取った。この日の句会で最高点となるのもむべなるかなの句である。 (水 23.08.08.)

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原発に未練の紙面原爆忌     須藤 光迷

原発に未練の紙面原爆忌     須藤 光迷 『この一句』  唯一の被爆国でありながら、脱原発に踏み切れない日本の現状を鋭く衝いた時事句である。 広島と長崎に投下された原爆の犠牲者は、直後の推計で20万人、その後の原爆症死者を含めると50万人を超えるとされる。投下から78年経つが、惨禍の記憶は引き継がれ、8月の列島は鎮魂の祈りに包まれる。その一方で、核廃絶の願いは世界に届かず、保有国は10カ国前後に拡大。恫喝のため核使用に言及する指導者さえいる。  戦後、原子力の平和利用を唱えて導入された原発は、福島の事故により制御不能な存在であることを改めて露呈した。使用済み核燃料の再処理体制も破綻し、経済的な優位性も崩れている。欧州ではドイツをはじめ脱原発へ動く国が増えている。  こうした中、作者は日本の在り様に深い憂慮を抱いているように読み取れる。「原発に未練の紙面」とは、電力不足解消のためには原発の再稼働が欠かせないとか、脱炭素社会の実現にはCO2を出さない原発を活用すべきだ、といった新聞論調を指しているのであろう。それは連日の猛暑と大幅に高くなった電気料金にため息をつく、多くの国民の迷いでもある。  作者は未練の紙面と原爆忌を並べることで、被爆と福島事故という過酷な体験を持つ日本だからこそ、未練を断ち切って脱原発へ踏み出すべきだと、覚悟を迫っているのではなかろうか。 (迷 23.08.07.)

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夏雲や度胸試しの淵へ跳ぶ    中村 迷哲

夏雲や度胸試しの淵へ跳ぶ    中村 迷哲 『合評会から』(日経俳句会) 雀九 夏雲が湧き上がる中、子どもたちが高い所から飛び込んでいる光景が目に浮かんで来ます。 青水 昔の自分を見るようで懐かしい。水力発電所の堰堤から飛び込んだ日々を思い出します。 三代 男の子は度胸試しで成長したんでしょう。 守 作者の遠い昔の思い出のように読めます。 健史 「夏雲」が爽やか。 光迷 岩からだったり橋からだったり。魚を捕まえたりして。良い時代でした。 水馬 子どもの頃、川で泳いだ人は同じことを経験しているでしょう。 豆乳 プールの飛び込み台に立った時のドキドキを思い出しました。 定利 夏雲が良い。少年の何とも言えぬ顔が、目に浮かぶ。           *       *       *  作者の故郷は佐賀県鹿島市。旧鍋島藩の支藩で有明海に面した自然豊かなところだ。街の真ん中を流れる川が、昔の殿様の屋敷の裏手で深い淵になっている。淵の岩から飛び込み、向こう岸まで行って帰って来るのが「一人前の男の子」の証。迷哲少年も勇を鼓して挑戦した。  今はもうそういう習慣の残る所は少なくなり、またそれをさせる気風も無くなってしまった。その結果、こましゃくれた青白いオトナ子供が増えていくばかり。少々乱暴だが、こうして強い人間を育てた昔が懐かしい。 (水 23.08.06.)

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月見草三線欲しき宵の口    溝口 戸無広

月見草三線欲しき宵の口    溝口 戸無広 『季のことば』  月見草はアメリカ原産で江戸末期に渡来した夜開性の帰化植物。角川俳句大歳時記によれば、白色の清楚な花をつける本来の月見草は少なくなり、今では7月から8月ごろ、大形で黄色の花をつける同種の待宵草や大待宵草が一般的に月見草と呼ばれているという。日当たりのよい草原や荒れ地に生育し、海岸でもよく見られる。  掲句の月見草と三線(さんしん)の取合せは、すぐには意味が取れない。カギは沖縄ではなかろうか。三線は沖縄地方で使われる伝統楽器である。三味線に似ているが掉が短く、弦が太い。沖縄三味線とも呼ばれ、地元では歌に踊りに欠かせない。沖縄には陽が落ちてから若い男女が浜辺に集まり、歌い踊る風習があったという。今でも夕暮れの浜に住民が集い、酒を飲んで踊る場面を、映画などで見ることがある。 作者は沖縄の海岸でそんな光景を目にしたのではないか。暮れるにつれて知り合いが集まってくる。砂浜に車座になって泡盛を飲み、酔いが回れば三線に合わせて賑やかにカチャーシーを踊る。作者も踊りの輪に入ったのかも知れない。  沖縄の夏は昼間の暑さを避け、人々が戸外に出て活動的になるのは日暮後と言われる。那覇の繁華街も賑わい出すのは夜8時過ぎだ。月見草は夜になって花を開く。作者は「三線欲しき」と詠むことで、月見草が群生する浜辺に友が群れ集う光景を思い浮かべている、と読み解いてみたがどうであろうか。 (迷 23.08.04.)

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小雨降る梅若塚の月見草   藤野 十三妹

小雨降る梅若塚の月見草   藤野 十三妹 『この一句』  東武電車の伊勢崎線(いまはスカイツリーラインなどと呼ばれている)「鐘ヶ淵」駅から西方700mほど、隅田川の護岸を背にして木母寺(もくぼじ)という天台宗のお寺があり、「梅若塚」がある。  平安時代の貞元元年(976年)、梅若丸といういたいけな男の子が隅田川の川べりで死んだ。京都北白川の公家吉田少将惟房の息子で、五歳の時に父親が死に、人さらいに誘拐され東北の富裕層に売られて行く途中、病気にかかり捨てられたのだ。たまたま通りかかった忠円という僧が亡骸を弔い塚を築き柳を植え、傍らに堂を建てた。一年後、母親がようやくここを尋ね当て、塚の前で念仏を唱えると梅若の亡霊が現れ母子涙の再会となった。室町時代、世阿弥の息元雅が能『隅田川』を作り、大当たり。江戸時代に入ると人形浄瑠璃や歌舞伎にもなり、京都から江戸幕府に挨拶に来る勅使が必ずここを訪れるということにもなって、木母寺は文人墨客はもとより、江戸市民の近郊散策の名所になった。  今や現場はだだ広い河原で、寺の裏側は隅田川なのだがコンクリ堤防があって流れは見えず殺風景だ。ことに私が出向いたのは夏場のカンカン照りで、なんとも埃っぽい感じがするばかりで、梅若伝説の涙も干からびてしまう味気なさだった。江戸名所木母寺も令和時代の人気はガタ落ちで、よほど能が好きな人でもない限り訪れない。  しかしこの句を見て、そぼ降る雨の梅若塚に月見草を配すれば、なるほど風情が増すなあと感じ入った。この作者の情景設…

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緑陰の中へ消え行く中山道    金田 青水

緑陰の中へ消え行く中山道    金田 青水 『合評会から』(諏訪吟行) 迷哲 諏訪吟行で、諏訪大社下社秋宮から中山道を歩いた際に、街道の坂の上で緑に包まれた諏訪湖を遠望しました。諏訪から先、岡谷、塩尻を経て、木曽谷を抜け、大津まで通じていると想いを馳せたのでしょう。 百子 雰囲気のある句だと思います。 てる夫 諏訪大社の境内のスケールの大きさ、深みが窺える句です。           *       *       *  下社秋宮から春宮へ中山道を歩いている途中分岐点の標識があった。左は下りで春宮へ行く道、右は上りで木落とし坂へ行く道である。皆が下り坂へ行こうとする時に、この句の作者が上り坂の方に少し足を向けたことをはっきり覚えている。その時は木落とし坂へ行きたいのだろうかと思ったが、迷哲氏の評のとおり、高みから湖や山々の光景を見て、中山道のはるかな道のりに思いを馳せたのだろう。  この句の「緑陰の中へ消え行く」、なかんづく「消え行く」の四文字が、なんともいえない郷愁を醸し出している。「消え行く」は、「消えてなくなる」のではなく、街道が「消えてなお続いて行く」ことをイメージさせる。夏の旅にふさわしい、清新な味わいの句である。 (可 23.08.02.)

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