皮膚までも脱ぎたき大暑大阪や 高橋ヲブラダ
皮膚までも脱ぎたき大暑大阪や 高橋ヲブラダ
『おかめはちもく』
いかにも大阪の夏といった感じで、実に面白い。この作者は意表を突く場面や物事を提示し、語順も口調も構わずに口をついたままを文字にするといった詠み方で、それがまた特殊効果をもたらしてしばしば喝采を受ける。
この句もそうだ。関西をよく知らない私だが、昭和45年(1970)の大阪万博取材の助っ人として東京社会部から真夏の大阪千里会場に送り込まれ、1週間駆けずり回って、大阪の猛暑をいやというほど味わった。まさに「皮膚までも」引っ剥がしたくなるほどの、うんざり、へとへと、もう勘弁してという気分に追い込まれた。
そういった気分がまっすぐ伝わって来る句だが、やはり、詠み方に問題がある。下五の「大阪や」という止め様はいかがなものか。大阪弁の「何とかや」という言い方で、「これが大阪や」と言いたかったのかも知れないが、やはり不安定な止め方だ。また、皮膚を「脱ぐ」というのもちょっと違和感を抱く。皮は「剥ぐ」というのが普通だろう。このように、あちこちに叙述のほころびが目立つ。
こうした諧謔句は、もともと人の思ってもみないことを言うものなのだから、用いる言葉や言い回しはむしろ大人しく、フツーに詠んだ方が良い。
大阪の皮膚も剥ぎたき大暑かな
と言ったらどうか。それではトゲが抜けてしまい、毒っ気が無くてつまらない、と言われるだろうか。やはり原句のハチャメチャが良かろうか。難しい。
(水 23.07.27.)