万緑や休み休みの七曲り 加藤 明生
万緑や休み休みの七曲り 加藤 明生
『季のことば』
中村草田男は昭和十四年、『万緑の中や吾子の歯生え初むる』と詠んで、俳句界に衝撃を与えた。高浜虚子がすぐさま『万緑の万物の中大仏』と詠み、飯田蛇笏が『万緑になじむ風鈴夜も昼も』、石田波郷が『万緑を顧るべし山毛欅峠』、山口青邨が『万緑の中さやさやと楓あり』というように、当時の俳壇のボスたちがこぞって唱和したから、「万緑」は完全に季語として定着した。
「万緑」は王安石の『石榴詩』の中の「万緑叢中紅一点」という句から出た言葉である。ただ、季語としての「万緑」はこの詩の万緑とはちょっと趣を異にする。ましてや今日下世話に用いられる「紅一点」などという言い回しの元になった万緑とは全然レベルが違う。草田男はこの句で、人間が人として生きて育ってゆく最初の証しとして、「生え初むる」我が子の歯を提示し、それを育む大自然の力を象徴するものとして「万緑」という言葉を据えた。ここで言う万緑は生命感、躍動感そのものである。一生のうち一つでも、こういう『季のことば』を作ることができたらと希うのは凡人の見果てぬ夢か。
みなぎる力の象徴のような「万緑」は、若者にはさらなる力を呼び起こしてくれるものとなるが、体力の衰え始めた年の行った人間には強烈過ぎるかもしれない。この句からもちょっとそうした気分がうかがえる。勇んで家を出たはいいが、上りにかかるとすぐに喘ぎ出す。見上げればつづら折りの山道はまだかなりある。輝く濃緑の木々が覆いかぶさってきて押しつぶされて…