父の日や若き遺影に一献す 和泉田 守
父の日や若き遺影に一献す 和泉田 守
『合評会から』(日経俳句会合同句会)
而云 こういう情景があるのだろうなという風に思いましたね。
三薬 若き遺影は誰なのですかね。
而云 お父上が早くに亡くなられたのでしょう。
木葉 若くして亡くなったお父さんの写真の前で酒を飲んだという、いい光景だと思いました。
昌魚 お父上の若い頃の写真に一献。いいですね。分かる気がします。
弥生 若き遺影が心に響きます。諸々想像が広がる一句。
双歩 作者の和泉田さんはお父上を早くに亡くされているのですかね。
* * *
日本人がこれほど長命になったのは昭和時代も後半、高度経済成長期に入ってからのことである。それまでは「人生五十年」がずーっと続いていた。江戸時代から数百年全国民が栄養不良の食生活を送って来たからだとも言われている。
生まれ年の干支が一巡りするのに六十年かかる。いわゆる「還暦」で、昔は赤いちゃんちゃんこを着せられ、赤い頭巾を被って一族郎党の祝いを受けた。それほどに「めでたいこと」だった。七十歳まで生きようものなら「古来稀なり」と言われた。
その上、昭和20年まで約90年間、日本は戦争続きで、狂人としか言いようのない為政者と軍幹部によって命を無駄にさせられた人が大勢いた。だから「父親は遺影で知るのみ」の人が少なくない。その人達も今や七十代である。
(水 23.07.02.)