蒲焼の匂ひくぐりて成田山    嵐田 双歩

蒲焼の匂ひくぐりて成田山    嵐田 双歩 『季のことば』  番町喜楽会7月例会の兼題のひとつに「鰻」が出された。日本人になじみの深い魚だが、水牛歳時記によれば、なぜ夏の季語になっているのかはっきりしないという。水牛氏は夏場に最も脂が乗って美味しくなり、大伴家持が「夏痩せによし」と詠んだ万葉の昔から、夏の滋養強壮食とされってきたからではないかと考察している。  さらに鰻は江戸時代から蒲焼の形で庶民に愛好されてきたにもかかわらず、「歳時記に蒲焼がないのはおかしい」という〝英断〟で、例会では蒲焼の句もOKとなった。選句表を見ると鰻の句が20句、蒲焼が12句だが、鰻の句も「鰻食ふ」「鰻重」「鰻飯」など蒲焼を食べる内容が大半。いかに鰻=蒲焼が日本人の意識・生活に根付いているかを示している。  掲句はその鰻の句の中で、最高5点を獲得し一席となった二句のひとつ。鰻料理で有名な成田山の参道風景を臨場感豊に詠んでいる。成田山新勝寺の表参道には何軒もの鰻屋が立ち並ぶ。駿河屋、川豊本店など有名店は行列するほどの人気だ。店先で鰻を焼く店もあり、蒲焼の匂いが参道に漂っている。「匂ひくぐりて」の措辞は大げさではなく、参拝した作者の実感であろう。  さらに言えば「くぐりて」には、参道の匂いをくぐり抜け、新勝寺の門をくぐり、参拝後には鰻屋の暖簾をくぐるという三様の意味合いが重ねられているように思う。本尊の不動明王をはじめ釈迦如来や四大菩薩など多くの仏を祀り、ご利益の多い成田山らしい蒲焼である。 (迷 23.…

続きを読む

紫陽花に傘の行き交う寺の道   篠田  朗

紫陽花に傘の行き交う寺の道   篠田  朗 『季のことば』  アジサイはなんといっても梅雨の花である。今にも降ってきそうなどんよりとした梅雨曇の下で、自らを支えかねるようにぼってりとふくらむ花房。しとしと降り続く中、青紫色を際立たせている一叢。梅雨の晴れ間のかっと照りつける陽を受けて、いささか暑苦しそうに、半ば自棄気味に開く赤い花びら。「七変化」とはよく言ったものだと感心する。  幕末維新の頃、日本にやってきた欧米人はアジサイに驚喜賛嘆した。長崎出島のオランダ商館の医官として赴任したドイツ人医学者・博物学者フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトもその一人。紫色のアジサイを「ハイドランゲア・オタクサ」と、愛する日本人妻お滝さんの名前をつけて『日本植物誌』にのせて世界に広めた。以後、オタクサなるアジサイは欧米を席巻する。梅雨のない欧米では、爽やかな初夏に、爽やかな青紫のアジサイは殊の外目立ち、今や数百種類の新品種が生まれて、そのいくつかは西洋紫陽花として日本に逆輸入されている、  もちろん本家日本でも紫陽花人気は上々。鎌倉をはじめ各所の神社仏閣は紫陽花を売り物にして、客足滞りがちな梅雨期の参拝客呼び寄せのメダマにしている。紫陽花の参道を行き交う人達は皆々ゆっくりと、傘を斜めに傾げながら互いの歩みを譲り合う。花の優雅を身にまといつつ。 (水 23.07.06.)

続きを読む

出迎えはかなぶんぶんの無人駅  星川 水兎

出迎えはかなぶんぶんの無人駅  星川 水兎 『季のことば』  かなぶんとは黄金虫(金亀虫)の別称である。黄金虫はコガネムシ科の甲虫の総称で、色も種類も多い。夏の夜に灯火をめがけて飛んできて賑やかに飛び回る。角川俳句大歳時記には「かなぶん、ぶんぶんはその音からでた呼び名」とあり、いずれも夏の季語である。「かなぶんぶん」は歳時記にないが、金子兜太の句に「俳人にかなぶんぶんがぶんとくる」があるように、語呂の面白さから、かなぶんぶんを使った例句も散見される。  掲句は黄金虫を無人駅の出迎え役に擬して、日経俳句会の6月合同句会で最高点を得た。中の七音を「かなぶんぶん」で使い、その前後に出迎えと無人駅を配したシンプルな構造なのに、夏の夜の無人駅の情景がまざまざと浮かんでくる。  まず「出迎えはかなぶんぶん」の入りが上手い。黄金虫が出迎えるような場所は何処だろうと疑問を抱かせる。擬音の繰り返しが効果的で、黄金虫がぶんぶんと飛び回る音が聞こえてきそうだ。そして下五の無人駅で「そうか」と得心し、今度は人影のない駅にともる外灯、その周りを飛ぶ黄金虫の映像が浮かび、さらには無人駅を包む暗闇まで見えてくる。  仮に季語に黄金虫やかなぶんを使っていたら、「飛ぶ」や「だけの」など別の言葉、要素が加わっていたであろう。かなぶんぶんに七音を使ったことで、無人駅と黄金虫が夾雑物なく結びつき、余情をたたえる句となった。盛り込む言葉や要素を選び抜き、読者の脳裏にあるイメージに委ねるという句作のお手本のような句である。…

続きを読む

梅雨晴れにキャリーケースと中国語 荻野雅史

梅雨晴れにキャリーケースと中国語 荻野雅史 『季のことば』  「梅雨晴」は「梅雨晴間」とも「五月晴」とも呼ばれる、梅雨の長雨の一休みである。じとじとと降り籠められ、うんざりしきっていた長梅雨がふっと止んで、お日様がぱーっと照る日がある。皆々生き返ったような気分になる。  「下町の十方音や梅雨晴間 石塚友二」という句がある。それっとばかりに洗濯物を干したり、ゴミ出しに走ったり、布団を叩く音が響いたり、向こう三軒両隣一斉に動き出す。下町のごちゃついた路地が打って変わって活気づく、梅雨晴の朝の様子を活写した句である。  一方、この句は空港ロビーの情景か、浅草や銀座など下町繁華街の景色か。ともかくキャリーケースと中国語がにぎやかに飛び交うというのだから、まさに現代の梅雨晴れ風景である。町中でも電車の中でもそうだが、中国人観光客はどうしてああもにぎやかなのか。いかにも今まさに国力充実の民、という感じである。そう言えば1970年代後半から90年代までのわれわれ日本人がそうだったなあ、などと懐かしがる。  コロナが五類というインフルエンザ並の等級に格下げされて、外国人観光客の入国時検査が緩やかになり、またどっと入って来るようになった。これからの日本はこうした外客に頼るよりほか無くなってしまったようだ。数十年前のウイーンやイタリー、スイスあたりの街と同じ「貸座敷業国家」への道。多少騒がしくても、大事なお客さん。我慢するとしましょうか。 (水 23.07.04.)

続きを読む

考える葦でありたし月涼し    廣田 可升

考える葦でありたし月涼し    廣田 可升 『合評会から』(日経俳句会合同句会) 三代 AIはどこまで進化してしまうのだろうと恐怖を覚えています。この時期に考える葦でありたしと、作っておくのはいいなと思います。やっぱり人間は人間としてありたいなという気持です。 鷹洋 AIが人間に代わる時代は避けられないのか。人情、愛情、同情を知る人間がAIに代わられては堪らない。 木葉 やっぱり考える葦でありたしということは大切なことだと思います。月涼しも白けた様な感じが出ていて、いい季語ですね。 弥生 不条理な人間のあり方を澄んだ月に祈る、そんな気もしますね。 守 タイムリーな句だと思うし、上五中七に私もまったく同感。 定利 凄い句ですね。上手い。           *       *       *  この句には「AIの進化に」という前書があった。選句者の中には「前書は不要、なくても伝わる」という人と、「前書がなかったら採らなかったかも」という人がいて、しばし、前書論が続いた。  前書は追悼句などの挨拶句に使われる事が多く、句が分かりにくいから説明のために、というのはよくないとされる。掲句の場合はどうだろう。前書無しではAIに結びつける情報は何もない。ただし、17世紀の思想家パスカルの「人間は考える葦である」という言葉を今、引用する作者の意図を推し量ると、世情を賑わせている生成AIの功罪に行き着くのはさほど難しくはないように思えるのだが。前書なしの掲句一読、皆さんはどんな感想をお…

続きを読む

父の日や若き遺影に一献す    和泉田 守

父の日や若き遺影に一献す    和泉田 守 『合評会から』(日経俳句会合同句会) 而云 こういう情景があるのだろうなという風に思いましたね。 三薬 若き遺影は誰なのですかね。 而云 お父上が早くに亡くなられたのでしょう。 木葉 若くして亡くなったお父さんの写真の前で酒を飲んだという、いい光景だと思いました。 昌魚 お父上の若い頃の写真に一献。いいですね。分かる気がします。 弥生 若き遺影が心に響きます。諸々想像が広がる一句。 双歩 作者の和泉田さんはお父上を早くに亡くされているのですかね。           *       *       *  日本人がこれほど長命になったのは昭和時代も後半、高度経済成長期に入ってからのことである。それまでは「人生五十年」がずーっと続いていた。江戸時代から数百年全国民が栄養不良の食生活を送って来たからだとも言われている。  生まれ年の干支が一巡りするのに六十年かかる。いわゆる「還暦」で、昔は赤いちゃんちゃんこを着せられ、赤い頭巾を被って一族郎党の祝いを受けた。それほどに「めでたいこと」だった。七十歳まで生きようものなら「古来稀なり」と言われた。  その上、昭和20年まで約90年間、日本は戦争続きで、狂人としか言いようのない為政者と軍幹部によって命を無駄にさせられた人が大勢いた。だから「父親は遺影で知るのみ」の人が少なくない。その人達も今や七十代である。 (水 23.07.02.)

続きを読む