ワコールの水着を着けて八十歳   横井 定利

ワコールの水着を着けて八十歳   横井 定利 『この一句』  ワコールは女性用下着の有名メーカーだが、水着を作っているとは聞いたことがない。だから最初に読んだ時には、受け狙いの作った句ではないかと思った。念のため同社のホームページを検索すると、ワコールの水着はちゃんと存在するのである。  下着メーカーらしく、体のラインを整える補正機能をもったシェイプアップ水着をかなり前から販売している。体全体を覆うタイプが主流で、黒や紺・紫の幾何学模様などおとなし目のデザインが多い。これなら80歳の婦人でも抵抗なく着用できるだろうと納得した。  となれば掲句への評価も変わってくる。描かれているのは現代のプールの情景であり、高齢化社会の女性像を鮮やかに切り取った一句と言える。ブランド物の水着に身を包み、プールに現れて悠々と泳ぐ80歳の女性。句会では「素敵な水着姿の高齢女性の元気な様子が分かる」(昌魚)とか「ワコールが決まっています。ミズノじゃないですね」(ヲブラダ)など、好意的な見方が多く、二席九点を獲得した。  ワコールの水着と80歳女性の取り合わせに、意外性とおかしみを感じる一方で、超高齢化社会ならあり得る光景と思わせる説得力がある。作者は確か86歳。プールに通っているとしても、女性水着のブランドを見ただけで分かるとは思えない。年回りから考えて、奥様のことを詠んだのではないかと推察している。 (迷 23.07.31.)

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天神の絵馬かき鳴らす青嵐    中沢 豆乳

天神の絵馬かき鳴らす青嵐    中沢 豆乳 『合評会から』(日経俳句会) 愉里 動きがあって音があって、良いかなと思います。 青水 神社には新年とか年度末に結びつけられたたくさんの絵馬があります。様々な思いが込められた絵馬が夏の強い突風にあおられてカラカラ鳴っている。そこに何だかしみじみする風情を感じました。 而云 青嵐がどっと吹き、絵馬をかき鳴らす。 静舟 一陣の風、絵馬のカラカラと乾いた音が聞こえる! ヲブラダ ドラマチックな風景が見えて、聞こえます。 戸無広 カラカラという乾いた音が耳に響いてきそうです。           *       *       *  学問の神様天神様の絵馬は受験シーズンの決まりもので、取り合わすにふさわしい風と言えば「木枯し」に始まって「春風」「春一番」といったところであろう。「青嵐の季節に天神絵馬は似合わない」という意見が出そうだ。しかし、最近は湯島も亀戸も「縁結び」の願掛絵馬や、よろずお願いの絵馬がいっぱい下がっている。というわけで、青嵐に絵馬がカタカタなっている情景に違和感がなくなった。事実、合評会では何の疑問も湧かず、「青嵐にからからと音立てる絵馬とは、爽やかな感じでいいねえ」と好評嘖嘖だった。 (水 23.07.30.)

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千人風呂玉砂利蹴って一人泳   堤 てる夫

千人風呂玉砂利蹴って一人泳   堤 てる夫 『この一句』  7月13日に日経俳句会・番町喜楽会合同で、信州諏訪の名所を訪ねる日帰り吟行を催した。諏訪大社参拝などもコースに入れたが、目玉は歴史的な温泉保養施設「片倉館」の座敷を借りて、大浴場と句会を楽しむことだった。  片倉館は製糸業で財を成した片倉財閥が、従業員と市民の福利厚生のために昭和3年に建てたもの。諏訪湖のほとりの広大な敷地に、国の重要文化財に指定されているレトロな洋風建物が3棟並ぶ。中でも大浴場はプールを思わせるほど大きく、大理石造りの豪華なもの。底には玉砂利が敷き詰められ、湯に入ると足裏が心地よい。  作者は、天井が高く開放感あふれる大浴場に入り、思わず泳いでみたいとの思いを抑えきれなかったのであろう。幸い午後の早い時間で、ほかに誰もいない。「玉砂利を蹴って」に実感がこもっており、悠々と浴槽に身を泳がせる作者の姿がほうふつとする。  夏目漱石の坊ちゃんも道後温泉と思しき大浴場で、人がいない時に何度か泳ぎ、ついには「泳ぐべからず」の札を立てられてしまう。広々とした湯舟が童心を誘うのであろう。同じ吟行句の中に「泳ぎ出す千人風呂や一人ぽち」があった。わずか8人の吟行衆に2人も泳いだ人がいたとは、と思って作者をみると、何とてる夫さんの妻の百子さん。夫唱婦随ぶりに思わず頬が緩んだ。 (迷 23.07.28.)

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皮膚までも脱ぎたき大暑大阪や 高橋ヲブラダ

皮膚までも脱ぎたき大暑大阪や 高橋ヲブラダ 『おかめはちもく』  いかにも大阪の夏といった感じで、実に面白い。この作者は意表を突く場面や物事を提示し、語順も口調も構わずに口をついたままを文字にするといった詠み方で、それがまた特殊効果をもたらしてしばしば喝采を受ける。  この句もそうだ。関西をよく知らない私だが、昭和45年(1970)の大阪万博取材の助っ人として東京社会部から真夏の大阪千里会場に送り込まれ、1週間駆けずり回って、大阪の猛暑をいやというほど味わった。まさに「皮膚までも」引っ剥がしたくなるほどの、うんざり、へとへと、もう勘弁してという気分に追い込まれた。  そういった気分がまっすぐ伝わって来る句だが、やはり、詠み方に問題がある。下五の「大阪や」という止め様はいかがなものか。大阪弁の「何とかや」という言い方で、「これが大阪や」と言いたかったのかも知れないが、やはり不安定な止め方だ。また、皮膚を「脱ぐ」というのもちょっと違和感を抱く。皮は「剥ぐ」というのが普通だろう。このように、あちこちに叙述のほころびが目立つ。  こうした諧謔句は、もともと人の思ってもみないことを言うものなのだから、用いる言葉や言い回しはむしろ大人しく、フツーに詠んだ方が良い。   大阪の皮膚も剥ぎたき大暑かな  と言ったらどうか。それではトゲが抜けてしまい、毒っ気が無くてつまらない、と言われるだろうか。やはり原句のハチャメチャが良かろうか。難しい。 (水 23.07.27.)

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老守衛袖もまくらぬ大暑かな   斉藤 早苗

老守衛袖もまくらぬ大暑かな   斉藤 早苗 『この一句』  掲句一読、これまで当ブログでも取り上げたいくつかの作品が浮かんだ。植村方円さんの「赤銅の警備員ゐて秋の風」と「紫陽花をコップに生けて守衛室」、大下明古さんの「警備員灼くる持ち場を動けずに」など、どれも味わい深く、句会で人気を博した佳句だ。  守衛、警備員、ガードマンなどの職場は概ね炎暑や極寒という過酷な条件下で働いているイメージがある。猛暑の中、道路の補修工事で赤色灯を手に交通整理をしている警備員を見かけると、その大変さが実感できるだけに「ご苦労さん」、思わず声を掛けたくなる。  掲句もまた然り。暑さが最も厳しい季節とされる大暑の炎天下、袖もまくらず黙々と任務に励む老守衛に、作者は心の中で声援を送っている。この句を採った人は、「袖もまくらぬ」に暑さに耐える老守衛の矜持を感じる、と口々に述べた。働く人をじっくり観察し、袖まくりにスポットを当てた着眼点の鋭さ。老、守衛、袖もまくらぬ、と人物像を畳みかけ、その十二音を季語の大暑が支える詠みっぷりも淀みがなく、また新たな労働者像が刻まれた。  ところで最近、工事現場などでクールベストという両サイドに送風ファンがついた特殊なベストを着ている作業員をよく見かける。守衛さんや警備員も令和の暑さ対策を十分施して、暑い夏を乗り切って欲しいと切に思う。 (双 23.07.26.)

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交差点渡りたくない大暑かな   旛山 芳之

交差点渡りたくない大暑かな   旛山 芳之 『この一句』  俳句の良し悪しを決める判定基準の重要なものの一つが「共感」である。思わず膝を打って、「ああ、そうだよなあ」と言いたくなる気持である。この句はその判定基準にぴたりとはまるものではなかろうか。  句会の合評会では、「信号が変わるまでは影がある所に引っ込んでいて、変わったなという瞬間に踏み出す。勇気がいるなあっていう、あの感じ」(愉里)、「するすると読み手の心に入り共感します」(健史)、「建物の陰や木陰から出たくない気持」(雅史)、「そんな気持になるこの暑さ」(静舟)と、異口同音の句評が寄せられた。まさに「共感が得られた」わけである。  渋谷や数寄屋橋の大きな交差点は今や国際的にも有名になり、外国人観光客グループがわざわざここを目当てにやって来て、交差点の真ん中で派手なポーズをとって記念撮影に興じたりしている。彼らにとっては暑ければ暑いほど、それがまた土産話になって面白いのだろうけれど、通勤通学でそこを毎日渡らなければならない人間にしてみれば、「いやあ、なんともでかい交差点だなあ」とうんざりする。アスファルトの火照った路上はことさらに暑い。「交差点渡りたくない大暑」とはよく言ったものだ。  令和5年7月23日・大暑、東京都心35℃。交差点路面42℃。 (水 23.07.25.)

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外苑の学徒の木霊白い夏     岡田 鷹洋

外苑の学徒の木霊白い夏     岡田 鷹洋 『この一句』  木霊(こだま)とは、樹木に宿る精霊のことをいう。『古事記・日本書紀』に登場する木の神・ククノチが木霊とされており、平安時代の『和名類聚抄』には木の神の和名として「古多万(コダマ)」の記述がある。山や谷に音が反射して聞こえる山彦(やまびこ)は、この精霊のしわざとされ、木霊・木魂とも呼ばれるようになった。  掲句は夏の日の神宮外苑で作者が聴いた精霊の声を詠む。外苑の学徒と言えば、昭和18年秋の出陣学徒壮行会がまず思い浮かぶ。戦況の悪化により、それまで徴兵を猶予されていた20歳以上の学生・高等専門学校生が動員されることになった。秋雨降る陸上競技場には7万人が参加、終戦までに13万人の学生・生徒が中国大陸や南方戦線に送られ、多くの戦死者を出した。神宮の森から出陣し英霊となった彼らは、今の日本をどんな思いで見ているのだろうか。  さらに現在の外苑は再開発計画に揺れている。野球場、ラグビー場の建て替えを機に、高層ビルや商業施設を建てる計画で、千本もの樹木が伐採・移植される。外苑は明治神宮の創建に合わせて、全国からの献木と勤労奉仕で造営された。名物の大銀杏など樹齢は百年近い。市民の反対運動が巻き起こったが、地主の明治神宮や東京都は強行する構えである。伐採される木々に宿る精霊の嘆きの声もまた木霊する。  作者は白い夏について「白っちゃけた気分をシンボリックに表現した」と自解しているが、外苑の森で英霊と木霊の声を聴き取った、渾身の警世の句…

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サングラス真似たタフガイみな鬼籍 杉山三薬

サングラス真似たタフガイみな鬼籍 杉山三薬 『この一句』  サングラスが大流行したのは1950年代末から60年代末までのほぼ10年ほどだったろうか。石原裕次郎、小林旭、高倉健といったスターがこぞってサングラスをかけ、それがまたよく似合ったものだから、ヤクザや愚連隊のあんちゃんはもとより、ちょっと流行を気にする若手サラリーマンまで、誰も彼もが競うようにかけた。  しかし当時は、まだ「色眼鏡」という言葉が残っていた時代で、目が悪くもないのに色眼鏡をかけるのはマトモではないと見做す人も多かった。だからサングラスをかけるのには少し勇気が必要だった。そこがまた人より半歩先を歩きたい、人と少し違った自分を見せたいという若者には魅力的で、重要な小道具ともなったわけである。  その後、日本全体が豊かになり落着いて来るにつれて、サングラスは肩で風切る兄さん達の小道具から、普通のファッション小物になった。それと共に女性が掛けるようになり、しゃれた婦人用サングラスがデパートの一角を占めるようになった。  時うつり令和の世の中。サングラスのよく似合ったスターたちも、それを真似して粋がった市井のタフガイたちも、みんな三途の川を渡ってしまった。この句はサングラスを材料に敗戦後80年がたとうとする日本の辿ってきた道程を手繰り寄せる、巧みな句である。 (水 23.07.23.)

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唸る声どっと沸く声夏座敷    向井 愉里

唸る声どっと沸く声夏座敷    向井 愉里 『この一句』  この句をそのまま読んだ人は、果たして何を唸っているのだろうと、訝るに違いない。唸るものと言えば、浪曲や義太夫が考えられるが、あまり現代的ではないし、夏座敷にふさわしいとも思えない。  この句は、7月Ⅰ3日に行われた諏訪吟行の折に、片倉館で「しりとり連句」を行った光景を詠んだ句である。片倉館は、片倉製糸によって建てられた、地元民のための温泉保養施設で、国の重要文化財に指定されているレトロな建物である。「しりとり連句」は、先行する句の最後の二字をつなげて、普通の連句と同様に五七五・七七を連ねてゆく遊びである。小難しいルールはないが、花の座や月の座は連句同様に詠まなければならない。  この日は、捌き手をつとめられるはずであった水牛氏が急に来られなくなり、連句の捌きなどやったことのない筆者が急遽つとめるはめとなった。捌き手が頼りないと、かえって連衆の力が発揮されるもので、列車の到着遅れにより開始時間が大幅に遅れたにもかかわらず、短時間のうちに予定の半歌仙を巻き終えることが出来た。この句に詠まれたような、付け句に苦労して唸る人は一人もおらず、あえて言えば、唸っていたのは新米の捌き手ただ一人であった。  この句の良さは「唸る声どっと沸く声」という、連句の座の様子を少々大げさに表現した臨場感にある。それが、片倉館の瀟洒な「夏座敷」を結句に得て、いかにも雰囲気のある佳句となった。 (可 23.07.21.)

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祖父に似た移民三世サングラス  谷川 水馬

祖父に似た移民三世サングラス  谷川 水馬 『合評会から』(酔吟会) 青水 南米に移民した人たちや、朝鮮半島の人たちのことなどを想起しました。そういう人の顔つきになつかしいものを感じることがあります。サングラスの季語によく合った句です。 双歩 情景がまったくわからず、二世ではなく三世とは何だろうなどと疑問もわきましたが、サングラスの句としてはとてもユニークなので採りました。           *       *       *  1980年代の高度経済成長時代、その後のバブル経済期、その後の長い経済沈滞期──日本はこのほぼ半世紀、急成長の後の長期低迷という道をたどりつつ、今や世界の大国中上位10カ国に入るか入らないかあたりをふらふらする状況に低迷している。GDP(国内総生産)はじめ直近の統計では、お隣の韓国や東南アジアのいくつかの国に追い抜かれてしまっているが、「国力」という点ではまだまだのものがある。それがものを言って、諸外国からかなりの数の人を引き付け、貴重な労働力になっている。  作者は鹿児島県庁で働いた経験があり、昔の南米移民の孫である三世世代の“逆移民”に出くわしたという。彼らはがっしりした体躯で、四角く扁平な、昔の日本人の顔をしている。飽食ニッポンのほっそりとしたオヒナサマ顔の若者と全然違う。とても頼もしい。これがまたサングラスがよく似合うのだ。 (水 23.07.20.)

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