とりあへず両手でつくる蛍籠 嵐田 双歩
とりあへず両手でつくる蛍籠 嵐田 双歩
『この一句』
蛍の句を詠むのはなかなか難しい。蛍には、死や情念にまつわる固有のイメージがつきまとい、「闇」、「恋」、「炎」などの文字で表現される句が多く、どうしても類句類想的になってしまう傾向があるように思う。
この日の句会に集まった人の多くは、六年前に信州青木村で行われた蛍吟行に参加している。その夜は無数の蛍が飛び交い、肩や胸に蛍が止まったり、手の平に受けることさえ出来るような状態だった。せいぜい都内のホテルの「蛍鑑賞の夕べ」くらいしか経験していない連衆にとって、こんなにも身近に蛍を見たり触れたり出来るとは、予期しない出来事であった。おそらく、螢籠を持って来た者など誰もいなかったに違いない。
この句はそんな体験を踏まえ、蛍をつかまえたのは良かったが、籠の持ち合わせなどなく、思わず手の平を籠がわりにして包もうとした光景を詠んでいる。蛍をとった喜びと、それとは裏腹に、ちょっと困惑している様子が想像される。とりわけ、「とりあへず」という言葉の選択が絶妙で、俳味十分なユニークな一句となっている。
(可 23.06.20.)