朝日射す庭いっぱいの五月かな 後藤 尚弘
朝日射す庭いっぱいの五月かな 後藤 尚弘
『この一句』
雑事にかまけて当欄への執筆を少々怠り、カレンダーを眺めて「しまった」と思った。掲句の季はまさに「五月」なのだが、掲載時は六月に入らざるを得ない。元日刊紙の記者として当然、「この句のテーマは五月晴れ。五月中に『みんなの俳句』に載せたい」と思う。しかしすでに梅雨さ中を思わせる日々。作者にも読者にも、申し訳ない、と謝るばかりである。
三四郎句会でのこの一句。会員たちからは「朝日が“庭いっぱい”なのではない。“五月がいっぱい”なのだ。そこがいい」などの発言が続き、なかなかの好評であった。掲載の後れは作者に謝るとして、“活きのいい刺身を翌日の朝に出すようなものだ”と諦める。その一方で、皆様には、五月の陽光に満ちた居間で、この句に接して頂きたかった、との思いも残った。
そんな時、句の作者から別件の電話があったので、さっそく「庭」のことを質問する。「この土地を買ったのは四十年も前のことですよ」「初めは庭師に頼んで、灯籠や石を入れてみたが、ああいうものはどうも・・・」「今はサツキ、ツツジ、水仙、福寿草もなんかも咲いているようです」。”五月がいっぱいの庭”は、どうやら奥様の作品、と推測された。
(恂 23.06.05.)