バフムトの戦野を照らす夏の月 流合 水澄
バフムトの戦野を照らす夏の月 流合 水澄
『この一句』
ウクライナ戦争はどう言い繕ってもロシアに非がある。ウクライナはロシアと歴史的に深いつながりを持ち、旧ソ連邦の有力な構成国であり、国内にロシア系住民も多い。にも拘らずロシアと敵対するNATOに友好的態度を取るのはけしからんというのがプーチンはじめ現ロシア政権の言い分だ。しかしそれを理由に武力行使するのはいかに何でも乱暴である。
私達の日本も80数年前、今のロシアと同じような戦争を起こし、中国大陸に攻め込んだ。結局は目も当てられぬ敗戦で一億国民は塗炭の苦しみにあえいだ。
この句の作者は第二次大戦の日本の惨状など知らない世代である。多分、ウクライナにも行ったことはあるまい。というわけで、「見た事もないところを見てきたように詠むのはいかがなものか」という意見が出るかもしれない。しかしそれは全く違う。見たこともない世界をのぞき、見てきたように描き出すのが俳人である。
蕪村に「揚州の津も見えそめて雲の峰」という句がある。行ったことも見たこともない揚州をこう詠んだ。書物から得た憧れの地である。蕪村には歴史に遊び、空想的世界を詠んだ名句が多い。揚州は中国江蘇省中西部の長江(揚子江)北岸の港湾都市。唐宗時代、日本が先進文化を取り入れるための門戸であった。蕪村がこの句を提示すれば、仲間の俳人たちはなるほどとうなずき、それぞれ行ったことのない揚州の港を思い描く。俳句にはそうした面白味と言うか広がりがある。
(水 23.06.04.)