戦争はテレビの中や新茶飲む 嵐田 双歩
戦争はテレビの中や新茶飲む 嵐田 双歩
『合評会から』(酔吟会)
而云 この通りですね。反省という訳ではないけれど、こんなことでいいのかと思います。
春陽子 おおかたの年寄りはこんな感じを抱いているのじゃないでしょうか。お茶を飲みながら戦争報道を見ていて、我々はどうしたらいいのかなんて思っている。いい句というより、鋭い句だと思いました。
青水 時事句ですね。そこにうまいこと季語の「新茶」をはめた。
水馬 ウクライナの句ですね。人を惹きつけるパワーがあります。
水牛 平和ボケというのか、幸せボケというのか、戦争大変だねと言ったって、しょせんテレビの中のこと。新茶だ、古茶だと言っている場合じゃないのだけれど・・。「新茶飲む」より「新茶汲む」の方が良いように思ったんですけどね。
双歩(作者) 今の話なので、古風な「汲む」という言い方は避けて、あえて日常語の「飲む」にしました。テレビの中のことと済ましていていいのか、という思いを込めて詠みました。
* * *
合評会でのやり取りで言うべきことは尽きている。テレビに映るウクライナの悲惨な情景を見るにつけ、今から78年前、葉桜の並木が立ったままぼうぼうと燃えている下を這いずり回りながら逃げまどったことを思い出す。あの横浜大空襲はまさに新茶の季節であり、新茶どころではない季節だった。
(23.06.01.水)