新樹光大正ガラス揺れ遊ぶ 工藤 静舟
新樹光大正ガラス揺れ遊ぶ 工藤 静舟
『この一句』
「大正ガラス」と「新樹光」の取り合わせがとてもいい。大正ガラスの窓のある建物は今どき珍しい。その昔の由緒ある家の屋敷であろう。当然大きな庭があって、大小様々な木々が配置良く植えられ、流れや池、石組が理想郷を形づくっている。そういう謂れ因縁ある建物の縁側に座して、緑萌え立つ庭を眺め感慨に耽る作者の姿が浮かんで来る。
ガラスは第二次大戦後の1950年代までは貴重品だった。ガラスそのものはローマ時代から作られていたが、窓ガラスにする「真っ平らで、透明で、厚さが均一」な板ガラスが大量生産できるようになったのは1950年のことである。イギリスで開発された「フロート法」という手法で、溶けた錫(すず)を満たした容器に溶けたガラスを流し込み徐冷しながら薄く平らな板ガラスを作るという技法だった。
それではこの句の「大正ガラス」など、昔の窓ガラスはどうやって拵えたのか。職人が溶けたガラスをパイプの先につけて息を吹き込み膨らます。相棒の職人が膨らんだガラス玉に鉄棒を差し込み、ぐるぐる回して大きな円筒形を作り、それを切り開いて板状に伸ばして板ガラスを作った。息の吹き込み具合や、切り開いて伸ばす過程での力のかかり方などで、板ガラスは波打ったり、ゆがんだりする。熟練職人による板ガラスにも、ゆがみがあり、それを透かして見る外の景色はなんとも幻想的なものとなる。青葉若葉の葉の在りようなどは到底うかがい知れず、まさに「揺れ遊ぶ」と見て取るより仕方がない。…