青不動青鮮やかに花の寺     中嶋 阿猿

青不動青鮮やかに花の寺     中嶋 阿猿 『この一句』  青不動とは仏像「不動明王」の中の、全身が青で彩られた仏様のことだ。大日如来に従い、悪魔を退治する実働部隊の一員と見ていいだろう。古来、広く庶民の信仰を受けており、親しみ込めて「お不動さん」と呼ばれる中の一尊である。東京近辺では目黒不動、目白不動などが有名だが、句のお不動さんに相応しいのは、京都と滋賀の境、比叡山の「青不動」だろう。  作者はもちろん、花見のために寺院を訪れていた。そこで突然、青不動に対面する。「桜色」を心に描きながら、図らずも「青」に出会ってしまったのだ。お花見という浮き浮きした心が、青不動の「青色」に対して、どのように反応したのだろうか。掲句に出会った時の私の場合を言えば、心中から「桜色」が消え、お不動さんの「青色」に占められていたのであった。  日経俳句会4月例会の兼題が「花」(桜)であった。句会の参加者は、桜色に彩られた風景を心に描きながら句を作り、句を選んでいたはずだ。筆者(私)もその一人だが、掲句に出会った時は、軽いショックを受け、今もこの句の持つパワーが胸中から消えていない。ところがこの句を選んだのは二人だけに留まった。凄い句なのに、と私はまだ考え続けている。 (恂 23.05.08.)

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鋤き畑の穀雨の雨になりにけり   廣上 正市

鋤き畑の穀雨の雨になりにけり   廣上 正市 『この一句』  「穀雨」は二十四節気の一つで、太陽暦では4月20日頃から5月5日頃、つまり春の終わりの半月である。この頃、本州付近は春雨がしとしと降り、これが「百穀を潤す」というので穀雨の季節と名付けられた。イネ籾を蒔くのもこの頃だし、芋(里芋)を植える時期でもある。野菜の種子を蒔くにもうってつけである。  従って農家にとってはいよいよ忙しい時期ということになる。田畑は冬の間から耕し始めているが、そこをもう一度鋤き返し、肥料を入れて、畝を作り、いよいよ種子を蒔いたり、苗床に育てた苗を植える。  この句はそうした時期の畑を詠んで、「さあ、いよいよだ」という期待感を抱かせる。鋤き返した畑に晩春の雨が音も無く降り、養分たっぷりの黒土を光らせている。「準備おさおさ怠り無し」という満足感も伝わって来る。耕し終えた畑を雨が濡らしていますよ、とうたっているだけなのだが、まさに「静穏」という言葉を思い起こさせてくれる。  喧騒の巷で忙しない生活を強いるマスコミ世界に身を置いての数十年間を無事に務め上げ、念願の田舎暮らしを始めてもう10年近くたつか。作者の農村暮らしは今やホンモノになったようである。 (水 23.05.07.)

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初孫は名付けて翔平鯉のぼり    中沢 豆乳

初孫は名付けて翔平鯉のぼり    中沢 豆乳 『合評会から』(日経俳句会) てる夫 海の彼方から日本列島まで、地球上が翔平に捕らわれたようなブームですから初孫に名付ける人も一人や二人ではないでしょう。 三薬 荒木大輔、松坂大輔の時は大輔ブームでした。 反平 翔平ということだけで採りました。 方円 分かりやすく、明るい。翔平で鯉のぼりだから合っているし、なるほどと思いました。 百子 本当にあんな孫がいたら幸せでしょうね。我が孫に欲しいです。 定利 何処を向いても大谷君。超今風の句。鯉のぼりの季語も良い。 双歩 昔は五月の節句には鍾馗様とか武者人形を飾りましたが、それが今や翔平ですもんね。            *       *       *  今や世界的に注目される大谷翔平選手を巧みに詠み込み、誰もが感心した句である。先日の朝日俳壇にも「初孫の名を翔平とつけし春」の句が選ばれていた。大谷選手の大活躍が同じような着想の句を生んだのだろうが、出来栄えは掲句が格段に優れている。俳壇句の方は散文的で、季語の春が取って付けた感じである。これに対し掲句は季語がピタリと決まっており、グランドを縦横に駆けるユニフォーム姿の大谷選手と、大空を泳ぐ鯉のぼりが二重写しになる。さらに弾むような句のリズムも初孫を得た高揚感を生んでいる。最後に作者が独身の豆乳氏と分かって、「やられたー」と句会は笑い声に包まれた。 (迷 23.05.05.)

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コロナ禍を乗せて去りゆけ花筏   中野 枕流

コロナ禍を乗せて去りゆけ花筏   中野 枕流 『季のことば』  「花筏」という言葉がいつごろ出来たものなのか知らないが、行く春を惜しむ、実に素晴らしい詩語だと思う。桜は咲き初めの初々しさ、満開の華やかさも勿論素晴らしいが、散り始め、やがてそれが吹雪のようになり、水面をびっしりと覆う景色も美しい。風や水流で水面が揺らぐと、浮かんだ花びらは漂い流れ、大小様々な形の花びらの島ができる。それがゆるやかに流れる様は、「花筏」という形容がぴったりである。それに乗って、春が流れ去ってゆくのだ。  作者はその景色を眺めながら、「コロナを乗せて行っておくれ」と詠んだ。まさに令和5年晩春にふさわしい一句となった。  「コロナ禍」は現実にはまだ続いているのだが、丸三年の防疫体制に国民も政府もうんざり、疲れ果ててしまったのだろう、5月8日を期して普通のインフルエンザと同等の「第五類」の感染症に位置づけるという。あまり大げさに考えずに“フツーの病気”扱いしようということのようで、「マスクははずして結構です」ということになった。コロナウイルスが政府のお達しを素直に聞いてくれれば万々歳だが、そんなに都合よく引っ込んではくれまいという見方もある。  ともあれ、中野枕流さんがこの句を引っさげて日経俳句会四月例会に登場した。活躍を期待しよう。 (水 23.05.04.)

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花吹雪浴びたくて行きまた戻り  向井 愉里

花吹雪浴びたくて行きまた戻り  向井 愉里 『季のことば』  俳句では「花」といえば桜を、「月」といえば仲秋の名月を指す。「花」には傍題が山ほどある。「花の雲」「花びら」「花の都」「花明り」「花便り」「花の陰」「花の奥」「花惜しむ」「初花」「落花」「残花」「花曇」「花冷」「花の雨」「花見」「花の宴」「花筵」「花篝」「花筏」「花見酒」「花疲れ」などなど。「夜桜」「初桜」などの「桜」を入れればもっと増える。「花吹雪」も「花」の傍題の一つで、「桜吹雪」ともいう。花期を終えた桜の花びらが、風で一斉に散る様を「吹雪」に模したのだが、一体誰が最初に言い出したのだろう。  「桜東風」というように、春は強風が吹く日が多い。折からの風が花を散らし、桜並木の下では正に吹雪いているような情景が生まれる。子供は走り回って花びらをつかもうとするが、自らが起こす風で花びらは除けてしまう。大人も走りこそしないが、吹雪の中を行ったり来たり、童心に返る。誰しも経験があるに違いない。  掲句は、その心情を素直に詠んで人気集中、一席に輝いた。「何度でも花吹雪を浴びたい気持ちがこの変則気味の句になったのだと思います」と水馬さんの言うように「行きまた戻り」の口調が少し気になるところ。作者によると「大学に入ったころの、門から校舎までの途中で浴びた花吹雪を思い出して」作ったという。なるほど。18歳の多感な女学生ならではのありのままの描写だ。なまじ口調を整えるより、臨場感が増す効果が出ることもある。 (双 23.05.03.)…

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大口を真上に開けて春の鯉    植村 方円

大口を真上に開けて春の鯉    植村 方円 『合評会から』(日経俳句会) 水兎 桜の花びらが散っている池でしょう。花の下に人影も増え、それで鯉も出てきちゃう。叙述にない風景まで浮かんでくるいい句だなと思いました。 実千代 池の鯉は餌をあげたり、みんなが見ていたりすると、上を向いて口を開ける。その周りに花がたくさん咲いているという春の情景がいいと思います。 枕流 鯉のパクパク。愛らしいというかすごく飄逸な感じがしました。 朗 餌をねだる様を、大口を真上に開けるというのが上手な言い回しだなと思いました。 迷哲 真上に開けるって、よく見ていますよね。こういう表現はなかなか出てこない。           *       *       *  作者は自宅近くを流れる神田川で大きな鯉をよく見るのだが、餌の奪い合いなど見るにつけ「鯉はつくづく獰猛だ」と思ったのだそうだ。  私も横浜の三渓園によく麩を持って行くが、餌を持った人間が岸辺によると、どっと集まる。何十尾も押し合いへし合い、大口を真上に開けて立ち上がる。しかし不器用でなかなかくわえられず落っことす。するとキンクロハジロという小さくて小賢しいカモが、さっと寄って来て横取りする。「バカだなあ、もう少し落ち着けよ」とつぶやく。  この句は見たまんまをそのまま詠んだのがいい。青空に向かって鯉が大口開けたということで、あっけらかん、のどかな春の気分がただよう。 (水 23.05.02.)

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青空や大阪城は花の陣     溝口 戸無広

青空や大阪城は花の陣     溝口 戸無広 『合評会から』(日経俳句会) 水牛 あっけらかんとして大らかな詠いぶりは、実に気持ちがいい。 而云 花の大阪城は行ったことはないが、頭の中で石垣の中から桜がわーっと膨らんでくるようなことを考えて、いい句だなと思った。 愉里 大阪城の写真のような、パンフレットのような鮮やかな景が浮かんでくる気持ちの良い句。 健史 凄惨をきわめた大阪の陣。今はのどかさと華やかさを享受しています。対比の妙。 芳之 空、城、花の組み合わせがきれいです。            *       *       *  眼前の花の景色を素直に詠んだ佳句と高点を得たが、大阪城の悲運の歴史を重ね合わせると、味わいが深まる句でもある。大阪城は豊臣秀吉が築いた天下の名城。難攻不落と謳われたが、家康の武略の前に落城、豊臣家は滅んだ。城は徹底的に滅却・埋没され、その上に築かれた徳川の大阪城も維新時の大火で焼け、現存するのは石垣と一部の櫓・門だけである。  一帯は戦後に広大な公園として整備され、市民の憩いの場となっている。春には三千本の桜が咲き揃い、花見客でにぎわう。「花の陣」の措辞によって、冬の陣、夏の陣の戦いと豊臣家の命運が想起され、城跡で花見を楽しむ平和な現代との落差が際立つ。  句会では司会の双歩氏が「作者の戸無広さんはこの春に大阪から東京に転勤になったので、置き土産ですね」と披露し、句に花を添える形となった。 (迷 23.05.01.)

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