子も孫も去って新茶の夜静か   廣田 可升

子も孫も去って新茶の夜静か   廣田 可升 『合評会から』(酔吟会) 水馬 五月の新茶の時期にちょうど合ったタイムリーな句ですね。子供や孫が来るとうるさいのだけれど、帰ってしまうと寂しいという気分がよくわかります。 青水 「子も孫も去って」という詩情のない言い回しに、「新茶の夜静か」の詩情が組み合わされていて、結果として「子も孫も去って」の安直さに現実感が表れているように思いました。 愉里 子供たちがいなくなって、急にしんみりしたところで新茶を飲む。このしんみりした感じに、ほかの新茶の句とは異なる意外性があるように思いました。 水牛 「あんなにうるさくちゃ新茶どころじゃないわねえ。しかしまあ、寂しくなったものだ」などと老夫婦が会話している光景が目に浮かびます。           *       *       *  飛び回っていた孫たちが帰ってしまうと、家の中は火が消えたように急に寂しくなる。老い二人が新茶を楽しむにはいいけれど…。核家族化が進展した少子高齢化時代の縮図そのものの一句である。それにしても「子供の声が煩い」というクレームで公園を閉鎖した自治体があるとか。なんという心の狭さなのだろうか。悲しい限りである。 (光 23.05.31.)

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気に染まぬ見合い蹴とばし夏に入る 中村迷哲

気に染まぬ見合い蹴とばし夏に入る 中村迷哲 『合評会から』(日経俳句会) 双歩 たぶん元気の良い女性でしょう。気に染まない男だったので蹴とばしたと。それが夏に入るとどう繋がるかよく分からないが、面白い。 豆乳 具体的に想像しちゃったんだが、四十前後の女性が、やきもきする両親にぐりぐり薦められた見合い相手が嫌で、蹴とばして。夏に入って、一人で生きて行こう、と。ユーモラスな決意が伝わってくる。 青水 上五中七の逸話と季語がうまくマッチしています。 水牛 この蹴とばしというのと夏に入るというのがうまく合っててね。元気なお嬢さんの姿が浮かんでくる。 愉里 最近のことではないのでは、と思いました。「蹴とばし」という表現が気に入りました。 百子 立夏の勢いを感じます。 阿猿 勢いがあっていい。 定利 川柳みたいだけど、夏に入るの季語が良い。楽しいですよ。 水馬 明治の女流作家のような激しさですね。 てる夫 でもひょっとして「大魚」を逃がしたかもしれませんよ。人生なんて考えようです。           *       *       *  作者によると「さあ夏だって感じを出したかったので、こんなストーリーを考えた」のだという。大変な話者である。とにかく巧い。11点も獲得した話題作。 (23.05.30.)

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流鏑馬や新樹の杜に響きあり  溝口 戸無広

流鏑馬や新樹の杜に響きあり  溝口 戸無広 『この一句』  五感を巧みに刺激する句である。流鏑馬、新樹の杜と言葉を並べ、緑豊かな神社の杜と疾走する馬体の色、射手の色鮮やかな装束を視覚的にイメージさせる。さらに下五に「響きあり」と据えることで、今度は流鏑馬をめぐる様々な音を聴覚に喚起する。それは馬の駆ける音だったり、矢を射る音や的の割れる音、あるいは観客の歓声かも知れない。読者の記憶にある響きが呼び覚まされる。  流鏑馬は日本古来の弓馬術である。平安時代から武士の鍛錬、あるいは神に捧げる神事として行われ、疾走する馬上から鏑矢(かぶらや)で三つの的を射る。人馬一体となった伝統武術は迫力満点で、今も多くの見物客を集めている。  ネットで調べると流鏑馬は全国百か所近くで行われている。神社の例大祭にあわせたものが大半で、秋の開催が多い。掲句のような新樹の季節の流鏑馬は意外に少なく、関東では日光東照宮、関西では京都下鴨神社で5月に催されるぐらいである。  作者は今年3月まで大阪勤務だったので、下鴨神社の流鏑馬を見る機会があったのではなかろうか。同社には糺(ただす)の森と呼ばれる鬱蒼とした原生林が残されている。この森の緑を背景に繰り広げられる華麗な流鏑馬神事を想像する。視覚、聴覚だけでなく、森を渡ってくる初夏の風が顔をなでる触覚、さらに風が運ぶ新樹の匂いによって嗅覚まで刺激されそうだ。 (迷 23.05.29.)

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これこそはSDGs冷奴     嵐田 双歩

これこそはSDGs冷奴     嵐田 双歩 『この一句』  五月の番町喜楽会句会で出会った一句。実はその二三日前、私は新聞を読みながら「えーとSDGsって・・・」と呟いていた。パソコンで検索してみたら「持続可能な開発目標」と出てきて「そうだったな」は何度目かの呟きであった。「貧困をなくそう」など、国連総会で決めた十七の世界的な目標だそうだが、世の中のあらゆる状況から、マスコミを通じて「SDGs」が登場してくる。   そして日経俳句会の兄弟的な句会、番町喜楽会から「SDGs」が飛び出してきた。ひょっとしたらこれは俳句に詠まれた初めてのSDGsではないだろうか。しかもSDGsの一例として挙げたのが何と「冷奴」なのだ。句を見て、初め私は「何で冷奴が・・・」と首を捻ったが、すぐにSDGsの日本語訳が頭に浮かんだ。「持続可能な開発目標」。なるほど全くその通り、と嬉しくなった。  我が家の冷奴は葱を多めに切り、豆腐一丁の上に盛る。なじみの小料理屋では鰹の削り節がちょこんと乗っていた。その上に醤油をかけて・・・。考えはまず、この辺で止まる。冷奴のSDGsが進んでいない証拠である。ならば考えてみよう。味噌はどうか。肉類、魚類、野菜を煮て、みじん切りにしたらいけるかも。SDGsの意味が、私の頭の中にしっかりと収まってきた。 (恂 23.05.28.)

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父に似た羅漢探せば青もみじ   中沢 豆乳

父に似た羅漢探せば青もみじ   中沢 豆乳 『合評会から』(日経俳句会) 三代 羅漢を見るとつい、似た人を探す。この人は最近、お父さんを亡くされたのかなあと思う。青もみじがとてもよく合っている。 方円 自分の父親に似た羅漢が居たらと、探したんでしょう。普通、秋とか冬とか、ややしんみりとした時期にくっつけるが、青もみじって新緑の季節をくっつけたのは、新鮮というか意外な発想というか。 迷哲 羅漢像に青もみじという光景がすごく絵になるなと思って頂きました。 早苗 一体一体、羅漢さまのお顔を覗き込む様子が浮かんで来ました。 枕流 この季節の愛宕念仏寺に行って見たくなりました。 雀九 青もみじを付ければ大体がよくなちゃうんですよ(笑い)。えらく良い俳句に見える。           *       *       *  雀九さんが喝破したように、この句の眼目は「青もみじ」にある。句会では、一様に青もみじが良く効いてると、たくさんの人から支持を集めた。ところが、季語に詳しい水牛さんから早速、「青楓」とか「若楓」はあるが、「青もみじ」という季語はありません、との指摘があった。筆者も採ったが、深く考えずに「青もみじ=若楓」と勝手に解釈してしまった。「青もみじ」は作者も言っていたが、旅行業界が好んで使っている流行の用語のようだ。ネットには「京都の青もみじスポット10選」などの惹句が目白押しだ。  そういう意味でこの句は、無季だが季感のある佳句といえるだろう。 (双 23.05.26.)

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はらわたに響く太鼓や神輿渡御 田中 白山

はらわたに響く太鼓や神輿渡御 田中 白山 『合評会から』(府中くらやみ祭吟行) 青水 初めての暗闇祭で知った大太鼓の迫力には度肝を抜かれました。腹に響く音のすごさに一瞬のうちに祭の世界に呼び込まれていました。 三薬 太鼓がズンと響く句が何句かありましたが、右代表でこれ。なぜでしょう、太鼓が響くのは、心でも頭でもなく、臍周辺なんですよね。 三代 あまりに似た句が並んでいて悩みました。いっそどれも取るのをやめようかとも思ったのですが、あの太鼓の響きは私も印象に残ったので素通りもできない。「はらわた」の方がより原始の響きに近いかと。           *       *       *  神輿も立派だったけれど、立派な神輿ならさして珍しくない。やはり府中くらやみ祭の圧巻は太鼓だ。直径が2メートルという日本一の大太鼓が次々に6基もやって来る。  句会には当然それを詠んだ句が沢山出た。「暗闇の若葉揺すらせ大太鼓」「いなせやな祭り太鼓に立つ男」「御旅所へおいでと宵の大太鼓」「下腹に響く太鼓や神輿渡御」・・。私もあのズシーン、ドッシーンと響く音に打たれて気が遠くなりそうになり、「萎えし身に暗闇祭大太鼓」と詠んだが、ストレートに「はらわたに響く」と言ったこの句には負けた。 (水 23.05.25.)

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連句詠む座敷に青い梅の風    杉山 三薬

連句詠む座敷に青い梅の風    杉山 三薬 『合評会から』(府中くらやみ祭吟行) 青水 吟行句らしい一句。うんうん唸って句が出来て、次の人へ送った時に吹いてきた緑のそよ風の気持の良さ。 水馬 庭に青梅がたくさん生っていて気持のいい風が入ってきました。 迷哲 旧田中家の中庭にあった梅の木と、連句の座を通り抜けた薫風を巧みに組み合わせた。 三代 これも青梅の季語になるのかなと少しひっかかったのですが、あの座敷を吹き抜けていったすがすがしい風を表現する言葉としてぴったり。座敷の前には青梅をつけた木がありました。           *       *       *  暗闇に大太鼓を打ち鳴らし、8基の神輿が次々に渡御する府中・大國魂神社の奇祭「くらやみ祭」。5月5日、句友9人連れ立って見物に出掛けた。昼間は多摩川に近い森の公園を散策、そこには明治天皇が府中行幸の折に行在所となった富商の蔵屋敷が移設されており、その表座敷を借りて「しりとり連句」というオアソビ連句を巻いた。前庭には青葉隠れに実をびっしりつけた梅の木。そこを吹き抜けて来る風が爽やかで、実に気持良い。  いつもはひねくった句を詠む作者だが、この吟行の幹事だけにいとも大人しく、品良くおさめたのが功を奏し、見事一等賞を射止めた。「青い梅の風」という一見たどたどしい言い回しが却って良い味を出している。 (水 23.5.24.)

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若葉風スケートボードで塾通ひ  前島 幻水

若葉風スケートボードで塾通ひ  前島 幻水 『合評会から』(番町喜楽会) 迷哲 現代的な光景ですね。幼い子がスケートボードで走る。若葉風とぴったり合っています。 而云 かなり年上の子が乗ってるのかなぁ。それが塾通いとは……。うまくできています。 水牛 「若葉風」に乗ってスケートボード。元気がよくて気分がいい。子供たちのスケートボード熱はすごいよね。ウチの前でもよく滑っていて時々、「危ない!」と怒鳴ったりしています。 光迷 塾に行く時に今はリュックだからスケボーに乗れるんですね。時代を切り取った句です。            *       *       *  スケートボードは若者に人気のスポーツ。以前は路上にたむろする素行の良くない少年らの遊びと見られていた。ところが2020年の東京五輪の種目に追加され、当時13歳の西矢椛選手をはじめ男女5人が金3,銀1,銅1とメダルを量産、日本中の注目を集めた。専用の競技場を整備する自治体も出てくるなど、すそ野を広げつつある。  作者の解説によれば自宅の前に公文塾があり、子供たちがスケボーでたくさん通ってくるという。今やスケボーが日常の足となっている訳だ。若葉風の季語を取合せたことで、句に元気さと疾走感が生まれている。変化の激しい時代をたくましく生きる子供たち。塾通いという関門にチャレンジする姿を描いた句から、「頑張れよ」という作者の声が聞こえてきそうである。 (迷 23.05.23.)

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新樹光大正ガラス揺れ遊ぶ   工藤 静舟

新樹光大正ガラス揺れ遊ぶ   工藤 静舟 『この一句』  「大正ガラス」と「新樹光」の取り合わせがとてもいい。大正ガラスの窓のある建物は今どき珍しい。その昔の由緒ある家の屋敷であろう。当然大きな庭があって、大小様々な木々が配置良く植えられ、流れや池、石組が理想郷を形づくっている。そういう謂れ因縁ある建物の縁側に座して、緑萌え立つ庭を眺め感慨に耽る作者の姿が浮かんで来る。  ガラスは第二次大戦後の1950年代までは貴重品だった。ガラスそのものはローマ時代から作られていたが、窓ガラスにする「真っ平らで、透明で、厚さが均一」な板ガラスが大量生産できるようになったのは1950年のことである。イギリスで開発された「フロート法」という手法で、溶けた錫(すず)を満たした容器に溶けたガラスを流し込み徐冷しながら薄く平らな板ガラスを作るという技法だった。  それではこの句の「大正ガラス」など、昔の窓ガラスはどうやって拵えたのか。職人が溶けたガラスをパイプの先につけて息を吹き込み膨らます。相棒の職人が膨らんだガラス玉に鉄棒を差し込み、ぐるぐる回して大きな円筒形を作り、それを切り開いて板状に伸ばして板ガラスを作った。息の吹き込み具合や、切り開いて伸ばす過程での力のかかり方などで、板ガラスは波打ったり、ゆがんだりする。熟練職人による板ガラスにも、ゆがみがあり、それを透かして見る外の景色はなんとも幻想的なものとなる。青葉若葉の葉の在りようなどは到底うかがい知れず、まさに「揺れ遊ぶ」と見て取るより仕方がない。…

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懐も手間も端折って冷奴    山口 斗詩子

懐も手間も端折って冷奴    山口 斗詩子 『合評会から』(番町喜楽会) 水馬 諸物価高騰の折、懐具合にも料理の手間からも冷奴はちょうどいいのでしょう。タイミングがいい句です。 春陽子 値段を「懐」と表したのがいい。今じゃ「懐」なんて言葉は使われない。「端折る」は「かけず」という意味でしょうか。言葉遣いがうまいですね。 光迷 私も頂きました。一丁で二人分はあるし、薬味も手間をかけずに醤油だけという手もある。 水牛 冷奴が大好きな私は、冷奴を馬鹿にするなと言いたい(会場爆笑)。もっと大事にしてほしいなぁ。           *       *       *  手軽で美味しく、涼味あふれる料理の筆頭は冷奴だろう。この一句は、物みな上がる昨今の世相を背景に、おかしみを伴って纏められている。暑さで疲れたせいかどうかはともかく、「手間も端折って」には、軽い自嘲が混じっているようにも受け取れる。  それはともかく、最近は旨い豆腐が少なくなった。味が乏しく、滋味を感じることが少ないのだ。寄る年波で味覚が衰えたせいかもしれないが…。ただ「工場生産の豆腐は、大豆を搾り切ってしまい、残り滓は飼料にもならない」という話を聞いたおぼえがある。 (光 23.05.21.)

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