番町の名残の花も散りにけり 大澤 水牛
番町の名残の花も散りにけり 大澤 水牛
『この一句』
「黒羽亮一さんを悼む」との前書がついた追悼句だ。黒羽さんは日経俳句会の名誉会員で、桜が散る先頃、亡くなられた。番町には故人の住まいがあり、長年育てた後輩たちが入れ替わり訪ねては談論風発の場となったところだ。そういう背景を知らなくても、番町は江戸城のお堀に沿った、千鳥ヶ淵をはじめとした桜の名所である。句自体にしみじみとした哀惜の情を感じる。
作者の挨拶句には定評がある。特に追悼句にはいつも感心させられる。例えば、「おうおうと花の奥より友の声」は、花見で逸れた友人がしばらくして花の奥から出てきた、というような臨場感溢れる景だが、実は亡くなった句友を偲んだ作品だという。同じく日経俳句会、番町喜楽会のユニーク俳人故・山口詩朗さんへの追悼句「飯粒ぽろぽろ熱弁詩朗卒業す」からは、故人を知っている人は勿論、知らない人でも、何となく故人の人となりを感じ取れるのではないだろうか。
石寒太という俳人は、久保田万太郎を挨拶句の名人として評する文の中で、「俳句は、つまるところ、この挨拶の句をつくるために、日ごろから訓練している、といってもいいのかもしれない」と言う。作者は、句歴六十有余年。その伝でいくと、挨拶句が卓越しているのも宜なるかな、と得心がいく。
「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり(万太郎)」は、愛する女性の急逝に遭い、つくられたと言われる。しかし、古今の挨拶句は月日が経つにつれ、その背景や前書は、やがて薄れ、作品だけが語り継がれ…