押せば出る箪笥なだめて春の風 星川 水兎
押せば出る箪笥なだめて春の風 星川 水兎
『この一句』
子供の頃、句の示すような状況を何度か見た覚えがある。母親や姉が箪笥の一段を引き、着物を取り出して元に戻すと、別の一段が少し押し出されてくるのだ。座敷で遊んでいた年上の一人が「気圧の問題だ」と説明する。年下のガキどもは「そういうものか」と、とりあえず納得。少し押しだされた箪笥の一段が元に戻されるのを見て安心し、自分たちの遊びに戻って行く。
私を含む悪ガキはそれぞれ老境に入り、自適の生活。私は図らずも句会で掲句に出逢い、母や姉が箪笥をゆっくり戻す動作を思い出した。「なるほどあれは箪笥を“なだめて”いたのか」と掲句の言葉遣いに感心。そして我が家に残されたたった一つの和箪笥を思い出した。中に収まっている着物、つまり母の遺品などは、もう何十年も箪笥の中に納まったまま、虫干しもしていない。
句会では掲句の下五「春の風」が少々問題になった。箪笥の状況と「春の風」の間に時間差、あるいは状況の差が在り過ぎるのでは、ということだ。句会にも和服で現れる作者のこと。句のような状況もよくあるはずだが、「”春の風”は兼題だからな」の声に改めて「そうだったか」と気づく。このところの「忘れていた」の増加は春のためか、年齢のめか、と独り考える。
(恂 23.04.20.)