戦火なき国の幸せ桜餅      須藤 光迷

戦火なき国の幸せ桜餅      須藤 光迷 『この一句』  読んですぐに、「本当にそうだなあ」と思わせられた句である。ウクライナでは一年以上も戦闘が続き、先が見通せない状況にある。ウクライナのみならず、戦乱状態にある地域は、この地球上にたくさんある。そんなことを考えれば、縁台に座って桜餅が食べられる、平和な日本のなんと幸せなことよ、とこの句はうたっている。この句は、日本さえ良ければということではなく、世界中がそうなればと願って詠まれたものだと思う。  この句を読んで、戦争と桜のことを思った。先の戦争において、「散る桜」に「大和魂」が重ね合わされ、精神面のシンボルとなり、特攻兵士の歌などに多く詠みこまれた。本居宣長の「敷島の大和心を人問はば/朝日に匂ふ山桜花」の影響を指摘する向きもあるが、この歌にはそんな意味は毛頭ない。戦意高揚のための国策の中で醸成されたものであろう。いずれにせよ、桜にはなんの罪もなく、特攻など理不尽の極みである。  田中元首相が「戦争を知らない世代ばかりになると怖いことになる」と言ったと聞いたことがある。その為政に対する評価とは別に、この言葉は、とても重みのある言葉だと受けとめている。もうすぐ、あるいはすでに、そういう時代である。縁台で桜餅の甘さを堪能できる平和な時代がずっと続くこと、世界中がそんなふうになること、を願ってやまない。 (可 23.04.09.)

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