ビー玉のキラリと雀隠れかな 今泉 而云
ビー玉のキラリと雀隠れかな 今泉 而云
『季のことば』
「雀隠れ」とはなんと含蓄のある季語だろう。雑草が萌え出しぐんぐん伸びて、スズメが隠れるほどになった晩春の頃合いを言う言葉だ。「雑草」などと言うと「そんな草は無い」と昭和天皇に叱られてしまうが、この際は逞しさの象徴として使わせてもらう。とにかく雑草の力強さには眼を見張る。ナズナ(ぺんぺん草)、はこべ、オオイヌノフグリ、ハハコグサ、スズメノカタビラ、たんぽぽ、オドリコソウと互いにしのぎを削って自らの領地を広げ、背を伸ばして行く。三日見ぬ間の桜かなというが、雑草の勢いはまさに三日見ぬ間に大変りである。二月にポチッと可愛らしい芽を生やし、三月になるともういっぱしの大きさになって花をつける。そして三月末から四月になれば、雀がすっぽり隠れる大きさになる。
この句はそんな雑草の葉陰にきらりと光るものを見つけて、近寄ってみたらビー玉だったいうのだ。小さな子どもの居ない老夫婦の住まいの庭先に、ビー玉があるとは不思議なことだ。
そうか、これは今や50代の息子たちが小中学生だったころに遊んで忘れられていたのが風雨に曝され、ひょっこり現れたのだな。いや、待てよ、息子たちがビー玉遊びに興じていた覚えはないな。ビー玉遊びが全盛を極めたのは終戦後間もなくの自分の小中学生時代だったな。とすると、このビー玉は私の・・と思い出がどんどん逆上って行く。かくて春興老人絵巻は果てしなく繰り広げられて行く。
(水 23.03.26.)