青錆の腕時計巻く彼岸かな 伊藤 健史
青錆の腕時計巻く彼岸かな 伊藤 健史
『この一句』
ちょっとミステリアスで、推理心をくすぐる句である。まず青錆の浮いた腕時計の素材は何であろうか。現在主流のステンレスやチタンでは青錆は出ない。それらが普及する前、昭和30年代までは真鍮ケースに金メッキを施したものが多かった。メッキが剥げ、真鍮が手の汗と反応すると青錆が発生する。錆が浮くほど使い込まれた年代物の腕時計が浮かんでくる。作者の歳まわりから考えると、おそらく父親が愛用していた腕時計であろう。
では巻いているのは何だろう。常識的には竜頭(ねじ)を巻いていると思われる。腕に巻いたと解釈できないでもないが、彼岸という季語が季節の移り変わり、時の流れを意識させることから、竜頭説に軍配が上がる。彼岸の時期は墓参りをするなど、亡くなった人を偲ぶ機会でもある。作者は古い時計の竜頭を巻きながら、父親の所作や言葉を思い返し、追想に浸ったに違いない。青錆もまた時の経過を示す。彼岸と響き合って、しみじみとした情感を醸している。
句会で青錆の腕時計が動くかどうか問う声が出ると、出席していた鈴木雀九さんが「これを見てください。青錆が出てるけどちゃんと動いています」と自分の腕時計を指し示した。聞けば、中学入学のお祝いに貰って、以来70年近く使い続けているという。物を大切に受け継ぐことは、それにまつわる思い出もまた大事にすることになる。作者には、青錆の腕時計をオーバーホールして使い続けてはどうかと勧めようと思う。
(迷 23.03.21.)…