ゆらゆらと光の波紋水温む    岩田 三代

ゆらゆらと光の波紋水温む    岩田 三代 『この一句』  池か川か湖か、近くをボートでも通り過ぎたのか、あるいは大鯉が餌をもらいに浮かび上がって来たのか、それとも風によるものか、水面に波紋ができて、揺れて春陽を反射する。それがゆらゆらとゆっくり広がって行く──ただそれだけを言っている。しかし、その情景描写に「水温む」という季語を添えると、いかにも仲春三月の気分が横溢する。  「水温む頃に水面を見ていると、何となくこんな感じがすると思い頂きました。きれいな句ですね」(双歩)、「池や川の水面がきらきらと輝く春の景が眼に浮びます。素晴らしい!」(昌魚)、「池の水が温み、キラキラ光る波紋が心を癒す」(操)、「ゆらゆらが穏やかな季節を感じさせてくれます」(戸無広)と、合評会での句評はどれも似通っている。つまりは万人が同じような受け取り方をして、安心感と好感を抱く句なのだ。  けなそうと思えば、悪口はいくらでも言えそうな句でもある。「当たり前のことを言ってる」「平板」「それがどうしたの俳句」云々・・。けれども、もう一遍この句をゆっくりと声を出して読んでみると、眠くなるようないい気持になる。“大平凡句”とでも名付けようか。 (水 23.03.14.)

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