獺祭り口伝も絶えて村廃る 篠田 朗
獺祭り口伝も絶えて村廃る 篠田 朗
『季のことば』
「獺祭(だっさい。おそまつり)」とは聞き慣れない季語だ。載ってない歳時記もある。「獺祭忌」は「子規忌」の傍題で割とポピュラーな仲秋の季語。また、「獺祭」という山口県のお酒は一時、幻の銘酒と呼ばれたこともあり、こちらを思い浮かべるむきもありそうだ。
水牛さんの解説によると「獺(かわうそ)は魚を獲るのが上手で、取っては岸辺に並べておく習性があるといい、それがあたかも供物を並べて先祖を祀る儀式のように見える。古代中国人は「獺魚を祭る」のが早春の景物であるとして、暦の七十二候に据えた。二十四節気の立春の十五日後の「雨水」の初候(最初の五日間)で、新暦では二月十九日から二十三日(年によって一日ずれる)に当たる」という。つまりは「大寒」や「土用」などと同じ時候の季語だ。と、説明されても今ひとつピンとこない。俳人の例句を見ても、何かを並べて「獺(おそ)の祭」のようだ、という句が多い。句会でも「何かを並べた句」がずらり並んだ。
その中にあって、〝並べない〟掲句が目を引いた。獺が獲った魚を祭る光景は、かつては身近にあったのだろう。しかし、今や野生の獺は絶滅し、動物園でしか見られなくなった。父から子へ、あるいは祖父から孫へと口伝えに伝承されていた風物詩が失われ、やがて獺が生息していた村から住民もいなくなった。作者の深い嘆息が聞こえてきそうだ。
(双 23.03.03.)