春光や我れ単線の客となる    金田 青水

春光や我れ単線の客となる    金田 青水 『合評会から』(酔吟会) 道子 春の暖かい日に、単線のゆったりした時間に身をゆだねる姿が映像として浮かんできていただきました。 而云 これは、日頃よく知っている場所ではなく、人があまり行かないような場所へ、わざわざ訪ねて行くのだと思います。それが「我れ単線の」という措辞に表れている気がします。 愉里 私は単線をよく使っています。春になると、単線が走っているような観光地では、いろいろな集客キャンペーンをやっていますね。 てる夫 「我れ単線の客」という措辞に、「どこそこに行ったんだ」とか「どこそこに行くんだ」ということを天下に知らしめたい思いを感じます。「春光」の気分の良さに合っている気持ちのいい句です。           *       *       *  「単線はありふれているし、乗っているのは我に決まっているだろうと思って採りませんでした」(三薬)という厳しい評もあったが、「春光」という季語によく合っている。「我れ単線の客となる」という大仰な詠み方が効果を発揮している。  あちこちが傷んできて、ついつい出不精になってしまう自らを奮い立たせ、見知らぬ土地を訪ねようというのだ。乗り込んだはいいが、乗客が誰もいなくて急に心細くなったりする。 (水 23.03.28.)

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母の忌の菜飯にぎりのほろ苦き  徳永 木葉

母の忌の菜飯にぎりのほろ苦き  徳永 木葉 『合評会から』(酔吟会) てる夫 菜飯と言えばお母さんを思い出す人が多いのではないでしょうか。良いことも、悪いことも、いろいろなことを思い出すのでしょう。 三薬 思い出のほろ苦さと菜飯そのもののほろ苦さをうまくつなげて詠んだ句だと思います。 青水 良い句なのですが、この菜飯にぎりを誰が作ったのかということが気になりました。 愉里 「ほろ苦き」が気に入っていただきました。普段は作らない菜飯を、母の忌日だから作ったのでしょうか。 水馬 最近は菜飯をあまり作ることがありませんが、菜飯といえばやはり母の味という気がします。「ほろ苦き」が効いています。           *       *       *  この句を採った人は、おおむね下五の「ほろ苦き」を評価している。一方、この句を採らなかった人から、菜飯というのは苦味のあるものだから、あえて「ほろ苦き」と詠む必要はない、という意見が出された。また、「母の忌」「菜飯」「ほろ苦き」では、イメージがかぶりすぎるという評もあった。とても微妙な問題だという気がするが、筆者は、やはり「ほろ苦き」があってこそこの句は成り立つように思う。いずれにせよ、考えさせられる指摘であった。 (可 23.03.27.)

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ビー玉のキラリと雀隠れかな   今泉 而云

ビー玉のキラリと雀隠れかな   今泉 而云 『季のことば』  「雀隠れ」とはなんと含蓄のある季語だろう。雑草が萌え出しぐんぐん伸びて、スズメが隠れるほどになった晩春の頃合いを言う言葉だ。「雑草」などと言うと「そんな草は無い」と昭和天皇に叱られてしまうが、この際は逞しさの象徴として使わせてもらう。とにかく雑草の力強さには眼を見張る。ナズナ(ぺんぺん草)、はこべ、オオイヌノフグリ、ハハコグサ、スズメノカタビラ、たんぽぽ、オドリコソウと互いにしのぎを削って自らの領地を広げ、背を伸ばして行く。三日見ぬ間の桜かなというが、雑草の勢いはまさに三日見ぬ間に大変りである。二月にポチッと可愛らしい芽を生やし、三月になるともういっぱしの大きさになって花をつける。そして三月末から四月になれば、雀がすっぽり隠れる大きさになる。  この句はそんな雑草の葉陰にきらりと光るものを見つけて、近寄ってみたらビー玉だったいうのだ。小さな子どもの居ない老夫婦の住まいの庭先に、ビー玉があるとは不思議なことだ。  そうか、これは今や50代の息子たちが小中学生だったころに遊んで忘れられていたのが風雨に曝され、ひょっこり現れたのだな。いや、待てよ、息子たちがビー玉遊びに興じていた覚えはないな。ビー玉遊びが全盛を極めたのは終戦後間もなくの自分の小中学生時代だったな。とすると、このビー玉は私の・・と思い出がどんどん逆上って行く。かくて春興老人絵巻は果てしなく繰り広げられて行く。 (水 23.03.26.)

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しいたけの駒打つ音や春の風   谷川 水馬

しいたけの駒打つ音や春の風   谷川 水馬 『この一句』  駒打ち作業を具体的には知らなかったが、句を読んだ時に山々にこだまする「コーン」という音が聞こえる気がして点を入れた。谷を渡る心地よい春風が感じられる伸びやかな句である。 椎茸の栽培方法をネットで調べてみた。椎茸が生える「ほだ木」を作るのが第一歩。ナラやクヌギの木を切って乾燥させたものに、ドリルでいくつか穴をあける。この穴に椎茸菌を付着させた2センチぐらいの木の栓を打ち込む。種駒というらしいが、奥までしっかり打ち込む必要があるので木を叩く音が響き渡ることになる。 こうした知識がなくても「駒を打つ音」という字面から、何やら木製のものを打った時に出る乾いた音が想像される。椎茸は山の産物であることは誰でも知っているので、山々に響く駒打ちの音と、その音を運んでくる春風の軽快さも十分イメージできる。椎茸の駒打ちは雑菌が混入しないよう、寒さの残る早春に行われるという。駒打ちの音は春到来を告げる音でもある訳だ。 もっとも近年の椎茸栽培は、おがくずのブロックに種駒を打ち込み、暗い室内で育てる菌床栽培が9割以上を占めるという。ほだ木を使う原木栽培は手間と時間がかかるので、8%弱にまで減っている。九州で生まれ育った作者が、おそらく幼い頃に聞いたであろう駒打ちの音は、今や幻の音かも知れない。 (迷 23.03.24.)

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おばちゃんもモンローになる春一番 中沢豆乳

おばちゃんもモンローになる春一番 中沢豆乳 『合評会から』(日経俳句会) 三薬 モンローがスカートを抑える、誰もが知っている映画の場面を面白く詠んだ。おばちゃんも喜ぶよね。 てる夫 魅せられたというか、懐かしい感じがして頂きました。 反平 強い風にあおられてスカートがひるがえったが、もうそんなこと気にしない歳になった。明るく元気な大阪のおばちゃんのイメージ。 三代 この句、若い人には分からない。おばあちゃんはモンローにならないけど同時代人として一票。 明生 俳句というより川柳と言った方が良いかも。春一番の強い風に、スカートを抑えるおばちゃんたち。まだ「女性の身だしなみ」は、忘れていないようです。 青水 たちまち場面が目に浮かび、納得させられた。ぴしりと季語が決まり、登場人物に過不足がない。秀逸。 芳之 モンローが句になるとは。コケティッシュで楽しい。           *       *       *  あの伝説的な名場面を引っ張り出しての「春一番」。いくら何でも古いと、私は見るなり切り捨てたのだが、なんと句会では大変な人気。これにはびっくりした。「おばちゃん」がモンローになると言ったところがお手柄なのだろう。嫌なニュースばかりの世の中だから、こういうあっけらかんとした句を見ると逆に救われる気分になるようだ。 (水 23.03.23.)

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新券のユーロ備えて春の旅    向井 愉里

新券のユーロ備えて春の旅    向井 愉里 『おかめはちもく』  コロナ禍もようやく収束の様相を見せ、「さあ海外旅行に出かけましょうか」という気分が漂い始めた。それをいち早く捉え、ユーロ紙幣を両替してきた情景で表したところがとても新鮮だ。海外旅行に出発前、出かける先の国の紙幣を手にするとわくわくする。ビジネスでしょっちゅう海外旅行する人は別だが、たまに海外観光旅行する人にとって、珍しい紙幣を手に取ると、その国がぐっと近づいた感じになるのだ。ことにユーロというのはEU(欧州連合)諸国で国境を越えて使用されている通貨だから、円やドルなど一国限定通貨と違う印象がある。そんな当たり前のことも、ユーロ紙幣を手にとって初めてしみじみと感じたりする。  この句はおびただしい旅行句の中で、紙幣に焦点を絞ったところが面白い。その点は大いに称賛できるのだが、句中の「備えて」という言葉に引っかかる。折角の句が、このこなれない一言でおかしくなってしまった。  「備える」は物や設備を整え、用意することだから、ヨーロッパ旅行に当ってユーロ紙幣を「備える」で間違いはないのだが、どうも違和感を覚える。句会でも「お札を備えるとは言わないなあ」という声が出た。  ここは「新券のユーロ手にして春の旅」とごく普通に詠んでおいた方がいいのではなかろうか。用語に迷ったら「普段遣いの言葉に戻る」のが一番である。 (水 23.03.22.)

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青錆の腕時計巻く彼岸かな    伊藤 健史

青錆の腕時計巻く彼岸かな    伊藤 健史 『この一句』  ちょっとミステリアスで、推理心をくすぐる句である。まず青錆の浮いた腕時計の素材は何であろうか。現在主流のステンレスやチタンでは青錆は出ない。それらが普及する前、昭和30年代までは真鍮ケースに金メッキを施したものが多かった。メッキが剥げ、真鍮が手の汗と反応すると青錆が発生する。錆が浮くほど使い込まれた年代物の腕時計が浮かんでくる。作者の歳まわりから考えると、おそらく父親が愛用していた腕時計であろう。  では巻いているのは何だろう。常識的には竜頭(ねじ)を巻いていると思われる。腕に巻いたと解釈できないでもないが、彼岸という季語が季節の移り変わり、時の流れを意識させることから、竜頭説に軍配が上がる。彼岸の時期は墓参りをするなど、亡くなった人を偲ぶ機会でもある。作者は古い時計の竜頭を巻きながら、父親の所作や言葉を思い返し、追想に浸ったに違いない。青錆もまた時の経過を示す。彼岸と響き合って、しみじみとした情感を醸している。  句会で青錆の腕時計が動くかどうか問う声が出ると、出席していた鈴木雀九さんが「これを見てください。青錆が出てるけどちゃんと動いています」と自分の腕時計を指し示した。聞けば、中学入学のお祝いに貰って、以来70年近く使い続けているという。物を大切に受け継ぐことは、それにまつわる思い出もまた大事にすることになる。作者には、青錆の腕時計をオーバーホールして使い続けてはどうかと勧めようと思う。 (迷 23.03.21.)…

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亀鳴くや卒寿の姉の長電話    大澤 水牛

亀鳴くや卒寿の姉の長電話    大澤 水牛 『この一句』  この句の季語は「亀鳴く」。亀には発声器官がないので、実際は鳴くことはあり得ないが、時によってその発する音が鳴いているようにも思える、ということから季語とされているようだ。歳時記によって異なるが、「想像上の季語」とか「感覚的な情趣」とか説明されている。  そんな非現実的な季語なので、「亀鳴く」の句は、いきおい、取合せの句とならざるを得ず、取合せられた二物は、意味の上でのつながりがほとんどないものになりがちである。ところが、この句は、長寿のシンボルである亀と、卒寿を迎えたお姉さんと、そのお姉さんの長電話を取合せたことで、「長さ」にまつわるつながりを持つ句になっている。また、亀の鳴き声と、長電話の声が取合せられたことで、「声」にまつわるつながりも感じさせる句になっている。それらは決して意図してなされたものではなく、自然体で詠まれた結果のように思うが、この句のイメージを膨らませる効果を生んでいる。  作者によれば、お姉さんは老人ホームにいるのだが、コロナによる面会禁止で時間を持て余しているため、ついつい長電話になり、こちらから切るわけにいかず往生するという。作者の身辺を詠んだ句ではあるが、それがそのまま、高齢化社会のそこここにある現実を巧みに切り取った句となっている。 (可 23.03.20.)

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街角に地図読む人や春の風    玉田 春陽子

街角に地図読む人や春の風    玉田 春陽子 『合評会から』(番町喜楽会) 幻水 コロナ禍が去って外国人の旅行者が多くなり、こんな光景をよく見るようになりました。 百子 最近は携帯片手にグーグルマップでしょう。春になって人が外に出るようになっています。 愉里 私は、新生活を始める学生が、下宿探しをしているような光景を想像しました。 而云 「地図を読む」がいいと思います。図面を書く人のような、なにか職人の感じがします。 青水 外国からの旅行者は地図を片手ですよね。今の時期を考えると、時事句かなぁ。 水馬 春風に誘われた旅人の図。うらやましいです。この人は花粉症ではないんでしょうね。           *       *       *  春の街角で見かける光景をさらりと詠み、季節感と時代を映した句として、3月の句会で最高点を得た句の一つ。じっくり眺めていると、言葉の選択、語順など考え抜かれた句と思えてきた。「街角に」の上五によって、賑わいのある大きな都市がイメージされる。そこに地図を見るのではなく「読む人」を配する。読むという行為によって、地理や目的地を懸命に探している人物が浮かぶ。コロナの入国制限が解けて来日した外国人は、憧れの国で地図を頼りに街歩きに余念がないだろう。入学のため都会に出た学生は、慣れない雑踏に右往左往しているのかも知れない。「人や」で切って人物に焦点を当て、具体的な人物像は読者に委ねる詠み方も効果的だ。  そして下五で人々に、街に「春の風」を吹き渡ら…

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隣組の空家に買手春の風     堤 てる夫

隣組の空家に買手春の風     堤 てる夫 『季のことば』  「春の風」「春風」は二月初めから五月初めまでの、初春、仲春、晩春を通しての季語なのだが、いろいろな吹き方があって、なかなか難しい。二月から三月にかけての東風は「にほひおこせよ梅の花」で早春のやや肌寒い風。三月も半ば過ぎになると桜の開花を促す南寄りの暖かい風。四月の声を聞くころから時として強い西風が吹きまくり、大陸から土埃を運んで来る「黄砂現象」の嫌な風になることもある。  移動性高気圧と低気圧が頻繁に入れ替わるのが日本の春の特徴で、そよそよと暖かな春風もあれば、湿気をたっぷり含んだ雲を運んで長々と春雨を降らせることもあるし、時には顔をそむける埃っぽい風もあるといった具合だ。しかし、俳句で「春風」「春の風」と詠まれた場合は概ね、心地よい風である。否定的なニュアンスの春の風は「春疾風」とか、「春嵐」「霾風(ばいふう)」などとそれらしい季語になっている。  この句の「春の風」は無論、心地よい風である。少子高齢化が進み、老夫婦あるいは連れ合いを亡くした老人だけが取り残された家が多くなった。そういう家はやがては主人公が介護施設に入ったり、時には死んでしまったりで、空家になる。隣近所に空家が生じると、なんとなく落着かない。そうしたら、しばらく空家のままだった所に買い手がついたという話が伝わってきた。我が事のように嬉しくなる。引っ越して来る一家はどんな人達だろう。とにかく新しい隣人ができるのはにぎやかになって喜ばしい。春の風も一段と心…

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