山ほどのセーター洗ふ彼岸入り 池村 実千代
山ほどのセーター洗ふ彼岸入り 池村 実千代
『季のことば』
彼岸とは春分を中日として、前後3日の計7日間をさす時候の季語である。俳句の世界で「彼岸」と言えば春をさし、秋分の方は「秋彼岸」と呼ぶ。寺では彼岸会が催され、先祖の墓参りをする。「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉があるように、この頃から春暖の気が定まり、季節の変わり目を実感するようになる。例句を見ると、行事としての彼岸を詠むものと、季節の変化を捉えたものが混在する。
掲句は春を喜ぶ気持ちを、セーターを洗うという行動で分かりやすく示し、句会で高点を得た。3月下旬の彼岸の頃は春の気配がぐっと強まり、花の便りが届くようになる。まして温暖化の昨今は平均気温が上がり、桜の開花が年々早まっている。作者は春本番の暖かさに、もう寒さは戻ってこないと考え、セーターを洗うことを思い立った。クローゼットを開けたらセーターが山ほど出てきたので、腕まくりして洗濯機と格闘している。そんな図式であろうか。
句会では「分かります!天気の良い日に一気に洗う。絶妙な頃合いです」とか「最近は洗濯機が良くなってセーターも自宅で洗える。家族の分も含めると山ほどになる」など、自らの生活実感を重ねて共感する声が多かった。彼岸というやや古めかしい季語に、セーターを洗うという生活のちょっとした〝事件〟を取合せる。春の暖かさと作者の心の弾みが伝わってくる好句である。
(迷 23.03.31.)