陽だまりにちゃんと季の来し二月かな 田中白山

陽だまりにちゃんと季の来し二月かな 田中白山 『おかめはちもく』  この句は「二月」という兼題で詠まれた句だから、二月は動かせない。その二月、陽だまりにちゃんと春が巡って来ていると詠んでいる。北に崖を背負った南向きの土地、凹レンズが太陽光線を集めるように、そこだけがぽかぽかと暖かいのかもしれない。吹く北風も上空を吹き抜けてしまうせいか、温みが濃い。周りには水仙や福寿草が咲き、蕗の薹はもうすっかり花開いている。  年寄りが毎日の散歩コースに見つけた別天地。お誂えの岩があって、そこに腰下ろし、杖に載せた両手に顎を載せて、チュンチュンと何かをついばむ雀を見るともなく見ている。少し離れたところの梅は今まさに満開だ。ああ世はこともなし・・・そんな作者の姿が浮かんできた。ついさっきまでテレビを見ながら、ウクライナ戦争、北鮮の狂気、トルコ大地震、日本国内の激しい物価高騰と、面白くないことばかり突きつけられて、悲しんだり怒ったりしていたのだが、そんなもの、きれいさっぱり忘れた。  実にいい句である。けれど「季の来し」という言い方がなんとも落着かない。「来し」は「来ている」「来ていた」という意味合いの完了形。これで間違いではないのだが、どうも耳障りだ。私だけの勝手な受け取り方なのかもしれないが、何も几帳面に完了形にせず、現在形で「陽だまりにちゃんと季の来る二月かな」でいいんじゃないかなと思う。 (水 23.02.26.)

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