陽を浴びる末黒野千里牛を待つ 中村 迷哲
陽を浴びる末黒野千里牛を待つ 中村 迷哲
『この一句』
番町喜楽会2月例会の兼題が「末黒野」。「すぐろのなんて見たこともない」という人が多くて、みんな句作りに苦労されたようだ。昭和40年代初めまで、農村では畑に藁や枯草を積んで焚火し、田畑の周辺の野原を焼くことがごく自然に行われていた。畑の端から里山の森に移るまでの草や灌木の茂る緩斜面は冬になると火がかけられ、燃やされる。春になるとそこに若草が萌え、農耕の牛馬やヤギなどが放たれた。今では近くにまで住宅が押し寄せ、野焼はご法度。というわけで「末黒野」が半ば死語となってしまったのだ。
しかし中にはこうして、盛大な野焼で見晴るかす千里の末黒野が広がった壮大な景色を眺めた人もいる。九州は阿蘇草千里の光景だという。そう言われてみれば、なるほどなあと納得する。阿蘇山の広い裾野は日本有数の放牧地だ。放牧地は牧草が生い茂るよう、真冬に野焼を行う。これによって病害虫を殺し、草が燃えた後の灰がとても良い肥料になり、翌春の芽生えを促す。
この句は早春の太陽を浴びて黒々と耀く末黒野を呈示し、「やがてここに青々と草が萌え、牛たちがやって来るのだ」と、放牧の春への期待感をすっと詠んでいる。
「千里で切れて、牛を待つと続く詠み方に、手練れの句という感じがしました。類句があるかもしれませんが、気分のいい句です」(靑水)との意見が出され、一座の面々深々と頷いた。
(水 23.02.19.)