散歩にも股引を履く二月かな   澤井 二堂

散歩にも股引を履く二月かな   澤井 二堂 『おかめはちもく』  この気分実によく分かる。もう春になったというのに、やけに寒い。起き上がるなりくしゃみが二三発立て続けに出る。日課の朝散歩も股引をはいての重装備である。「ア~ぁ、年は取りたくないものだ」などと独り言をつぶやきながら、股引の温みを有り難がっている。余寒の老人の気分を素直に伝えて、なんとも和やかな感じである。  しかし、この句はどこか変だ。「散歩にも股引を履く二月」という言い方である。これだと2月になって股引をはき始めたように受け取られそうだ。高齢者は冷え込みの増して来る12月半ば頃には履き始めるのが普通ではあるまいか。 この句は「なんとまあ、春を迎えたというのに、まだ股引のお世話になる始末ですよ」という感慨なのではないか。どうもそんな感じがするし、そういう所を詠んでこそ俳句になるように思う。  もし、一念発起、「今年の冬は股引など履かないぞ」と頑張っていた人が、2月の寒の戻りに震え上がって履いたというのなら、それはそれで面白い。その場合は「二月になって股引を引っ張り出す始末ですよ」ということを、もっと強く言った方がいい。  この句はそんな痩せ我慢の句とも思えない。だとすれば、「二月なほ股引を履く朝散歩」などと素直に詠んでおいた方がいいようだ。 (水 23.02.15.)

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