O脚も生きた証ぞ初詣      岡田 鷹洋

O脚も生きた証ぞ初詣      岡田 鷹洋 『この一句』  「初詣とO脚の取合せが可笑しいですね。初詣する人を後ろから見たところでしょうか」(木葉)、「『生きた証ぞ』に自嘲や自虐につながるものを感じました」(靑水)といった句評が寄せられた。戦中戦後の食糧難・栄養不良時代を生き抜いた「貴重な証拠」だというわけである。  作者によると、「元旦に近所の神社に行ったら老人がたくさん並んでいて、O脚の人がたくさんいた。この世代はO脚でもこうしてじっと並ぶのだと感心したのですが、ぼくは並ぶのが嫌で、すぐ引き返してきました」のだという。  O脚というのは両脚を揃え、くるぶしをくっつけるように立った時に、太腿から膝、脛で作られる形がO(オー)の字になるものを言い、医学的には「変形性膝関節症」と言う。加齢や極端な体重増加で、筋肉が骨を直立させることが出来なくなって、膝関節が変形することにより発生するらしい。  成長期の栄養不良で、骨や筋肉の発達が思うにまかせなかったことにより発症度合が高まるとの説もある。今日80,90歳台のいわゆる戦中戦後派にO脚が目立つのはそれか。O脚は大昔からあり、もっぱら「がに股」と呼ばれていた。  作者も苦しい戦中戦後を掻い潜ってきた世代。失礼ながら後ろから拝見すると明らかにこの傾向が見られる。しかし、この句からうかがえるのは悲嘆ではなく、一種の開き直り精神だ。「生き抜いた証だ」と吼えているところが微笑ましい。 (水 23.02.06.)

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