松過ぎてようやく詣でる妻の墓  田村 豊生

松過ぎてようやく詣でる妻の墓  田村 豊生 『この一句』  先立った奥さんのお墓参り・・・。何より大切なものと考えてはいたが、世界一親しかった人という気安さもある。「暮の大掃除」「親類へのお年始も」という具合で、墓参りは後回しにしてしまった。松も取れた十日頃、「忘れていた」と気づく。世の中が常の日に戻った頃、句の作者はようやく重い腰を「よいしょ」と上げたのである。  これ以降は掲句の作者とは異なる句仲間から聞いた話。その人も近年、奥さんを失い、都内に新しい墓を買った。「ほら、あれ、共同墓地? いや、合葬墓とか言うのかな。家からちょうどいい距離だし、周りに木が植わっているから、樹木葬っていうのかな」などと話していた。奥さんの葬儀は、今流行りの家族葬だった。まず葬儀社に行き、日取りなどを相談した時、葬儀社側は「お通夜もやるのですか」とびっくり顔だったという。  最近の葬儀や墓づくりは歴史的な大替わりの最中であるらしい。簡潔な方がいい、という考えも当然、有り得るが、古い人間は「それでいいのか」と首をひねる。仏教だけでなく他の宗教も含めて、葬儀や墓、墓参などはどうあるべきか。掲句「妻の墓」の作者・田村氏は仏道修行の経験者。句会後の「一杯」の場などを利用して、現代の葬儀や墓参の在り方についての見解を、じっくりと聞いてみたい、と思っている。 (恂 23.02.05.)

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福寿草戦争知らず老いにけり   廣田 可升

福寿草戦争知らず老いにけり   廣田 可升 『合評会から』(酔吟会) 愉里 これは私のことだ、と思いました。戦後生まれの方が詠まれたのか、そうでない方が詠まれたのか、とても気になりました。 而云 小学校2年の時に終戦を迎え、「戦争放棄」は重要なんだと強く思って育ちましたので、最近の反撃能力のような議論には違和感があります。 青水 中七下五は言い古されたフレーズの気がします。季語をどう解釈するか悩みましたが、福寿草のめでたさに掛けた句と捉えました。 水牛 福寿草と戦争をうまく取り合わせた句ですね。老いるまで戦争がなかったのは本当に幸せなことだと思います。詠み手は戦争を知る世代でも知らない世代でも…。 可升(作者) 従軍も戦渦に巻き込まれることもなく一生を過ごせるのはとても稀有なことだと素直に思っています。一方、最近のきな臭い動きに孫はどうなるのかという思いもあります。           *       *       *   日本は太平洋戦争後の77年間、戦火に見舞われていない。だが、世界では朝鮮戦争、ベトナム戦争、ウクライナの戦争など戦火の絶えた日はない。戦争を知らない世代が人口の9割近くに。昨今の防衛論もあり、複雑な思いをかきたてる句である。 (光 23.02.03.)

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浜風にちぎれ飛ぶ火やどんど焼き 大下 明古

浜風にちぎれ飛ぶ火やどんど焼き 大下 明古 『合評会から』(日経俳句会) 三代 どんど焼きは見たことがなく、調べると海の近くでやることが多い。浜辺で炎がわーっと舞い上がって飛んで行くさまが目に見えるなと。 てる夫 余計なことを言うと、長野の山国でも左義長は色んな所で盛んにやっています。 水馬 大磯でしょうか。迫力のある浜辺でのどんど焼きが目に浮かびます。 芳之 「ちぎれ飛ぶ」の表現に勢いがあります。           *       *       *  徒然草にも記述がある左義長は元来宮中の小正月行事。連綿と現代に受け継がれ、いまは地方により名が異なるがどんど焼きと呼ぶのが一般的だ。歴史好きなら、織田信長が左義長に名を借りて天下に示威した陣揃えを思い起こすだろうか。神奈川在住の人によれば、大磯の北浜海岸の左義長がことに規模も大きく盛んだと言う。暗くなるころ、竹や松と正月飾りで盛り上げた何基もの「さいと」に火を付け、その炎に一年の無病息災を祈るということだ。また終わった後の熾火で焼く餅や芋は子供たちの楽しみ。  掲句はたしかに左義長・どんど焼きの光景だ。大きな炎が呼び起こした風にちぎれて飛ぶというところは壮観だが、いっぽう一種の怖さもあると思う。こういう伝統行事ができるのも浜辺ならではのこと。作者が実際に見たに違いない迫力がある。炎が時には「ちぎれ飛ぶ」さまを見落とさなかったのがこの句の命と思う。 (葉 23.02.02.)

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左義長の残り火で焼く蜜柑かな  中嶋 阿猿

左義長の残り火で焼く蜜柑かな  中嶋 阿猿 『季のことば』  「水牛歳時記」によると、「左義長(さぎちょう)」は、小正月の日に行う一種の火祭りで「どんど」や「どんど祭り」などとも呼ばれる。元旦に降臨した神様を、正月飾りを焚いて、その炎と煙と共に天に送り返す儀式だという。燃え上がる火は神聖なもので、その熱気や煙を浴びたり、その火であぶった餅や団子を食べればれば一年間の無病息災が保証され、書初をどんどの火にくべると「手が上がる」という。地方によって呼び方が違うが、全国各地で催されている新年の行事だ。  筆者は、日本三大火祭りとも言われている長野県野沢温泉の道祖神祭りを見学したことがある。高さ十数メートル、八メートル四方の社殿を組み、それに村人が火を付けようとするのを厄年の村民が防火役となって争う。激しい攻防戦の末、双方の手締めで社殿に火が放たれ、紅蓮の炎とともに社殿が崩れ落ちるという勇壮な火祭りだ。  閑話休題、句会では餅を焼いたり焼き芋を詠んだ句に交じって、焼き蜜柑の掲句が目についた。蜜柑を焼くと甘みが増す。「子供のころ、焚き火をした後に蜜柑を入れた。あれ結構美味しいんですよね。句を見て思い出した」と方円さん。ネットには、焼き蜜柑のレシピがたくさんアップされている。焼き蜜柑は栄養価の高い外皮まで食べやすくなることなどから、若い人にも人気があるようだ。外皮には、発がん予防、骨粗鬆症予防、美肌などの健康成分が含まれているという。うーむ、焼き蜜柑が食べたくなった。 (双 23.02.01…

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