松過ぎてようやく詣でる妻の墓 田村 豊生
松過ぎてようやく詣でる妻の墓 田村 豊生
『この一句』
先立った奥さんのお墓参り・・・。何より大切なものと考えてはいたが、世界一親しかった人という気安さもある。「暮の大掃除」「親類へのお年始も」という具合で、墓参りは後回しにしてしまった。松も取れた十日頃、「忘れていた」と気づく。世の中が常の日に戻った頃、句の作者はようやく重い腰を「よいしょ」と上げたのである。
これ以降は掲句の作者とは異なる句仲間から聞いた話。その人も近年、奥さんを失い、都内に新しい墓を買った。「ほら、あれ、共同墓地? いや、合葬墓とか言うのかな。家からちょうどいい距離だし、周りに木が植わっているから、樹木葬っていうのかな」などと話していた。奥さんの葬儀は、今流行りの家族葬だった。まず葬儀社に行き、日取りなどを相談した時、葬儀社側は「お通夜もやるのですか」とびっくり顔だったという。
最近の葬儀や墓づくりは歴史的な大替わりの最中であるらしい。簡潔な方がいい、という考えも当然、有り得るが、古い人間は「それでいいのか」と首をひねる。仏教だけでなく他の宗教も含めて、葬儀や墓、墓参などはどうあるべきか。掲句「妻の墓」の作者・田村氏は仏道修行の経験者。句会後の「一杯」の場などを利用して、現代の葬儀や墓参の在り方についての見解を、じっくりと聞いてみたい、と思っている。
(恂 23.02.05.)