住む前は銀杏落葉にあこがれし 旙山 芳之
住む前は銀杏落葉にあこがれし 旙山 芳之
『この一句』
銀杏の黄葉ほど見る者の目を楽しませてくれるものはないと常々思っている。近くは神宮絵画館前、愛宕神社石段下、あるいは浜町の明治座通り、遠くは喜多方熊野神社長床、大阪御堂筋など、黄葉の映像がありありと目に浮かぶ銀杏の木や並木道がある。黄葉が終わり冬になると、葉っぱは風に吹かれて落ち葉となる。
作者は家探しをしている時に、銀杏の葉が飛ぶ景色を見て、「なんて風情のある土地だろう。よしここに住もう」と決めたのではないだろうか。ところがいざ住んでみると、落ち葉の量は半端ではなく、掃いても掃いても片付かない。雨が降った後などは、路面に落ち葉がへばり付いて、剥がすこともままならない。もしかすると、銀杏の実のあの強烈な匂いにも悩まされているのかも知れない。
この句は「住む前は」という散文的な入り方が、俳句としての軽さにつながり、読み手が思わずクスッと笑ってしまうような効果を出している。すなわち、銀杏の落ち葉に苦労しているのは事実だが、それでもやはり幾分かはその風情を楽しんでいるという雰囲気を匂わせている。決して間違った家選びではなかったと信じたい。
(可 23.01.09.)