朝もやの海となりけり枯野原   大澤 水牛

朝もやの海となりけり枯野原   大澤 水牛 『この一句』  作者によれば、2015年10月の尾瀬吟行の光景を思い出して詠んだ句である。筆者もこの吟行に参加したが、数々の吟行の中でも特に思い出に残る二日間であった。  早朝に新宿のバスターミナルに集合したのだが、まだバスタ新宿は出来ておらず、代々木駅近くの場所だった。関越道を経由して、鳩待峠から尾瀬へ入り、晴天の木道を歩き、至仏山がくっきりと大きく見えたのを覚えている。泊りは東電小屋。夜が更けて宿の灯りをすべて消すと、無数の星が現われ「星が降る」とはこういうことを言うのかと思った。何度もここを訪れているという写真家が、「初めて来てこんな星空に出会ったあなた方はほんとにラッキーだ」と言っていた。  この句の光景は翌日の朝。前日にはあんなにくっきり見えていた光景が一変し、見渡すかぎり「朝もやの海」となった。湿原が一面に広がり、その中を木道が走っているはずの景色が、すべて濃いもやの下に隠されてしまい、とても幻想的な光景となっていた。  10月の吟行であれば、冬の季語である「枯野」は合わないのではないかという意見もあったが、そんなことはない。あれから、7年の時間が経過して、あの頃の健脚が衰えてしまった方も居れば、鬼籍に入られた方も何人か居られる。作者の胸中にある、朝もやの海に隠されている光景は、まぎれもなく「枯野原」なのだと思う。 (可 23.01.05.)

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