写真には写せぬものに隙間風   横井 定利

写真には写せぬものに隙間風   横井 定利 『この一句』  日経俳句会には、新聞社のカメラマンとして三十年あまりあらゆる事象事物を撮り続けた二人の句友がいる。上の作者ではない句友が以前詠んだ句に「膝ついて肘ついて撮る菫かな 嵐田双歩」というのがある。あくまでシャッターチャンスを追い続けるプロの所作かと感心もした。取材記者ならペンのほかにボイスレコーダーもあるのだが、カメラマンの武器はカメラのみ。そのうえ対象物が常に静止しているわけではない。極寒極暑や嵐の中でもカメラマンたるプロ意識は変わらないはず。それだけにカメラに収められないものなどあるものかという気概を常に持っていそうだ。  ところが掲句はプロカメラマンにも写せないものがあると言っている。当然と言えば当然のことだが、隙間風は写せないけれどそこにあるのだという真理が句に滲み出ていて、なにやら禅問答臭くもある。なんとも面白い句だ。「カメラマンとしては隙間風をどうやって撮ればいいかと思いますね。破れ障子を写せばいいかとかいろいろ考えました」と選句したもう一人の元新聞社写真部員。「それがどうしたという句ですが、なんとなく可笑しい」「上手いことを言うものだと感心しました。写真には写せないものは無数ですが、『隙間風』で諧謔味を感じます。夫婦仲を暗に詠んだものと推察します」とまで句評が飛躍したのも句の面白さゆえか。この句はプロの職責をあっけらかんと放棄しているところに俳味がある。 (葉 23.01.08.)

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つきささる冷えた身体に寒灸   久保 道子

つきささる冷えた身体に寒灸   久保 道子 『季のことば』  「寒」は二十四節気の小寒(1月6日頃からの15日間)と大寒(1月20日頃からの15日間)を合わせた30日間を言う。いわゆる「厳寒の候」である。  この寒さを利用して、寒天、高野豆腐、凍蒟蒻(しみこんにゃく)といった保存食品を作る。また、身体を鍛える絶好の機会だと、滝に打たれる寒垢離(かんごり)や寒中水泳、寒稽古などが行われる。そうした激しい運動に耐えられない年寄りや病弱な人は、寒中に殊の外効くと言われる温泉療法(湯治)や、この句のように寒灸(かんやいと)を据えたりする。  灸は鍼(はり)、指圧などと共に古代中国に生まれた医療法。一時は「迷信」などと蔑まれ押しやられたが、20世紀後半からその効力が見直され、今ではWHO(世界保健機構)のお墨付きまで得て世界中に流行するようになった。  人体には活力の素となる気血を流す経絡(けいらく)があり、その要所(経穴・つぼ)が361箇所ある。病気になったり具合が悪くなった時に、漢方医師は経穴を触診し、どのような病か判断し、薬を処方する。鍼灸医は経穴に鍼を打ったり灸を据えて刺激を与え、経絡の働きを良くして病を治す。指圧はツボを抑え圧迫刺激によって治す。  不摂生が祟って私は40代にぎっくり腰になり、整形外科では治らず、指圧、鍼灸に頼った。実によく効いた。しかし、お灸はとても熱い。熱いからこそ効くのだと言われても唸ってしまう。まさに「突き刺さる」感じなのである。作者はそれをまさにツボに…

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朝もやの海となりけり枯野原   大澤 水牛

朝もやの海となりけり枯野原   大澤 水牛 『この一句』  作者によれば、2015年10月の尾瀬吟行の光景を思い出して詠んだ句である。筆者もこの吟行に参加したが、数々の吟行の中でも特に思い出に残る二日間であった。  早朝に新宿のバスターミナルに集合したのだが、まだバスタ新宿は出来ておらず、代々木駅近くの場所だった。関越道を経由して、鳩待峠から尾瀬へ入り、晴天の木道を歩き、至仏山がくっきりと大きく見えたのを覚えている。泊りは東電小屋。夜が更けて宿の灯りをすべて消すと、無数の星が現われ「星が降る」とはこういうことを言うのかと思った。何度もここを訪れているという写真家が、「初めて来てこんな星空に出会ったあなた方はほんとにラッキーだ」と言っていた。  この句の光景は翌日の朝。前日にはあんなにくっきり見えていた光景が一変し、見渡すかぎり「朝もやの海」となった。湿原が一面に広がり、その中を木道が走っているはずの景色が、すべて濃いもやの下に隠されてしまい、とても幻想的な光景となっていた。  10月の吟行であれば、冬の季語である「枯野」は合わないのではないかという意見もあったが、そんなことはない。あれから、7年の時間が経過して、あの頃の健脚が衰えてしまった方も居れば、鬼籍に入られた方も何人か居られる。作者の胸中にある、朝もやの海に隠されている光景は、まぎれもなく「枯野原」なのだと思う。 (可 23.01.05.)

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初夢はマスク外して大笑ひ    岩田 三代

初夢はマスク外して大笑ひ    岩田 三代 『この一句』  「マスク、手洗い、うがい」がすっかり身についてしまった。実に情けない話である。みんなうんざりしているのだが、思い切って取ってしまうわけにもいかない雰囲気だ。ショッピングセンターや駅や電車内では相変わらず「マスクの着用願います」のアナウンスしきりだし、うっかり掛け忘れようものなら、周りからじろじろ見つめられる。  一体いつになったら終わるのだろう。もうそろそろと思っていたら、このところまた感染者が増えて来た。2019年11月に中国・武漢市で発生した新型コロナウイルス症は初動措置が遅れたためであろう、またたく間に中国各地から全世界に広がり、20年1月には全地球的規模の感染症となった。以来、丸三年経過。世界中で感染者は増え続けているのだが、「コロナ慣れ」というのか、もはや世界中で真面目にマスクしているのは日本人だけ、とさえ言われている。これが怖い。  日本でもコロナに大騒ぎしていた一昨年、昨年より感染者はむしろ増えている。1月2日現在の日本国内の感染者は合計2940万202人。一日5万人規模で増えている。それに、気がかりはこのところ死者が増えて毎日数百人出ていることだ。しかし、マスコミも一般国民もあまり騒がなくなった。いわゆる「コロナ疲れ」で話題にする気にもならないらしい。しかし、みんな心の隅には「怖さ」を抱いている。それが「一億総マスク」となって現れる。「はずしたい」と思っても外せないのだ。  この句は集まったみんなでマスク…

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酒席へと二神を飛ばす福詣    中村 迷哲

酒席へと二神を飛ばす福詣    中村 迷哲 『この一句』  昨年(令和4年)の深川七福神吟行の折の句である。本来なら七神を巡って成就する福詣を、あろうことか、時間の都合で二神を飛ばし、直会の酒席に直行したことを詠んだ句である。この吟行の幹事であり、二神を飛ばした張本人は筆者である。  本来の予定は、地下鉄森下駅に集合して、寿老人の深川神明宮に始まり、清澄白河近辺の寺社を巡り、最後は恵比寿神の富岡八幡宮に至るコースであった。幹事が集まって下見をした時には、さほど時間がかかりそうにないように思え、ここで欲が出てしまった。やはり、俳句の会で七福神巡りをするのだから、芭蕉稲荷には立ち寄ろう、臨川寺にも立ち寄り佛頂和尚と芭蕉のつながりも説明した方が良い、清澄庭園も素通りする訳には行かない。なんのことはない、吟行の数日前に雪が降ったこともあり、「深川七福神と芭蕉ゆかりの地と雪の清澄庭園を訪ねるスペシャルコース」になってしまった。  これはやばいと思い、途中で酒席の魚三酒場に「遅れてもいいか」と電話すると、「お後がつかえています」とすげない返事。義理と人情を秤にかけりゃ、当然ながら人情が重たく、即座に、かつ迷いなく二神をスキップすることを決めた。  今年1月7日には、新宿七福神吟行を行なう予定で、またしても幹事を仰せ付けられた。つつがなく七神を巡れるように、近所の神社にお願いしに行こう。(可 23.01.03.)

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獏の絵をふとんに敷いて父と寝る  野田 冷峰

獏の絵をふとんに敷いて父と寝る  野田 冷峰 『季のことば』  新年になって初めて見る夢を初夢といい、一般に元日の夜、あるいは二日の夜に見るものをさす。吉夢を見ると一年間良いことがあるとされ、昔は枕の下に宝船の絵を敷いて寝る風習があった。獏の絵もその一つである。中国には獏は悪夢を食べるという俗説があり、そこから凶夢を見ないように獏の絵を枕の下に入れて寝ることが広がったという。歳時記を見ると、新年の季語である「初夢」の傍題に「獏枕」が載っている。  掲句はそうした風習がまだ残っていた時代の正月風景である。上五中七は、一見すると初夢を巡る風習を説明しただけのように見える。しかし下五の「父と寝る」を読んだ途端に、鮮やかに場面が浮かぶ。獏の絵を敷き込みながら、父親と一緒に寝ることに心を弾ませている子供の姿が見えてくる。普段は母親と一緒か一人で寝ているのであろう。父親が獏の〝働き〟を語り、正月だから一緒に寝ようと言ってくれた。だからいそいそと寝床の用意をしているのである。枕ではなく布団の下に敷いたのは、獏が父と自分に等しく訪れるよう、子供なりに考えた結果であろう。  正月の改まった気分や非日常性は子供心に強く刻まれる。作者にとって「父と寝る」という幼い頃の体験は、80歳となった今でも忘れられない幸せな思い出なのである。 (迷 23.1.2.)

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これからだ三年枠の日記買ふ   高石 昌魚

これからだ三年枠の日記買ふ   高石 昌魚 『この一句』  師走の書店や文具店には日記コーナーがあり、様々な日記が並んでいる。3年日記、5年日記などの連用日記には10年日記というのもある。筆者は5年日記を愛用しているが、連用日記を見返すと毎年似たような行動をしているのが分かり、歳月の速さと進歩のなさがうかがえる。句会でも3年、5年日記は人気だった。  掲句の魅力はなんと言っても「これからだ」という力強い上五にある。事情はよく分からないが、きっぱりと前を向く毅然たる意思を感じさせるフレーズだ。何か異変があったのだろうと推測されるが、作者の固い決意を前に、思わず拍手を送りたくなる。聞けば作者は、これまでは5年日記を使っていたが、令和4年、健康上の問題が起き1年日記でもいいかと思ったものの、いや令和5年も頑張ろうと3年枠にしたという。  この句が発表された暮の句会当日、当ブログでも紹介された作者の「年甲斐もなきシャツの色竹の春」というなんとも若々しい素敵な句が、日経俳句会の年度賞に輝き、表彰された。精神の若々しさ溢れる作品を詠み続ける作者の本領発揮。掲句は高点を得て一席となり、受賞に花を添えた。 (双 23.01.01.)

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